常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

向日葵

2018年07月25日 | 日記

 

向日葵には青い空が似合う。ギラギラと

した太陽の陽ざしが照りつけると、それ

を力に大きな花を咲かせる。長い少雨で

元気のなかったアジサイ、草木の丈さえ

伸びずいるコスモス。それらに比べて向

日葵の逞しさは、圧巻といえる。

 

向日葵を詠んだ詩歌といえば、やはり

前田夕暮の和歌の右に出るものはないよ

うな気がする。

 向日葵は金の油を身にあびて

 ゆらりと高し日のちひささよ 夕暮

夕暮はギラギラ照りつける陽ざしを金の

油と表現した。その花の大きさは、太陽

を小さく見せるほどである。こんな歌に

ふれると、暑い夏も満更ではない。暑さ

に負けず体を動かそうという気が起きて

くる。もう数旬で秋の気配が出てくる。

その時になって感じるは、夏が去って

いく淋しさだ。

 

このところの暑さに対する報道は、あま

りに通り一遍のような気がする。健康な

人も弱者も、その対策は一様だ。もっと

人それぞれの工夫や多様な対策があって

いい。クーラーのない時代、古人が緑陰

で風を受けて、暑気を払った例もある。

家のつくりでも、夏を旨とせよと、風の

通りを工夫したのは日本人の知恵である。

楽しみながら、この夏を乗り切って、

味覚の秋を迎えたい。

 

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尾花沢スイカ

2018年07月24日 | 日記

尾花沢の親せきからスイカが届いた。

毎年、初もぎのものを箱に詰めて送って

くれる。今年は、いつもの年よりやや

早い収穫であったような気がする。

届くのは小玉である。妻のいとこたち

も高齢化で、大玉のスイカを扱うのは

辛くなっている。小玉でも、品種が

改良されて甘い。冷蔵庫に入れるのも

小玉の方が適している。

 

昔、子どものころ、スイカはお盆の

ご馳走の主役であった。冷たい水に

冷やした大玉のスイカを割ると、

大勢の家族が集まってくる。真ん中

の大きく切れたのが、一番おいしい

というのを皆が知っている。

長幼の序というものがあった。一番

おいしいところは長男が、次は可愛

がられてきる末の男の子が、次は

その他の男の子、女の子は端の方

を食べていたような気がする。

 まだきより西瓜常陰の井にて冷ゆ

 (中尾 白雨の句)

 

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河童忌

2018年07月23日 | 日記

数えてはいないが、35℃以上の猛暑日が

もう10日以上も続いているような気がす

る。猛暑は、高齢者や若年者などの健康

弱者を直撃する。熱中症で緊急搬送され

る人の数もうなぎ上りだ。おりしも、今

日、24節季の大暑。暑さのピークがいつ

まで続くか、まだ見通せない。

 

昭和2年の7月は、記録によると11日に

梅雨が明け、その後連日暑さが続き、

22日、23日は35、6度という猛暑にな

った。今年の暑さに似ている。24日未

明からは、前線の通過で雨が降り、気

温が下がった。

芥川龍之介が、服毒自殺を図ったのは、

ちょうど雨の降りだすころであった。

精神を犯されていた芥川のいら立ちを

募らせ、ついに自殺の引き金を引かせた

のは、このうち続く暑さのせいであった

かも知れない。

 

芥川が小説『河童』を発表したのは、

この自殺した年、昭和2年の2月の

ことである。ある精神病患者が語る河童

の話である。この患者は、日本アルプス

の穂高岳へ登ろうとして、上高地の温泉

宿の泊まっていた。朝、宿を立って梓川

沿いの登山道を登って行った。ところが

この日は霧が立ち込め、視界がよくない

、その上霧はその濃さを増すばかりであ

る。患者は登山をあきらめ、川音をたよ

りに梓川へ下った。そこで見たのが、

河童である。話は、河童に連れられ、そ

の集落に案内され、会話をしながら、河

童と人間の違いや文明論が縦横に語られ

る。どうやら、患者が河童と出会った地

点はあの河童橋のあたりであったらしい。

 

