常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

カサブランカ

2019年07月26日 | 

咲きそうになって三日、なかなか花を開かなかったベランダのカサブランカがついに咲いた。しかも一気に5輪、あたりに芳香がただよっている。この花は数年前、植木市で買った球根が、毎年花を楽しませてくれる。現在の気温32℃、夏の陽ざしが花を咲かせたようだ。カサブランカの花は日持ちがする。花を開いてから、3日はいい状態の花を見せ続ける。

カメラを替えた。いままでのものは山で撮影中に、石の上に落としてから鮮明な画像が得られなくなってしまった。オリンパスのペンライトだが、一つ方の新しいものが、中古で修理費程度の値段で求めることができた。撮影してみて、満足のいくシャープさだ。スマホの写真がよくなっているので、スマホで撮影することも多くなっていたが、このミラーレスで、一から撮影術を習熟させていくつもりだ。


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コキア

2019年07月25日 | 日記

梅雨末期、昨日は24節季の大暑であったが、激しい夕立に見舞われた。他所の畑で栽培されているコキアの緑が一段と濃くなった。秋、美しく紅葉するのが楽しみだが、この緑も悪くない。コキア、昔呼びなれた名はホウキ草である。枯れた枝を束ねて、庭を掃くホウキに利用した。それよりも、熟した実をトンブリにして食べた。農家では、実を食べるくらいどこの家でも栽培していた記憶がある。

隣室に人は死ねどもひたぶるに箒ぐさの実食ひたかりけり 斎藤茂吉

斉藤茂吉は、トンブリが好物であった。明治42年に、腸チフスで入院したときに詠んだ歌である。当時、腸チフスと云えば大病、いったん患えば生還が危ぶまれた。そんな、死と隣り合わせの病室で、茂吉はしきりに好物のトンブリを食べたいと思った。この歌には、茂吉自身の命への哀惜の感情が流れている。

トンブリは畑のキャビアと呼ばれている。飢饉の年、秋田でホウキ草の実を加工して、トンブリにした。その食感は、プリプリとした歯触りで、魚のタマゴを思い出させる。トロロイモとの相性がよく、すりおろしたトロロにトンブリを乗せて食べる。秋田の郷土食となっていて、秋田を旅した人は、この食材に出会っていることであろう。

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カボチャ

2019年07月24日 | グルメ

梅雨明けが現実のものになって、菜園では実物野菜が採れ始めた。ズッキーニがカボチャの仲間であることは広く知られているが、本家のカボチャには、食べる前の形や色に感動的な美しさがある。武者小路実篤が絵に描いて誰もが知っていることだが、自然の造形の神秘さにはいつも驚かされる。元なり、末なりという言葉があるが、枝が伸びて最初に花をつけたところにつける実が元なりで、末なり枝の先の方の実だ。採れる場所で味は異なり、元なりの次の二番なりが、上とされている。「うらなり、かぼちゃ」という囃しことばはちょっと足りない間抜けものに対して使われきた。

戦後、食糧難の時代に、米の代用食として食卓にのぼったのはカボチャだ。小学校の弁当の時間に、校長先生が皿に煮たカボチャを山盛りにして食べていたのを今も思い出す。そんな時代の記憶が、囃し言葉を生んだ背景である。しかし、飽食の時代になって大いに見直されているのがカボチャだ。黄色い果肉は、多くのベータ・カロテンを含み、そのカロテノイド色素は、医学の研究によって抗がん作用があることが明らかになっている。

カボチャと同様の力を持った野菜は、ニンジンとサツマイモだ。カボチャを一年中食べるのは無理でも、ニンジンやサツマイモを交互に食べる機会を増やせば、ガンのリスクは半減される。今朝、収穫した坊ちゃんカボチャを味噌汁にして食べた。実は半分以上汁に溶け込んで、黄色な味噌汁になったが、充分においしい味噌汁になった。

丸元淑生の『スープ・ブック』から、カボチャのスープを紹介する。カボチャ1/2個、牛乳、黒コショウ、塩いづれも適量。小さく切ったカボチャを少量の水で蒸し煮。煮えたカボチャをミキサーにとり、牛乳を加えながらぽってりとしたピューレにする。鍋にもどして弱火にかけ、コショウと塩で味をつけて出来上がり。ピュアなカボチャの甘さが感動的だ。

かぼちゃ咲き貧しさがかく睦まする 能村登四郎

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鳥海山(2)

