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常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

堅雪

2018年01月20日 | 登山


今日、大寒。里山とはいえ、この季節にアイゼンやカンジキなしで山道を歩くことを想像できるだろうか。寒の季節の雨、そして放射冷却による-9℃という冷え込み。さらに、高気圧に覆われて雲ひとつない晴天。こんなあり得ないような偶然が重なって、堅雪の上をツボ足で歩いた。風のない雪原を歩くと、少年のころ春先に通う学校への道を近道して歩いたことを思い出した。そんなことを教えてくれたのは、いまはなき姉たちであった。

堅雪野歩す少年の身軽さよ 田中美津子

山形市の北東部、青野集落の上にあるある里山、家形山。本日の登る山である。近づいて見ると稜線の左が家の屋根のように落ち込んでいる。だが、ここに住んでいる人たちに聞いても、あの山が家形山だというのを知っている人には会えずじまいであった。国道13号線から青野集落を過ぎて山へ向かうと、高速山形道の下のガードがある。その下へ車を寄せて置いて、山に向かう。林道を使わずに、雪原のリンゴ畑の中を歩く。カンジキをまったく必要としない堅雪だ。所々に、カモシカや野ウサギの足跡がある。イノシシのぬた場のような跡も目にした。有害獣の罠に注意、という看板もある。

家形山への稜線に向かって、急斜面の雑木林を登る。斜面には雪が少なく、雪を踏み抜いて登って行く。本日のメンバー4人、男女2名。先頭はルート選びの練習を兼ねて交代する。稜線が近づいてきても、意外に登りでがある。斜面がきつくなって、約1時間で稜線を踏む。前方に、雁戸山や山形神室などの蔵王の山々が目に飛び込んでくる。稜線には人が通る道のように、カモシカの通り道がついている。カモシカの足跡は、道のない山歩きの意外な指標になる。本能で、安全なルートを辿っているように思える。



登ってきた方角を振り返れば、山形の街並みの遥か西に雪の朝日連峰輝いて見える。一番右端に尖って見えるのが、今年夏に計画している障子ヶ岳。主峰大朝日が、並みいる山々を従えて聳えている。思わず感嘆の声を上げたくなる神々しさだ。

下りは頂上の左の尾根を下る。所々に小枝が出ている。姿勢を低くし、小枝をつかみながら、急坂を下る。さほどの恐怖感もなく、あっという間に林道に出る。雪解けの水が流れて、所々が凍りついている。滑らないように注意しながら、全員無事下山。9時30分登山開始。車に到着、12時45分。帰りに、風間のとんとんラーメンで昼食。先週に続いて好天のなかで、快適な雪山歩きであった。
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江雪

2018年01月19日 | 漢詩


今年の優秀吟合吟コンクールで選ばれた課題吟は柳宗元の「江雪」である。長安で改革に失敗し、湖南の永洲司馬に左遷され、その地で孤独な生活を詩に詠んだ。

千山鳥飛び絶え

万径人蹤滅す

孤舟蓑笠の翁

独り釣る寒江の雪に

詩を検索すると、この詩を画題にした南画が多数載っている。雪をいただく山中の川には、おりしも雪が降りしきっている。その川に蓑を身につけ笠を被った老人がぽつんと釣り糸を垂れている。周りには人影も、動物も、鳥が飛ぶ姿も見られない。深い孤独感が詩に漂っている。釣をしているのは、詩人とは別の老人であるが、その心象風景ということできる。翁の釣り糸にかかってくる魚はおそらくいまい。その世界は、翁をのぞいて生きるものが姿を見せない、厳しい雪の世界だ。
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花芽

2018年01月18日 | 日記


新年を迎えて早や18日、週末には大寒に入る。月末の26日あたりから、冬の最低気温となることが多いらしい。しかし、そこをこえると節分、気が早いが春が確実に近づいている。その証拠は、日の出が早まり、日没が遅くなっていることだ。冬至に比べると、日没も日の出も30程の違いがある。日照時間が早くも1時間ほど増えている勘定だ。室内の鉢に目をやると。クンシランの花芽が出てきた。まだ色もなく、モヤシのような花芽だが、花まで10日も待たないであろう。

寒雲や太芽かざすは朴と橡 石田 波郷

歌人の島木赤彦は、大正13年の1月、長野県下諏訪にある自宅で絶唱となる歌を詠んだ。このとき赤彦は49歳、この2年後の大正15年3月27二日に胃がんのため世を去った。

湖の氷はとけてなほ寒し三日月の影波にうつろふ 赤彦

昭和23年の10月、この歌は下諏訪の冨士見公園に歌碑として建立された。歌碑の除幕式には、斎藤茂吉や土屋文明、岩波書店の岩波茂雄らが出席した。斎藤茂吉は、式典が終わると講演を行った。この公園は、赤彦の奉職していた小学校のすぐ近くにある。講演の冒頭茂吉は、