明日、24日、芥川の命日が河童忌とされ

るのは、この小説の題名による。奇しく

も来月、この梓川沿いの登山道を登って

槍ヶ岳へ登る計画をしている。この話か

ら90年後、果たして河童と会うことが

できるであろうか。

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西吾妻山

2018年07月22日 | 登山

この一週間で、日本百名山を3座登頂する

ことになった。これが39座目ということ

になる。今回登った山は標高2035mの

西吾妻山である。

深田久弥が登った時代とは、大きく異なり

ロープウェイとリフト3台を乗り継ぐと、

白布の駐車場から、30分ほどで北望台

(標高1820m)に着く。

リフトなど全く無かった時代、深田久弥

は友人と二人白布高湯からスキーを履い

て樹林帯の急坂を登った。深田久弥は、

「人形石の峰の上に立つと、当の西吾妻

山は気の遠くなるほど遥か向こうにある。

そこまで行く山稜は、稜線というより広

大な高原で、ここへきてはじめて吾妻山

西部の雄大なスケールを見た」とその著

『日本百名山』に記している。

この日、この山行に参加したメンバーは

7名。内女性4名。深田久弥は、山頂まで

一人の登山者にも合わなかった書いてい

るが、土曜日とあって多くの家族連れや

仲間と登山を楽しむ人々が大勢いた。う

ち続く猛暑もここでは下界より8℃ほど

低い。高原を吹き抜ける風も涼しく、暑

気払いにはもってこいだ。

8時20分、ロープウェイに乗る。2時間

ほどで梵天岩。今日の見どころは、大凹

のお花畑である。ここへ来るまで、黄色

のオトギリソウ、白いモミジカラマツな

どを見ているがコバイケイソウ、チング

ルマも花期を終えたようだ。

大凹に入って気持ちのいい高原の風景であ

る。遠景にワタスゲの穂が揺れ、コバイケ

イソウの白い花が混じる。足元に咲くミヤ

マリンドウの紫やオトギリソウの黄色い花

が目に入ってくる。涼しい風が吹き抜け、

この場に似つかわしくないホシガラスのド

スの聞いた啼き声が聞こえてくる。束の間

ののんびりとした時間が過ぎていく。

先週登った金峰山の景色を思い出す。花崗

岩の大塊とシラビソの樹々が景色を形づく

ていたが、この山の標高2000mでのこの

やさしい景色はどうやってできているのだ

ろう。

カメラをワタスゲに近づけて見た。穂は

風に吹かれて飛んでいこうとしている。

湿原の広い草原いっぱいに、わたすげの

やさしい風情に癒される。

湿原付近の山道は板を敷いて、歩きやす

くしてくれている。ここを抜けると急な

石礫の道を登ると、ほどなく山頂に着く。

リフトを降りて2時間30分、一行は快調

なペースで登頂できた。

下山して天狗岩で昼食。

帰路、ホシガラスの一団に出会った。

この鳥は渡り鳥ではないが、夏高山で

見られることが多いので夏の季語になっ

ている。恋の季節でもあるのか、啼き

交わしながら飛ぶ姿は美しい。ただ、

鳴き声は威嚇するようなギャーという

声を連発すのみで風情はない。

 星烏つぶてとなりて霧に消ゆ 冬霞

2時30分、楽しい山歩きを終えてリフト

へ。ロープウェイ駅の近く、白布森の館

で入浴。380円。

 

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カボチャ

2018年07月20日 | 日記

今朝、坊ちゃんカボチャを4個収穫した。

肌の色合いを見ると、少し採るのが早

過ぎたかも知れない。カボチャの造形

が素朴で、写真に撮るのが好きだ。そう

いえば武者小路実篤も、好んでカボチャ

をスケッチしていたように思う。

 かぼちゃ咲き貧しさがかく睦まする 

能村登四郎の句である。

カボチャには貧困の記憶がつきまとう。

戦争が終わってすぐ、食べ物は畑の

カボチャばかりであった。どこの家庭

でも、主食カボチャ、間食にカボチャ

であった。

学校で友人と握った手を広げて見せ

あった。どの手にも、黄色いカボチャ

のカロテンの色素が浮き出ていた。

成人してからしばらくの間、この記憶

のせいでカボチャを敬遠していた。

カボチャが身体にとても良い食物で

あることがだんだん分かってきた。

カーパー著『食べるクスリ』の

カボチャの項を読むと、「一日に

カボチャを半カップ相当量食べれば

肺がんのリスクが半減する」と記載

されている。

また、カロテンが制ガンに働く秘密

は、抗酸化栄養素として活性酸素の

フリー・ラジカルを襲い無害化する

ことにあると多くの科学者が考えて

いると指摘し、カボチャに限らず

ニンジンなどの黄色野菜が血管の

老化を防ぎ、ガン予防に有効な

食べ物であることを説いている。

 

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