常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

立雪 名古屋の棋士

2018年01月26日 | 日記


寒気が居座って、連日-5℃越えの最低気温である。久しぶりに青空が広がってうれしかったので、寒いなか公園の雪景色を撮ってきた。シャッターを押す手も痛いような冷え込みだ。それだけに、奥行きの深い青空に感動を覚えた。足跡ひとつない公園は、小鳥の鳴き声とてなく鎮まりかえっている。積雪は50cmといったところであろうか。

中学生の天才棋士、藤井聡太の活躍で将棋の話題が熱い。昨日王座戦の予選リーグで勝利を納め、2次予選の進出を決めた。今季公式戦50勝目で、史上最速を記録した。名人戦のC級2組ではすでに8勝をあげ、昇級と昇段に王手をかけた。ネットやメディアをこれほど将棋の爽やかな話題が賑わせるのは初めてのことではないだろうか。不祥事のニュースに明け暮れる大相撲とは大違いだ。

江戸時代、大橋宗桂は初代の名人になり、幕府から俸禄を与えられた。以来、将棋の名人位は世襲となり、大橋家かその外孫の伊藤家のいずれかが、名人位を継いできた。江戸も後期になり、11世大橋宗桂の門下に天野宗歩という将棋の上手が出た。世襲制のため、名人位には就けないものの、その実力は抜きんでて、名人を上回るものがあった。後に棋聖と呼ばれたが、今日の棋聖戦は、この天野宗歩に因んだものである。その宗歩の相弟子に立雪とい言う棋士がいた。彼もま大変な実力の持ち主で、宗歩に次ぐ名手として、棋界では恐れられる存在であった。

ところが、立雪は将棋は強いが素行が悪く、大橋家を追われて京都に行っていたが、そこでも落ち着けなく、名古屋に流れた。いわゆる賭け将棋というのが流行って、素人衆から金巻きあげるという悪行を行うものがいた。おそらく、立雪もそんなことに手を染めたのであろう。名古屋にはやはり宗桂門下の棋士で宇兵衛とい言う者がいた。盛んに賭け将棋を行い、素人の金を巻き上げる博徒のような所業をしていた。

土地のある富豪が、この宇兵衛に立ち向かってさんざんな目に遭っていた。負けず嫌いで、自分の力を過信したのか、さんざんに掛け金を取られても、なお一泡吹かせようと立ち向かうのであった。立雪が名古屋に来たころに、二人の勝負が一変した。途中までは、優勢で負けるはずもないと思っているところに、様子ががらりと変って手もなく負けとなる。宇平衛は、勝った掛け金を全部吐出しても足りず、蓄えを持ち出す有様であった。

宇平衛は不思議でならなかった。相手がなぜ急に強くなったか解せないのである。じっと考えているところに、隣に住む鍛冶屋がトンテンカン、トンテンカン、という槌の音が聞こえてくる。そういえば、二人が盤を挟んで勝負の向かうと、決まって聞こえてくるのであった。よく注意して見ると、隣のとの仕切りの隙間に人の気配がしている。宇平衛がそっと立って障子を開けると、子どもの姿があった。

問いただすと、奥の部屋に立雪がいて、番に向かい少年が見た盤上を知らせると、槌を叩いて音の数で次の手を知らせているのであった。宇平衛は、立雪の顔を見ると、驚いて声を上げた。「兄貴、いたづらはよしてくれ。」立雪の将棋の力は、こんなエピソードなって後世に伝わっている。正統な血筋しか認められなかった時代の、棋士のエピソードであるが、このな方法しか生きるすべがなかったことが語られている。

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大雪

2018年01月25日 | 日記


雪雲が薄くなって日が少し見えるが、寒さと降雪は続く。列島がすっぽりと冷凍庫に入ったような寒気に覆われている。この寒気は居座り、あと2、3日は続き、そのあとも断続的に入ってくる気配である。節分まであと旬日を残すのみだが、簡単には春は来ないかも知れない。寒気が去るまで、じっと家に引きこもって読書に日を送るべきか。スマホに脳トレを登録しておいたら、毎日前頭葉を刺激するクラシックという番組が送られてくる。モーツアルト「フィガロの結婚」、マーラー「巨人」などなど、約10分イヤホンをつけてクラシックの名曲に浸る。こんなに楽しいことで脳が活性化されるなら、これほど素晴らしいことはない。

深雪道来し方行方相似たり 中村草田男

青空文庫で石川啄木の『雪中行 小樽より釧路まで』を読む。啄木が初めて経験した、北海度の雪の中を行く、汽車の旅である。札幌の雪景色が、懐かしく書かれている。「降りしきる雪を透かして、思い出多き木立の都を眺めた。外国振りのアカシア街も見えぬ。菩提樹の下に牛遊ぶ「大いなる田舎町」の趣きも見えぬ。降りに降る白昼の雪の中に、我が愛する「詩人の市」は眠っている。」

都心にも積雪のニュースを見て、東京にいる孫に、使い慣れないラインで「雪大丈夫?気をつけてね」と送ってみた。ほどなく返信が来て、「ありがとう、大丈夫だよ。今のところは」とあった。それにしても、普段降らない地方での積雪は、車や電車など交通機関を直撃する。テレビのレポーターが中継している10分ほどの間に、6台もの車の玉突き事故が起きていた。
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楢山節考

2018年01月24日 | 読書


深沢七郎の『楢山節考』の存在を知ったのは、1957年(昭和32年)の高校の教室であった。国語の先生に、金倉美慧さんが赴任して、その授業のなかで教わったのだ。この小説は、1956年に中央公論の11月号に中央公論新人賞の受賞作として発表された。金森先生は、文学に造詣がが深かったのであろう。この小説を大変な傑作として、熱く語っていたのを今も思い出す。確か近村のお寺に生れ、いつか後を継がねばならないと話されていたように思う。

