常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

歴史の道を歩く

2022年12月13日 | 登山
山辺町の根際からら山道を登ると、愛宕神社がある。火伏の神社として地区民の尊崇を集め、今回の道を案内してくれたMさんも坂道をお神輿を担いだという話であった。その神社から続く歴史の道は、能中峰道と呼ばれ、途中で分岐して大蕨街道とつながっている。この街道は、廃道となり倒木や藪となって通ることができない。Mさんは、この道を直して、かっての街道を開くことが夢であると語った。

大蕨には稲村七郎左衛門という豪商がいる。尾花沢の鈴木清風を彷彿とさせる大商人だが、その出自に注目したい。戦国の折、難を避けて鳥海山山麓の大蕨稲村岳の近くに住んでいた郷士で、この地に入り山野辺家の客分として一族16名で移住している。山野辺家から260刈の田地を与えられたといえ、豪商へと成長するには、この街道の存在なしに考えられない。ここから宮宿への山中の街道は、近郷の青麻、紅花を集荷して最上川の舟運を使って京、大阪への商いが成立した。また、街道は出羽三山への参拝の道としても賑わい、馬継や茶屋など旅人が落とす金銭もあったであろう。稲村氏の出自である大蕨や鳥海山の地名や山の名がここにあることも関係しているのではないか。我々が歩いた能中道は、この豪商が谷を埋め、切通しを作り、できるだけ平坦にして通る人々の負担を軽減していた。
このような深い山中に点在する田畑を灌漑するには水源となる池が必要であった。湧水を集めて築堤し、大きな沼とするには、大規模な人力を必要とした。近在から集まる人は、宝暦の泥浚いで3万人、平時の水掛でも3,000から5,000人の人足が動員されたとの記録がある。冬を迎えるばかりの湖面は澄みきってさざ波を立てていたが、この池にも長い歴史の物語が眠っている。(続く)
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師走の句

2022年12月11日 | 日記
俳人飯田龍太は甲府盆地の境川村に生まれ、甲斐の山々を見ながら育った。山地の自然を友として、俳句に親しみ、四季の句を創った。同じ山国に生きるものとして、龍太の句には、共感を覚える句が点在する。12月の句に

師走はや山の素ごころさだまりし

「山の素ごころ」という表現がこの句の肝になっている。冬に空気が澄んで、木の葉が落ち、尾根の凹凸がくっきりと目に飛び込んでくる。葉の繁みがかくしていた山肌の本来の姿を素ごころと、したのであろうか。甲斐の山々の存在のありようというのが定まってくる。この地に住むものの目に映る山の姿であろう。高い山はすでに白い雪を被り、前山は枯木一色である。

人間世界の活動が師走という季節に慌ただしく過ぎていくなか、どっしりとした山の新しい年を迎える姿とが対比されている。山に見守られながら、今年も暮れていく。
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冬の日

2022年12月10日 | 日記
冬晴れと時雨、この気候を交互に繰り返して、冬は季節を深めていく。いつしか、奥羽山脈を境に太平洋側が晴れ、日本海側が雪、という日本の冬になっていく。それでも、陽が沈むころの夕日は美しい。すっかり日が沈んでも、名残りの日が、瀧山などの高い山に残る。あたりがうす暗くなって、瀧山の冠雪がかすかに薄闇に浮かんでいる風景は、この時期限定のものだ。あたりは静寂につつまれる。そして一日が終わる。12月に入って、一日の過ぎ去るスピードはさらに速度を早めている。

屋根ひくき宿うれしさよ冬ごもり 蕪村

吹雪の山中でみつけた山小屋で、命を長らえるように、寒さがきびしくなるほどにふだん住む家が恋しいものになる。詩人の言葉に「冬は雪が多く、カナダのような冬、ロシアのような冬であればあるほどよい。それだけ彼の住む巣は暖かく、甘美にいとおしいものとなろう」

ロシアが仕掛けている戦争で、ウクライナからこの甘美な冬の巣を、なきものにするような爆撃が繰り返されている。ロシア人にどうして、このような残酷な行為ができるのか。その残酷さが戦争であるのか。平和に日本にいおては理解することのできない戦争である。
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大雪

2022年12月07日 | 日記
今日は24節季の大雪。暦が大雪の降る季節と、知らせてくれるのだが、北海道の朱鞠内で110cm、青森の酸ヶ湯で97cm、北海道の幌加内で86cmの積雪が発表されている。この季節、気象情報で必ず目にする地名だ。北海道の2地点は、かって深名線が深川と名寄をつないでいた線路の駅があり、近くには朱鞠内湖がある。平野のような石狩川の流域の深川には、さほどの積雪はないが、名寄方面の山地では、北海道随一の豪雪地帯で知られる。ここ山形では、雪は少ないが、寒気が入って、1月なみの気温である。

青空で陽がさしているのに、小雪が舞っている。雪に降られながら、太陽のあたたかさを同時に感じる。何とも不思議な朝の散歩だ。公園も、散歩の道も、すっかり冬の装いになっている。山には少しずつ、雪が降り積る。昨夜読んだ本は櫻井武『睡眠の科学』。よい睡眠のための読書なのだが、著者の博識に刺激されて、11時すぎまで本と付きあう。自然の眠りのチャンスを失って、やや睡眠不足になってしまう。笑い話のようだ。

巳に衾枕の冷ややかなるを訝り
復た窓戸の明らかなるを見る

白楽天の詩の一節。やけに夜具が冷えている、窓は朝のように明るい。外は雪が降り積っているのだ。竹が雪の重みで大きくしなり、時に折れる音が家のなかまで聞こえてくる。この地では、竹の藪のヒヨドリの鳴き声が、夜の近いことを知らせてくる。
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シクラメン

2022年12月05日 | 日記
わが家の玄関に、シクラメンの花がやってきた。知人からのいただきものだ。木枯らしのために、花や紅葉した葉がなくなる季節だけにありがたい。布施明の「シクラメンのかほり」の歌詞が口をついて出てくる。もっとも、真綿色の白い花でなく、華やかな真紅だが。

真綿色したシクラメンほど
清しいものはない
出逢いの時の君のようです
ためらいがちにかけた言葉に
驚いたようにふりむく君に
季節が頬をそめて
過ぎてゆきました

青春の香りの残る、切ない歌詞だ。このところ体調がいい。ここ数ヶ月、意識してきた睡眠がしっかりととれるようになったことが大きい。昨夜の睡眠時間7時間26分。深い睡眠31%、浅い睡眠46%、レム睡眠23%、睡眠指数83点。熟睡時間が少し不足しているほかは理想の眠りだ。身体の疲労感もなく、散歩の足取りも軽い。何よりも食べるものがおいしく、時間がくるとキッチリ空腹になる。こう書けば、しごく当たり前のことだが、睡眠の乱れは年齢ととも多くなる。とたんにどこか身体が重くなる。そこを意識して、SWによる睡眠チャレンジが効果を発揮した。酒を抜くことも、大きく寄与している。夜、蒲団にいれる湯たんぽが心地いい。

半生も過ぐ湯たんぽに足のせて 伊丹三樹彦

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