常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

尾瀬ヶ原

2018年09月12日 | 登山

9月10日、尾瀬の旅は至仏山から尾瀬ヶ原へ

と舞台を替えた。山の鼻小屋から、龍宮、そ

してアヤメ平、富士見平を経て、鳩待峠と戻

る尾瀬ヶ原周遊である。昨日までの天気予報

では、雨の降る心配があったが、空はどうや

らゴールまで持ちそうという期待を込めた判

断でこのコースを選んだ。遥かな尾瀬は、そ

う簡単に再訪がかなわないため、正しい判断

であったように思う。尾瀬ヶ原の湿原は、も

うすでに草紅葉が始まっている。池塘には、

名高いヒチジグサが浮いている。よく見ると

葉のわきに花の蕾がついている。これから、

ひと花咲かせるのであろうか。ヒツジグサは

スイレン科で、水底の泥のなかに根茎があり

長い柄を伸ばして葉を水に浮かべる。羊の刻

に花を開くからこの名があるというのは俗説

で、日がさす日中に花が咲く。「ひつじぐさ」

は歌となって「真白き富士の峰」などととも

に愛唱された。

おぼろ月夜の 月明かり

かすかに池の面に落ち

波間に浮かぶ数知らぬ

ひつじぐさをぞ照らすなる

メロディは誰もが知る「琵琶湖周航の歌」。

それゆえに、この湖面の可憐な花が有名になっ

たのかも知れない。

龍宮十字路まで、尾瀬の秋の、景色に魅入られ

る。そこから富士見平まで、ゆるいが登りの傾

斜が続く。ここの標高1800m、月山の頂上と

ほぼ同じである。

突然、カメラの電池が終わる表示が出る。こ

こから、写真はスマホに頼らざるを得ない。

富士見平はその名の通り、ここから南の方角

に富士山が見える。しかし、ガスはますます

深く、風が強く、小雨が降ってくる。一同雨

具を着込み、雨に濡れた木道を下る。木道は

濡れると滑って危険である。ある山小屋で聞

いたが、山中の怪我は木道での転倒が半数以

上を占めるという。靴底を全面木目に着け、

注意して歩くが転倒を3回も繰り返して落ち

こむ。幸い、怪我をするような転倒にはなら

ない。そういえば、大正15年に至仏山からの

下山で深田久弥も滑る道に転倒を繰り返した。

「よく滑る沢だと聞いていたが、沢を下り切

る切るまでに皆何回か滑り転んだ。やった!

と思うともう転んでいる。失敗ったというよ

りも巧くかけられたという気がして、腹が立

つよりむしろ可笑しくなる。」同じ「至仏山」

に書いている深田の感想だ。鳩待峠には13時

20分に着く。雨は次第の本降りになった。バ
ス待合所で、ソフトクリームを食べる。今回

の参加者7名。内女性4名。

 

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尾瀬の秋

2018年09月11日 | 登山

尾瀬には懐かしい思い出がある。まだ入社し

て間もない1970年ころ、同僚にコーラスを

している男がいた。その人が口ずさんでいた

のが中田喜直が作曲した「夏の思い出」であ

った。その歌詞に惹かれて尾瀬の行ってみた

いと、痛切に思った。今日、喜寿を過ぎてな

お山に登り続けるのは、このときの渇望に似

た切な過ぎる思いが、なお心の底に生き続け

ている故であるかも知れない。

 