2019年07月22日 | 登山

明け方になって、雨が小屋の屋根を打つ音が聞こえてきた。雨か、今日の山歩きが雨のなかかも知れないという不安がよぎる。数分後には、雨の音は消え、窓から朝の光がさしこんできた。外へ出て見る。もう雨は止み、朝焼けの雲と虹が見えた。大勢の人が外に出て空の変化に歓声を上げている。気温もそれほど下がっていない。夏の登山で迎える朝だ。次第にまわりが明るくなると、鳥海山の新山が目前に迫ってくる。

朝食は5時30分。卵かけご飯、味噌汁、煮物と簡単だが、山小屋で食べるのは一味違う楽しみでもある。早々に食事を済ませて、頂上(新山)を目指す。3名の女性のグループが降りてくる。雪渓の方へ下る道の道標が分からず、登った道に引き返したとのこと。週末に加えて、花の見ごろということで驚くほどの人がこの山に入っている。四国からバスで来たツアー、神戸や大阪など関西の人も多い。神戸から来たという老夫婦は、重い足取りだが、一歩、一歩と歩を進めている。先に歩く奥さんが心配そうに夫に目を配っている。「内の75歳なんです。」と語る。70歳を超えた老夫婦が、ここへ来るという、心意気に感心する。

岩峰の新山を1時間と少しで往復する。心配した雪渓のルートも、三角錐の頂上を巻くように安全に下る。私の本棚には烏賀陽さん夫妻の『ゆっくり山旅』という本がある。80歳になるご主人が、鳥海山を登ろうと言い出した。梅雨明けの鳥海山で、山の花を堪能することが目的であった。この本が書かれたのは1987年のことである。実に32年前のことであるが、驚いたことに、書かれた内容は、今回登った山と違いがないことだ。七五三掛から外輪山を通り、頂上小屋に下っている。ご夫妻は止められて新山の登頂は果たさなかったが、千蛇谷の雪渓を下って、七五三掛へと辿っている。

この時、外輪山の断崖から石がゴロゴロと落ちてきた、書かれている。我々も雪渓の上に落ちている石を目にしたが、30年前にもこの大地の活動は変わっていない。ご夫妻の山歩きは、本の題名でもある通りゆっくりしたものだが。朝6時40分に小屋を出て、鉾立口には15時30分についている。そこまでに目にした花は、イワブクロ、アキノキリンソウ、イワギキョウ、アオノツガザクラ、チョウカイフスマ、ハクサンフーロ、シナノキンバイ、ニッコウキスゲ。聞いた鳥の声は、ビンズイ、ウグイス。

千蛇谷の雪渓から、振り返ると頂上小屋への最後の急坂が見えている。大勢の人々が息を弾ませながら登っていく。登山口からの長い道のりの後の急坂だ。マップタイムは1時間となっているが、疲労がたまった足には辛いものがあろう。やはり、ゆっくり歩く、というのが我々高齢者のキーワードだ。年老いて足を痛めているが、若いころの思い出を再現したく足を引きずりながら歩く人もいる。夏の陽ざしのなか微風に揺れる高山の花々、目を海に転じるとクジラが泳いでいるような飛島。

ここにして浪の上なるみちのくの鳥海山はさやけき山ぞ 斎藤茂吉

七五三掛を過ぎ、急坂を下り切ると、小高い扇子森が見えてくる。向うに見える山並みは笙ヶ岳だ。鳥海湖も森の蔭になっている。もう難所は過ぎた。お浜小屋で水を買い、一休みする。あとは石畳の道を、疲れた足をかばいながら淡々と下っていく。13時、全員無事鉾立駐車場に着く。本日の参加者6名、内男性3名。帰路、日帰り温泉「あぽん西浜」で汗を流す。山に来るたびに温泉に寄るが、やはりその癒し効果は何ものにもかえ難い。



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鳥海山

2019年07月21日 | 登山

山容秀麗、鳥海山の姿に、この言葉を贈ったのは『日本百名山』を書いた深田久弥である。梅雨の末期、台風の北上するなか奇跡のような晴天のなかで、しっかりとその全容をこの眼で確かめてきた。鳥海山、山形に住む登山家であれば、誰もが憧れる山である。昨年、同じ仲間で、西方にある笙ヶ岳から、鳥海山の雄姿を展望する機会があった。その華麗な姿に、翌年はぜひこの山に登りたい、という願いがついに実現した。

鳥海山(2260m)は、火山活動が盛んな山で、享和元年(1801)の噴火によって、新山ができた。度重なる噴火は時に死者を伴い、付近住民の畏怖の対象であった。頂上に祀られる大物忌神は、火を噴く荒ぶる神に、為政者は噴火の度に位階を贈って、その怒りを宥めようとした。また、この山から流れ出る豊富な水は、麓に人がる田畑の灌漑用水として用いれれ、麓の集落の人々の厚い崇敬を集めた。