「アララギの同人にには、短命の人が多いと言われております。先ず、元祖といわれる、正岡子規が36歳で、2代目といわれた長塚節が、37歳で死んだ。それから、中村憲吉は46歳で、古泉千樫は46歳でなくなった。それから、師匠の伊藤左千夫は50歳で、親友の島木赤彦は51歳でこの世を去った。・・・その他の諸君は、いずれも、ひどいのは22,3、長いので36、7というのだから、おはなしにも、なにも、なったものではありません。」

と切り出し、話すときの癖である少し舌をだすしぐさで間をとった。
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ベンジャミン

2018年01月17日 | 日記


この冬一番の寒気から一転して雨の予報。曇りでまだ雨は落ちて来ないが、気温は確実に上がっている。室内には、花はなく、ベンジャミンの葉が元気な姿を見せている。例年なら寒さで、葉が頭の毛が抜けるように落ちたものだが、今年はしっかりと枝に付いている。ベンジャミンはゴムの木の仲間で、イチジク属クワ科の常緑低木植物。インドから東南アジアの温かい地方の原産である。

観葉植物として室内に置かれて好まれている。この植物との出会いはもう30年も前のことになる。当時、私は広告代理店にいてクライアントの広告作りに携わっていた。広告写真は、仙台のスギヤマスタジオを使っていたが、そこの社長がこの観葉植物を好んで、室内の小物にいつもベンジャミンを用いていた。この社長からは、写真の知識をたくさん学んだような気がする。夜景写真を撮る時間帯が、日が落ちてまだ明るさが残っている時間帯であることや、室内の写真を引き立てるための小道具、照明の大切さなどなど。

いまベンジャミンが室内にあるのは、かっての仕事の残り少ない痕跡である。もうお金をかけた写真を撮ることもないが、デジカメで当時を思い出しながら、写真を撮るのはいくらか自分のなかのノスタルジーのなせるわざかも知れない。
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ねじまき鳥クロニクル

2018年01月16日 | 読書


村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』読了。クロニクルというのは年代記という意味である。そもそもねじまき鳥というは、架空の鳥だ。主人公の岡田亨だけがその鳴き声を聞いている。ギ、ギイ、ギイ、ギイーとゼンマイのネジを巻くような鳴き声だから、その鳥にこの名を与えられている。しかし鳥は木の葉の繁みに身をかくし、岡田自身その姿を見たことはないのだ。岡田の住まいの近くにある閉じられた小路にある空き家の庭で、ねじまき鳥は鳴いている。終戦間もない満州新京の動物園で、また廃墟になった動物園が処刑場としている現場で、人間の残酷な歴史を、ネジを巻いて動かしていく装置として、この鳥の鳴き声が使われる。そういう時間的経過のなかでこの鳥が登場するために、クロニクル(年代記)が小説の名に加えられている。

村上春樹の小説には、現実世界のこちら側と別世界のあちら側、現在と過去などの世界が重層的に語られる。妻のクミコが失踪して住む世界はあちら側である。その入口となっているのは、空き地のかれた井戸である。入口から別世界へと入っていくには、睡眠や自分では意識しない動作や道具が使われる。その壁を通り抜けると、顔に痣ができ、その痣が現実の人たちの癒しになって大金を手にするというおとぎ話のような仕掛けになっている。その別世界で岡田亨は、妻の兄と思われる男を、バットで殴り倒す。すると、現実の世界では妻の兄は、脳溢血で倒れて意識不明になる。

夫婦には本田さんという知り合いがいた。旧軍人で占いを生活の糧している人で、夫婦はその人を訪ね、色々な相談ごとをしていた。本田さんが亡くなると、彼の戦友であった間宮中尉を名のる人が岡田を訪ね、本田さんの思い出、つまり戦争の思い出を語る。この小説を重厚なものにしているのは、彼の語る戦争における残虐な恐怖体験である。ソ連の手先になったモンゴル人の処刑の方法に人間の皮剥ぎという残虐な方法があった。中尉は目の前で、仲間が皮を剥がれる場面を目撃している。

「生きたまま皮を剥がれるとものすごく痛い。想像もできないくらいに痛い。そして死ぬのにものすごく時間がかかる」

こんな説明のあと仲間は、モンゴルの専門のナイフを使って皮を剥がれる。作業が進むと仲間は悲鳴をあげ始める。それはこの世のものとは思われない悲鳴でしたと語る。後に中尉は、ソ連の捕虜となってシベリヤの炭鉱に送られる。そこで中尉はこの皮剥ぎの処刑したあの皮剥ぎボリスと再会することになる。中尉が送ってきた手紙には、日本人捕虜たちが体験した、おぞましい悲惨な実態が綴られている。

正月の退屈な時間を過ごすには、余りに刺激的な村上春樹の小説世界であった。昨年発表された『騎士団殺し』は、まだ読んでいない。今年はこの本を読むことも楽しみである。
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