夏がきうれば思い出す

はるかな尾瀬とおい空

きりの中に浮かびくる

やさしい影 野の小路

みず芭蕉の花が咲いている

夢見て咲いている水のほと

しかし、この歌の通り、車のない時代の尾瀬

は遥かな地であった。山登りを初めて、今回

で3度目の訪問であるが、その深い山並みに

抱かれた湿地は、その度に大きな感動を与え

てくれる。

今回は、天気の都合で、9日に至仏山に登り

翌日山の鼻小屋から、富士見平を歩く日程と

なった。

戸倉の駐車場に車を置き、シャトルタクシー

が鳩待峠の登山口に着いたのは、7時15分、

装備を整えて、至仏山への登山を開始したの

は7時38分であった。笹が生える登山道には

木道が敷かれ、その先のダケカンバやコメツ

ガの林は、霧のなかである。「夏の思い出」

に歌われている通り、尾瀬ヶ原は霧の似合う

登山道であった。

深田久弥が初めてこの地を訪れたのは、大正

15年10月である。このとき、深田とその仲

間は利根川をさかのぼり、湯ノ小屋で温泉を

使い、沢筋を詰めて至仏山の頂上を目指した。

今のように木道を敷き、脇の笹や雑草を刈り

払った登山道があるわけではなかった。滝の

飛沫を浴び、渓流を渡渉し、岩に摑まり、露

出して滑る蛇紋岩に足を取られ、息を切らし

ながら登っていった。

我々は霧の中の樹林帯を過ぎ、板敷の階段を登

り、次第に森林限界を超えて、尾根道に上がる。

ここで、日曜日だけに、大勢の登山者が行列を

なして至仏山を目指していることが分かった。

特に目をひくのは、若い世代のグループ登山で

ある。地元の若人に加え、関東、東京方面の人

々が多い。霧の切れ間から、尾根の左に深い渓

や緑の山が顔を出す。しかし目指す至仏山の頂

上はなお霧のなか。

深田のグループは、尾根から頂上を見て素晴ら

しい紅葉に出会ったいる。

「悠揚たる至仏の全容が現れた。満山の紅葉だ。

その間に点点と浮島のように岩石が聳立してい

る。優美な紅葉の色調と、それを緊めるような

峻厳な感じの厳石と、双方相俟って実にみごと

な眺めだった。」深田久弥は、『わが山山』の

「至仏山」の項のこう書き記している。

我々は、行違う登山者とあいさつや言葉を交わ

しながら頂上に向かう。やっと頂上と思うと、

頂上はその先である。2度、3度と頂上を思い

違えた。「今度違ったたら、笑ってしまうね。」

と仲間の一人が言う。先頭に立っていたリーダ

ーが手を差し出して握手を求める。そここそが、

歩き続けた頂上であった。

歩きはじめて4時間あまり、頂上へ着いたの

は11時10分。眼下に見える筈の尾瀬ヶ原も

目の前の燧ケ岳も霧のなかに隠れていた。風

が吹いて肌寒い感じがする。ここでの昼食は

避け、少し下って岩陰で風を避けながらとっ

た。帰路は高天ヶ原を通らず、往路をピスト

ンする。このコースは蛇紋岩が露出して、急

坂な上滑りやすい。多くの登山者が危険を避

け、岩でなく草地を歩くようになったために

荒廃し、しばらく通行禁止であった。近年再

開されたものの、下山でこのコースを使うこ

とは禁止されている。鳩待峠からの登山道で

大きな荷物を背負った歩荷の姿が見られる。

尾瀬では、自然保護の意識が強い。ヘリコプ

ターで荷揚げを減らし、今なお人力による荷

上げが行われている。湿地はもちろんのこと

山中でも木道が多く敷かれている。これも、

人が歩くことで、山の自然破壊を減らす工夫

である。確かに自然の石道に比べると歩きや

すいのだが、木道を歩きなれない身には、や

はり疲れる。15時9分、鳩待峠まで下る。こ

の日は、さらにここから山の鼻小屋までの木

道を歩く。16時20分、小屋着。何よりも汗

を流す風呂がうれしい。このひと風呂で、一

日の疲れも流されていく。5時夕食、この日

も生ビールのジョッキで乾杯。

 

