常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

真昼岳

2017年06月18日 | 登山


秋田県南の穀倉地帯、仙北平野の東に連なる真昼山地の主峰・真昼岳(標高1059m)に登ってきた。細い砂利道で曲がりくねった峰越林道を走ること40分、峰越登山口はすでに標高900m、すぐに通行止めになっている先は岩手県である。駐車場近くの林道脇には、秋田蕗が生い茂り、地元の主婦たちが鎌で蕗刈に余念がない。駐車している車から、ウォン・ウォンと警笛の音が響いていたが、連続して起きている熊の襲撃への対策であるのか。参加者の人たちの秋田山行の一番の心配は、熊対策である。

ここへ来て先ず驚かされるのは、山域の広さだ。わずか1000mほどの山であるが、その深い山地が木々や地中に豊かな水を蓄え、その麓には広い穀倉地帯が広がっている。音動岳の頂上へと続く登山道だが、真昼岳は霧でかくれた山の向こうである。県民性との地形の関係は識者の説くところだ。肥沃な土地と、県境を遮る深い山地。秋田県は全国でも人口の流動性が少ない県であるらしい。穏和な性格のなかに秘められた強さが、この県の特性である。秋田出身の知人が数人いるが、長く付合うほど、人のよさがしみじみと分かる。本日の山行担当のAさんも、秋田人だ。一緒に山を登るようになって、あらためて人柄のよさを知らされている。



山道の傍らにコバイケイソウの花が咲いている。本来湿地帯に咲くが、雪融けを終えたばかりの山道に、手に触れることのできる山道で出会えたことはうれしい。雪融けからまだ日が浅い山道には、早春の花が足元を飾っている。



シラネアオイの色調もこの山域では、より深い色合いである。水や土の特性が花の色に反映される。そういえば、秋田美人も水のよさと関係があるらしい。温柔で家庭的、忍耐づよく、よく男につくすので、昔から理想の女性像とされてきた。こんなことを書けば、男の身勝手と反発されるかもしれない。



イワカガミがたくさん群生していた。山形の1000m級の山ではとっくに花期が終わっているので、ここで会えたのは、もうけものをしたような気分である。真昼岳とは、誰が命名したのか、この開放的な気分は、その名にふさわしい。登る前は違ったイメージを持っていたが、秋田に来なけけれ、見ることのできない景色と花々である。



本日の参加者は10名。男女5名づつ構成である。森林限界を過ぎて、笹と草原のような開放的な山道で、視界は360°、周囲の重畳とした山並みの景観に心を洗われる。笹藪にはササダケが食べごろに伸びている。家づとにササダケを採る人、高山の花を撮る人、会話を楽しむ人、山の楽しみは十人十色である。予報では快晴ということであったが、曇り、少し霧が出て、景色は霧の晴れ間に見えるほど。それだけに霧が晴れたときは、そのすばらしい光景に感動する。頂上付近で3,4組の登山チームに出会った。福島からきた10名ほどのチームは、和賀岳を目指したが、林道が通行止めで、こちらに変更したとのこと。山形の山にもよく行ってますよ、親しく話してくれた。



頂上まで2時間10分。駐車場で一緒だった子ども連れのグループが、神社の陰で即席ラーメンを作って食べていた。暑すぎず、体力を消耗することなく登り切った。我々もここで早めの弁当開き。持参したおかずを分け合って食べる。山形から登山口まで4時間半を要しているので、早々に下山する。麓の千畑温泉で汗と疲れをひと流し。広々したきれいば温泉であった。
入浴料400円。雄勝道の駅で最後の休憩。帰路につく。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桜の実

2017年06月16日 | 日記


花が終わって二月、実が黒く熟してきた。雫を湛えて黒光りしている実は、花とは違う美しさがある。その隣では、サクランボが赤く熟れ、マンサクが花に似合わない丸い実をつけていた。入梅の発表はないが、季節が大きく進んだ。いよいよ、夏野菜の季節だ。キュウリの初生りと、山東菜の疎抜きを美味しく食べた。

桜の実紅経て紫吾子生る 中村草田男
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年を重ねる

2017年06月15日 | 日記


久しぶりに、悠創の丘まで散歩に行く。次第に散歩の回数も少なくなっている。しかし、気持ちの持ち方で、散歩の習慣も維持できるように思える。足はいままでと変わりなく動くし、1時間30分かけて、9000歩を歩いてもさほどの疲労感はない。途中、季節の花を探し、桜や梅が実をつけているのを撮影する楽しみが、散歩へ背中を押してくれる。

本棚を整理していると、昔、読んだ本の気になった部分を抜き書きして、カードに整理してファイルしてあったのを見つけた。読んだ本は伊藤整の長編『変容』だ。小説の語り手と、老人が飲み屋で交わす会話の場面である。

