寒気が居座って、連日-5℃越えの最低気温である。久しぶりに青空が広がってうれしかったので、寒いなか公園の雪景色を撮ってきた。シャッターを押す手も痛いような冷え込みだ。それだけに、奥行きの深い青空に感動を覚えた。足跡ひとつない公園は、小鳥の鳴き声とてなく鎮まりかえっている。積雪は50cmといったところであろうか。
中学生の天才棋士、藤井聡太の活躍で将棋の話題が熱い。昨日王座戦の予選リーグで勝利を納め、2次予選の進出を決めた。今季公式戦50勝目で、史上最速を記録した。名人戦のC級2組ではすでに8勝をあげ、昇級と昇段に王手をかけた。ネットやメディアをこれほど将棋の爽やかな話題が賑わせるのは初めてのことではないだろうか。不祥事のニュースに明け暮れる大相撲とは大違いだ。
江戸時代、大橋宗桂は初代の名人になり、幕府から俸禄を与えられた。以来、将棋の名人位は世襲となり、大橋家かその外孫の伊藤家のいずれかが、名人位を継いできた。江戸も後期になり、11世大橋宗桂の門下に天野宗歩という将棋の上手が出た。世襲制のため、名人位には就けないものの、その実力は抜きんでて、名人を上回るものがあった。後に棋聖と呼ばれたが、今日の棋聖戦は、この天野宗歩に因んだものである。その宗歩の相弟子に立雪とい言う棋士がいた。彼もま大変な実力の持ち主で、宗歩に次ぐ名手として、棋界では恐れられる存在であった。
ところが、立雪は将棋は強いが素行が悪く、大橋家を追われて京都に行っていたが、そこでも落ち着けなく、名古屋に流れた。いわゆる賭け将棋というのが流行って、素人衆から金巻きあげるという悪行を行うものがいた。おそらく、立雪もそんなことに手を染めたのであろう。名古屋にはやはり宗桂門下の棋士で宇兵衛とい言う者がいた。盛んに賭け将棋を行い、素人の金を巻き上げる博徒のような所業をしていた。
土地のある富豪が、この宇兵衛に立ち向かってさんざんな目に遭っていた。負けず嫌いで、自分の力を過信したのか、さんざんに掛け金を取られても、なお一泡吹かせようと立ち向かうのであった。立雪が名古屋に来たころに、二人の勝負が一変した。途中までは、優勢で負けるはずもないと思っているところに、様子ががらりと変って手もなく負けとなる。宇平衛は、勝った掛け金を全部吐出しても足りず、蓄えを持ち出す有様であった。
宇平衛は不思議でならなかった。相手がなぜ急に強くなったか解せないのである。じっと考えているところに、隣に住む鍛冶屋がトンテンカン、トンテンカン、という槌の音が聞こえてくる。そういえば、二人が盤を挟んで勝負の向かうと、決まって聞こえてくるのであった。よく注意して見ると、隣のとの仕切りの隙間に人の気配がしている。宇平衛がそっと立って障子を開けると、子どもの姿があった。
問いただすと、奥の部屋に立雪がいて、番に向かい少年が見た盤上を知らせると、槌を叩いて音の数で次の手を知らせているのであった。宇平衛は、立雪の顔を見ると、驚いて声を上げた。「兄貴、いたづらはよしてくれ。」立雪の将棋の力は、こんなエピソードなって後世に伝わっている。正統な血筋しか認められなかった時代の、棋士のエピソードであるが、このな方法しか生きるすべがなかったことが語られている。