7月20日、早くからこの山行は早くから計画されていたが、長引く梅雨寒と台風の接近によって、山の天気は懸念されていた。しかし前日になって予報は好天、現地に晴れマークがついた。我々が選んだコースは秋田県鉾立コースである。早朝6時に山形を発ち、登山口に着いたのは9時40分であった。鉾立口から賽の河原まで、比較的なだらかな石畳の道が続く。左手に稲倉山の急峻な山並みが見えている。

鳥海山はその秀麗な姿から日本百名山のひとつに数えられるが、7月の下旬に入っても沢筋には残雪が見られ、草原の広がる山稜には高山植物のお花畑に彩られる。週末ということもあってか、山は多くの登山者で賑わった。先日、安全登山の講習会で講師をお願いしたモンベル山形店の店長も、登山者を連れて入山しているのに出会った。

入山して1500m付近で出会ったのが、イワカガミの群落である。この花は雪解けを待って咲き出すの、どの山でも目にするが、この花の鮮やかさは一味違っている。鳥海山には5度ほどになるが、この度みる花は実に美しい。雪解け水が豊富にあるためであろうか、花の色が際立って輝いている。12時を過ぎてお浜小屋に着く。一泊の予定とあって、ペースが上がらず、マップタイムからは遅れている。

鳥海湖が見えるところにお浜小屋がある。ここで、水などを売っているが、500mlのペットボトルの氷河水が500円、350mlのビール700円。高地に運び上げるためか、高価である。水は自分で持てる分量だけは持参したい。ここは高原上の見晴らしのきく場所で、かつて夏の行者たちの宿所として使われいた。今は登山者が泊まる山小屋だ。ここから、笙ヶ岳の山並みも見えている。

ニッコウキスゲ、チングルマの大群落が咲き乱れ、この山一番の花園と言ってよい。ここで弁当を開く。のんびりとした山登り、久しぶりに心の解放感はマックスである。

家に帰ってカメラのファイルを見てみると、意外に写真のカットは少ない。ヒナウスユキソウ、ミヤマキンポウゲ、ハクサンフーロなど収めておくはずの花がない。使っているオリンパスのミラーレスが不調で、よく撮れないせいもある。スマホで撮っているが、バッテリーの消費が早く電池切れが不安でもある。

やはりこの日のメインは風に揺れるニッコウキスゲであろうか。花に顔を寄せる女性写真にも挑戦してみた。この花を見て思い出すのは、月山・念仏ヶ原の大群落である。同じ鳥海山の河原宿周辺の大群落もみごとだが、いまだに念仏ヶ原の大群落を超えるものは見ていない。ここの群落の大きさはそれらに比べることはできないが、雨上がりのそよ風のなかの輝きは目を見張るものがある。

イワブクロ。この花を見たとき、名前を失念していた。たしか、イワがついていたな、イワベンケイ。などと誤った名を言ってしまった。家に帰って図鑑を見てみるとイワブクロであった。火山の礫地にいち早く侵入するパイオニア的な花、解説している。

高度を上げていくと、現れてくるのが鳥海アザミ。どの花を見てもうつむき加減であるが、この色も今日は少しつやつやとしていて親しみがわいてくる。山道のわきにずっと自生する様子は、この独特の種がやはり環境に適しているのであろう。

七五三掛けから上は、コースを外輪山に取る。目前に文殊岳、伏拝岳、行者岳などの峩々たる岩峰が待ち構えている。交差する人に頂上小屋までの所要時間を聞くと、2時間という。すでに朝からの歩行で、足に疲労がたまっている。コースタイムより遅れ、4時半の小屋着までぎりぎりの時間になってきた。七高山手前の鞍部から小屋へ通じる崖路。疲れた足に喝を入れ、注意深くくだる。

そして極めつけはチョウカイフスマ。七五三掛から上の岩の間や影の清楚に咲いている。この山の特産種で、旧制山高、日大山形の校章に採用されている。ナデシコ科ノリウツギ属、蛇紋岩地に生える多年草。この地にしかない貴重な花である。

岩が散在するがけ地を下り、雪渓を横切り、またお岩道を登って待ちに待った行者小屋に着く。4時45分、事前に考えたよりはるかに長く時間を要する登りであった。部屋に荷を置き、小屋脇の見晴らし台で、雲海を見る。夕陽の岩峰が赤く輝いている。ここで口にした生ビールの味は忘れられない。

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