金森先生の授業は、作文を宿題として出されることが多かった。先生は何故か、私の書いた作文を気に入り、言葉を尽して褒めてくれた。それが機縁になって、いつかものを書くことが好きになり、この年になってもこうしてブログを書き続けているのも先生のおかげであるかも知れない。先生は、文学を勉強しながら、小説を書くことを目指していたような気がする。同じく、母校で教鞭をとった先生に須知徳平氏がいる。この人は、『春来る鬼』を書いて作家となった。

楢山というは、信州の名もない山村にある楢の木ばかりの山である。楢山まいりは、70歳になった老人を背負ってその山に置いてくることである。棄老伝説をテーマとする小説で、このなかに一貫して流れるののは、その姥捨てをテーマにした「楢山節」の民謡のメロディーである。

夏はいやだよ
  道が悪い
むかでながむし
  山かがし

塩屋のおとりさん
  運がよい
山に行く日にや
  雪がふる

主人公は、今年69歳になるおりんである。息子の辰平は妻を亡くし、3人の子がある。りんは、山へ行く前に、息子の後添えを決め、山入りのふるまい酒やご馳走の準備に余念がない。ひとつだけ悩みがあった。年に似合わず丈夫な歯を持ったことであった。老人は歯が抜け、食が細くならなけれならないのだ。人知れず火打石を歯に打ち付けては、折る試みを繰り返していた。後にこの小説は映画化されるが、その主役をつとめたのは音羽信子である。音羽は役作りのため、健康な歯を折り、悲壮な演技が話題を集めた。

神の住む山である楢山は、いたるところに人骨が散らばり、カラスが餌を探してむらがっていた。辰平の背に負われて、楢山に着き、岩陰に筵を敷く場所を決めると、りんは黙って辰平の背をポーンと叩いた。早く去れ、という合図である。辰平はりんをふり返りもせず逃げるように山を下りた。楢の木の間に白い粉が舞っていた。「あっ」と辰平は声を上げた。雪は乱れて濃くなって降って来た。わしが山へ行くときは雪が降るぞ、かねて口癖のように言っていたおりんの言葉どおりの雪になった。
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雪景色

2018年01月23日 | 日記


都心に雪が降って、テレビニュースは大騒ぎだ。たしかに、新雪をかぶるビル群の光景はめったに見られない光景だ。深夜雪の積もった坂に、スノボーやスキーを持ち出して興じる若者もいた。したり顔のレポーターが、路上でスキーは危険なのでいけませんと、無粋なことを言っていた。珍しい雪に遊ぶのは、それほど非難されるようなことでもないような気がする。

雪景色は、雪国でも毎日その表情を変える。積雪、日光、気温、空の状況が変われば、おのずと雪の景色も変化していく。日室内に射してくると、急いでベランダに出て景色を見る。10分ほどで、風景は変っていく。

「雪の面には木々の影がいくすじとなく異様に長ながと横たわっている。それがこころもち紫がかっている。どこかで頬白がかすかに啼きながら枝移りしている。聞こえるものはたったそれだけ。そのあたりには兎やら雉やらのみだれた足跡がついている」(堀辰雄「雪の上のあしあと」)
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ロング・グッドバイ

2018年01月22日 | 読書


チャドラーの『ロング・グッドバイ』を村上春樹の訳で読んだ。今回も小説の面白さに引き込まれて、本を置くことができない状況であった。寒い冬の日は、こんな面白い長編小説を読む時間に恵まれている。フィリップ・マーロウは、この小説に出てくる事件の謎を解く私立探偵である。小説は探偵でマーロウが、泥酔した男が乗っていた車から路上に放り出されているのを助けるところから始まる。この男はテリー・レノックス。映画関係の仕事をしているとのことだが、億万長者の娘を妻にしている男であった。

アルコール中毒に苛まれる男たち。ベストセラー小説の作家のロジャー・ウエイドも酒に溺れている。私立探偵は、レノックスの妻の殺害に続いて、作家ウエイドの死という血なまぐさい事件に巻き込まれる。この小説は1953年、チャンドラーが53歳のときに書かれたものだが、まったく時代を感じさせない。探偵がバーに立ち寄って女たちに会う場面、作家の家に仕えるハウスボーイなど、今の時代がそのまま描かれているような錯覚に陥る。

チャンドラーの父はアイルランドの血をひくクエーカー教徒で、鉄道に勤めるエンジニアで各地を転勤した。母もアイランドから来たクエーカー教徒であった。父には飲酒癖があり、家を空けることが多く、家にいるときはいつも泥酔していた。その結果両親は離婚し、チャンドラーは7歳で、母に連れられイギリスに渡る。イギリスで公務員の資格をとり、海軍省に勤めた。しかし、チャンドラーはこの事務の仕事が退屈で、文筆をこころざしてアメリカに戻った。しかし第一次世界大戦が始まると、チャンドラーはカナダ軍に入隊し、ナチスととの戦争に従軍することなった。

チャドラーは1939年に書いた『大いなる眠り』を皮切りに、7作のマーロウものと言われる探偵小説を書いた。なかでも、『ロング・グッドバイ』はそのなかの最高傑作と言われる。チャンドラーも父の血を受け継いだのか、自らの酒癖にも悩まされることになった。妻の闘病の間に書いたものだが、自身の戦争体験やアルコールの恐ろしさを登場人物の死や失踪にからめて書いている。村上春樹がこの小説家の手法に学んだことを、そのあとがきに書いている。
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