先頃、無事に父の三回忌を終えました。
田舎の実家で、部屋を三間ぶちぬいて、
お坊さんや親戚に来てもらうような
昔ながらの法要だから、いろいろ大変。
わたしは相変わらず役には立たず、
ひたすら茶坊主とパシリを務めました。
最近では、通夜や告別式など
宗教行事を行わない「直葬」や
お骨すら拾わない「ゼロ葬」もあり
日本人の死生観が大きく揺らいでいる。
人の死を即物的にとらえるか、
それ以上のものととらえるか、
一人一人が選び取る時代のよう。
死後の命や死後の世界があるかどうか
それは死んでみないと分からないけど
もしあるなら供養していれば安心だし
なくても「ちっ、余計なことした」と
悔しがる意識すらなくなるから損はない。
何より葬礼を大切に思う母が安心するし
親族が集うのも大切な喪の作業。
それだけでも十分意味あることかもと
わたしには思えた三回忌でした。
田舎の実家で、部屋を三間ぶちぬいて、
お坊さんや親戚に来てもらうような
昔ながらの法要だから、いろいろ大変。
わたしは相変わらず役には立たず、
ひたすら茶坊主とパシリを務めました。
<精進落としの涼やかなお刺身>
最近では、通夜や告別式など
宗教行事を行わない「直葬」や
お骨すら拾わない「ゼロ葬」もあり
日本人の死生観が大きく揺らいでいる。
人の死を即物的にとらえるか、
それ以上のものととらえるか、
一人一人が選び取る時代のよう。
<鮎の塩焼きも頂きました>
死後の命や死後の世界があるかどうか
それは死んでみないと分からないけど
もしあるなら供養していれば安心だし
なくても「ちっ、余計なことした」と
悔しがる意識すらなくなるから損はない。
何より葬礼を大切に思う母が安心するし
親族が集うのも大切な喪の作業。
それだけでも十分意味あることかもと
わたしには思えた三回忌でした。
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