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舞茸

2018年09月08日 | グルメ

キノコの季節である。山道を散歩していると、時

々キノコが出ているのを見るようになった。舞茸

は高山のミズナラの樹に出るが、これを見つけた

人は余りのうれしさに舞って喜ぶことから、この

名がついたと言われている。もう20年以上も前の

ことだが、秋田の虎ヶ山に登ったとき、仲間の一

人がこの天然舞茸を見つけた。登山道から見えて

いた部分はそれほど大きくないのだが、樹の裏の

方にも出ていて、採り切るのに3人がかりであっ

た。見つけた人のものか、採った人のものか、意

見が割れて、その山行は気まずいものになった。

天然の舞茸は深い山へ行かなければ採れないし、

買おうとしても高価で、貧乏人の口には入るもの

ではない。しかし、スーパーで栽培物が安価で手

に入る。香りは天然にかなわないが、おいしさも

その健康成分も天然ものに少しも劣らない。テレ

ビの番組で、この舞茸が血糖値を下げる効果があ

ると報じた。食前15分に、舞茸50㌘を裂いて焼

き塩をパラパラと振って食べるだけなのだが、1

週間これを続けたところ、血糖値が見事に下がっ

た。何でも、舞茸にはMX-フラクションという成

分があり、これが血中のブドウ糖を過剰にグリコ

ーゲンに変えるのを抑える性質があるうえ、イン

スリンの感受性レセプターを調整する作用を持っ

ているために、血糖値を下げるらしい。舞茸は食

物繊維を豊富に持ちミネラルもたっぷりと含んで

いるので、免疫性を高めたり便秘の解消に有効と、

いいことづくめの食品なのだ。

さっそく隣のスーパーで買って試したところ、効

能は別にして、焼き舞茸がたいへん美味であるこ

とが判明、当分朝食前に、50㌘の舞茸を食べるこ

とを習慣づけることにした。

さらにつけ加えると、ガン細胞の増殖を抑える効

果もあるらしい。

 

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小さい秋

2018年09月07日 | 日記

秋明菊が咲くと秋が来た思う。まだ万朶とは

いかないが、非対称の花がかわいいし、淡紫

色のはなが好きだ。近所で庭に植えているお

宅があるので、もう咲くころかと、気にしな

がら散歩している。台風は大きな爪痕を残し

て去っていったが、そのあとを追うように秋

の冷たい前線が張り出して来た。そして周り

には秋の花が咲き、実が稔る。秋明菊はその

名からキク科を思わせるが、キンポウゲ科の

花で中国から渡来し、京都の貴船あたりで多

く栽培されたので、別名貴船菊の名がある。

おもざしの思ひ出だせず貴船菊 飯名 陽子

秋の実は食欲を増進させる。先日梨をいただ

たばかりだが、庭先のイチジクはおいしそう

な色を見せている。

それにしても、収穫するばかりであった名産

の刈谷梨が、台風の襲来で多く落下したのは

惜しんでもあまりある。梨がなぜこうも甘い

のか。梨を作っている農家の努力があってこ

そのことだ。雪の中で行う枝の剪定に始まっ

て、おいしい梨をつくる努力は我々の想像の

及ぶところではない。実を甘くするためにど

んな肥料をどのくらい、いつ頃に施すのか、

その努力の範囲は、農作業という領域を超え

てしまっている。

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多発する災害

2018年09月06日 | 日記

9月1日は防災の日。大阪に大きな爪痕を残

した台風が去って、ほっとするのも束の間、

今度は北海道を震度6強の地震が襲う。9月

は歴史に残るような災害が発生した月である

が、こう災害が続くと、気力も失せる。こう

した自然の猛威の前には、人間の力のなさを

思い知らされるばかりだ。被災された方々に

は、力を落とさずに生き抜いていかれること

を願うばかりだ。

北海道のライン仲間と姪に、ラインで様子を

聞く。通信は支障なくつながった。ラインを

ツールにして、電気の復旧情報をやり取りし

ているのを見るのは心強い。全道がすべて停

電という事態は、電気を頼りきっている生活

には、一刻も早い復旧が必須だ。それにして

も思い出すのは、3.11の東日本大地震の際の

停電である。夜外へ出てみると、漆黒の闇に

空の星が美しかった。たちまちの内に、食品

の姿が消えていくコンビニの陳列棚。ガソリ

ンスタンドに連なる給油待ちの車の列。いま

北海道でそんな光景が広がっている。

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