「龍田君、七十になって見たまえ、昔自分の中にある汚れ、欲望、邪念として押しつぶしたものが、ことごとく生命の滴りだったんだ。そのことが分かるために七十になったようなものだ、命は洩れて失われるよ。生きて、感じて、触って、人間がそこにあると思うことは素晴らしいことなんだ。語って尽きず、言って尽きずさ。」
 彼は私を脅かすように睨みつけ、やがて私を羨むように目をそらし、失われた生そのものを感じて歯ぎしりすような、怒った顔になった。

この本を読んだのは30年以上前のことで、記憶をたどれば、よほどこの部分を気に入って、大学で文学を教えている友人に、この小説の感想を、話したことを覚えている。彼は、「変容、ああ、あれは未完の小説だよ。」と言下に、否定的な言葉を発した。しかし、それは若さが故のせいだあったような気がする。七十歳を過ぎて、小説の言葉はさらに現実的な力を持って立ち上がってきた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さなえ

2017年06月14日 | 日記


結城哀草果の住んだ樹陰山房を訪ねて、市内の本沢地区に行ってみた。本沢コミセンで聞くと、所在はすぐに判明した。よく行く日帰り温泉の隣にある、土蔵のついた大きな家であった。近隣の田には、すでに田植えが終わり、苗が成長を初めていた。

見てゆくや早苗の緑里の蔵 言水

こんな句を思いながら、玄関のチャイムを押したが、家の人は留守で話を聞くことはできなかった。家の西側には、高速道路が通り、山麓の風景はかつての面影を無くしたようだ。高台に菅沢の丘の団地の住宅が立ち並び、ここがかっての古戦場であったことは想像もつかない。ところで早苗であるが、苗につく「さ」は、金田一春彦先生の説明によれば、田の神を意味するとのこと。田植えの初めの儀式を「さおり」というが、さ降りのことで、田の神が降臨する意味であると説明されている。サナブリというのは、その転嫁で、神の降臨に感謝して、神に食べものを供え、そのお下がりを皆で食べ、酒を飲むことであるらしい。

結城家の西側の田は、もう田を作らず、放置されてしまった。田の神の降りる場所も年々少なくなっていく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

瀧山

2017年06月12日 | 登山


雨のため土曜会の山行は2週続けて中止になった。知人に誘われて、飯田郷土史研究会の竜山登山に参加した。きのうまでのぐずついた気候は一転、朝方は雲ひとつない青空に恵まれた。飯田公民館を車で6時に出発。登山口を5分ほど登ると、たちまち西蔵王の放牧場に出る。数少ない牛たちが、登山の一行を不思議そうに眺めていた。瀧山は蔵王温泉を火口とする外輪山で、温泉側から見れば急な火口壁をなし、その爆発のすざましさが見てとれる。登山道となる放牧場のあたりにも爆発で飛ばされた大きな岩が散見される。牧場内には、オオヤマザクラの大木が散在し、花の季節には山形市民の目を楽しませる。



登山道は深い緑と、ツツジやイワカガミなどの春の花が咲き、初夏の山の景色を堪能。気温はこの季節にしては低く、暑さによる疲れもなく快適な山行となった。ほとんどの参加者が、飯田地区の人たちで、山の麓に住み、毎年開かれる登山に数多く参加している人たちで、和気あいあい、うらやましいほど、山登りを楽しんでいる人たちであった。参加人員25名、山道には長い行列ができた。

山寺を開いた慈覚大師が、それよりも前に天皇の命を受けて、この地を聖地と定めたと伝えられている。ある年、干ばつで悩む村を大師が訪れ、羽龍沼の辺で、雨乞いの祈祷をした。すると羽を持つ龍が沼から天空へ飛び上がり、雨を降らせて山奥へと姿を消した。このことから、沼は羽龍沼と呼ばれ、龍山はサンズイをつけた瀧山と呼ばれるようなったという伝説がある。



頂上に祀られているのは、瀧山大権現である。薬師如来が神となって衆生を救うため現れものである。飯田地区の人々は信仰心が篤く、神社にお賽銭をあげ、帽子をとって、柏手を打って拝礼する。予定より1時間も早く、10時には頂上に着く。ここで早めの弁当。長くとどまるには寒いくらいの気温と風で、スキー場のコースを使って温泉へ向かう。

この日の一番の楽しみは、温泉とビールが付く懇親会である。「かわらや」で温泉を使い、冷えた身体を温める。少し酒が入り、一人ずつの自己紹介が始まると、会場は一気に盛り上がる。1年ぶりの再会をよろこぶ人、このイベントを開いている幹事スタッフへの感謝、過去の登山の様子やいきさつ、かわらやの女将のおもてなしなど、初めて参加する私は、人の輪がこれほどの楽しい時間を生むのかと、驚きを禁じ得ない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする