常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

ジャガイモの花

2017年06月10日 | 日記


記憶のなかの花がある。私にとってジャガイモの花はまさに記憶の花だ。北海道の農家に生れて私の家の畑は、半分以上ジャガイモが植え付けられていた。初夏、6月の終りに、畑は見渡すかぎりのジャガイモの花畑になった。貧しい農家の家の者には、花はその美しさを鑑賞するものではなく、地中の根のなかで育つ芋の成長のバロメーターであった。花が咲き終わって、数十日を経ると、あの新じゃがが食べられるという期待のシンボルでもあった。

飛燕鳴けり馬鈴薯の花咲く丘に 川端 茅舎

ジャガイモの花を鑑賞の対象として、見る年齢なったいうべきなのか。改めて、そのシンプルで身近な花に心を打たれる。昨年は北海道を3個もの台風が直撃し、ジャガイモの生産にも大きな痛手を受けた。そのため大手のポテトチップメーカーで菓子の製造が出来ず、販売が中止になった。今年はそんなことにならないで、北海道の大地からまたおいしいジャガイモが採れるように祈る。
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百目鬼

2017年06月09日 | 日記


結城哀草果が育った村は、山形市百目鬼(どめき)である。珍しい地名である。それだけに地名にまつわる伝説もある。この村の近くをを流れる本沢川が、ドドーと音を立てて流れていた。その音からとったのが百で、目鬼は恐ろしい鬼の目のような地形からきているという。急流が運んでくる石を除いて、田を拓く作業は、この地区の先人たちの努力以外にはない。近隣には、悪戸という土地もある。これも川の淀みでたまる芥からきているという。百目鬼と同様に、ここでも田が拓かれ、肥えた土地であった。年貢を軽減するため、この地名を残したという。村の人々の知恵というべきか。

尊さよ稲の葉先におのづから水玉のぼり日は暮にけり 哀草果

哀草果は養子として結城家に入るが、すでに美田では稲を育てるのに余念がなかった。哀草果は田の見回りがしながら、農作業を覚えていった。作業のかたわら書籍を読み、歌を作り随筆を書いて、中央の雑誌に投稿した。哀草果は上級の学校に入ることは許されなかったが、本を買うことは認められた。農作業のないとき、哀草果は蔵の2階にかくれるようして本を読んだ。作業場にローソクを立てて、本を読む歌も作っている。

今日のように農機などはなく、農作業は家族が身体を張らなければならない。電気とてない、時間の取れない農業中心の村から、なぜこのような才能あふれる歌人が出たのか。哀草果の歌集を読んでいると、その謎が少し解けたような気がする。この村の近辺からは、漢学の本沢竹雲や数学の会田算左衛門を輩出し、月並み俳句をひねる風流庶民の存在など、村には文化的な気風が育まれていた。ひとり哀草果だけでなく、『山びこ学校』の無著成恭、画家の斎藤二郎、『山が泣いている』の作者鈴木実など、全国に名の知れた人材を輩出している。

あかがりに露霜しみて痛めども妻と稲刈れば心たのしも 哀草果
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『木』幸田文

2017年06月08日 | 読書


この春は、山菜のわらびなども採ったが、山行で見た新緑と高山の花が印象に残った。この光景を見ることができるのはあと何回か、ということが頭をよぎると、新緑の輝きは老いた者の心を強く打つ。「末期の目」という言葉があるように、年齢とともに物を見る目は、毎年深くなって行くようである。

幸田文に『木』という随筆と呼べばいいのか、紀行文なのか区別されないような本に、年取って木を見ることに触れた部分がある。

「芽吹きを好く癖は以前からのものだけれども、ここ数年はよけいその傾向が強くなった。多分、老いたからだと思う。老いた心はひとりでに、次の代へ繫続とか、新しい誕生とかへの、そこはとない希望がいつも、潜在的に作動しているようである。私が花や葉もその生れの時期を好くのは、そういうひそかな下心のせいにちがいなかろう。」(幸田文「安倍峠にて」)

幸田文の観察眼は鋭く、見たものを文に書き取る能力にも優れている。

「蕾が花に、芽が葉になろうとする時、彼等は決して手早く咲き、また伸びようとしない。花はきしむようにほころびはじめるし、葉はたゆたいながらほぐれてくる。」

幸田文のような眼を持つことができれば、いまそのどまんなかにある老年の日々は、もっともっと輝かしいものになるに違いない。
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川上の嘆

2017年06月07日 | 論語


論語の子罕編に、

子、川の上(ほとり)に在りて曰く、逝く者は斯くの如くか、昼夜を舎かず

というのがある。有名な川上(せんじょう)の嘆である。日々の過ぎるのが、異常に早く感じる年になって、この言葉は重い。頼山陽は13歳のとき、はじめて作った漢詩に、「十有三春秋 逝く者は已に水の如し」と詠んで、論語の句を踏まえたが、13歳の少年が感じる句の重みは、70歳をはるかに過ぎて、比すべくもない。

この句の解釈は、日本では古くから、人間の生命も、歴史も、川の流れのように休むことなく移ろっていくという詠嘆と宇宙の活動が無限に発展するものとする希望、という二つの解釈が行われてきた。桑原武夫は『論語』のなかで、この句は絶望としての詠嘆と解釈すべきではなく、静かな諦念の境地とみるべきと、指摘している。

若い世代が読むのと、老年が読むのととでは自ずから受け取り方は異なるであお^ろうが、私もこの諦念の境地を支持したい。過ぎ去った青春は取り戻せるものではないが、その回想のなかで美しいものとして、そっとしまっておくことはできる。
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ツユクサ

2017年06月06日 | 日記


九州で梅雨入りが発表された。ツユクサが咲くのは、入梅の前兆であるかも知れない。梅雨というのは梅の実が熟するころに降り続く雨のことで、梅の字を入れた表記になったいる。中国では立梅と書いているらしい。ただ、どの雨が入梅なのか、決めるのは気象庁だが、はっきり断定した表現はしない。いつも、○○地方が、梅雨に入ったと見られる、という風にアナウンスされる。「梅雨はつい降りつい上がる」といわれるように、梅雨入りを発表してから、晴天が続き取り消しが行われたこともある。また、梅雨入りの発表のないまま、夏に入る例もなくはない。

さみだれに見えずなりぬる小径かな 蕪村
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