17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。
パンダのシンシンの赤ちゃんの死は
楽しみにしていただけに、結構ショック。
パンダはもともと繁殖能力が弱く、
育児も得意ではないものだけれど。
ぬいぐるみみたいにかわいい赤ちゃんパンダ、
見るのを楽しみにしていたのに。

(中国四川省成都のパンダ保育センター)
でも生物の中で育児が一番下手なのは
実は人間なのかもしれないな。
どんな生き物も、育児の最大の目的は
一人前にして独り立ちさせること。
仕事もせず、親の年金で暮らしている
40歳以上のひきこもりの増加のニュースを
昨夜見て、ふとそんなことを思った。
いつまでも手元においておきたい親や
いつまでも親元にいたい子ども世代。
それは人間という種が、自然の摂理から
外れつつあることを示しているのかも。
大変だった出張も無事終わり
週末はようやく家でのんびり。
今日は涼やかな風が吹き抜ける、
過ごしやすい初夏の一日でした。
みみにゃんも梅雨の蒸し暑さは苦手で
ここのところ少しバテ気味だったけれど
今日は心地よかったらしく
食欲も旺盛で、のびのびとお昼寝。

(なんともやんちゃな寝相)
最近はいっそう甘えん坊になって
仔猫のように後をついて廻るのはいいけど
下から必死に私を見上げながら歩くから
しょっちゅう壁や家具にぶつかったりする。
猫としてありなの?という疑問はあるけれど
そんなドンくさいところも可愛くて。
しかも誰に似たのかとにかく良くしゃべる。
わたしが電話でもしようものなら
話している間中、足元でにゃあにゃあと
勝手に会話に参加してくるし。
それにどういうわけかみみにゃんは
あくびも声を出しながらするものだから、
これまた、たまらなく可愛いくて。
猫って、そこにいるだけで心が休まる。
触れているだけで、心が温かくなる。
見ているだけで、自然と笑顔になる。
猫は神さまからの贈り物にちがいない。
今年から新しい仕事に移って
一番変わったのは、人とのつながりかも。
これまでは閉ざされた楽園のように
小さなチームで自己完結していた感じで
それはそれで楽しかった部分もあるけれど
今は窓もドアも大きく開かれた、
人の出入りの多い田舎の家のよう。
こちらもいろんなところにお邪魔して
より大きなコミュニティの一員として
一緒に仕事をしたりするのが楽しい。
気づくのは、自分たちだけでは出来ないことが
他の人の力を借りると出来てしまうことのすごさ。
当たり前のことなんだけど
その当たり前が、小さな奇跡を生み出してゆく。
いろいろな人と出会い、関わってゆく中で
自分に足りないものや、甘さも見えてきて
何気なく傍にいた人たちのすごさも見えてきて
そのことにとても、感謝もしていて。
私は人と人の出会いの中で学ぶことが多いみたい。
社会人としてそこそこ年数も経てきたけれど
現状に満足して、あぐらをかくことなく
心を柔らかくして、目をしっかり見開いて
まだまだ学び続けることが大切だなあと
最近、仕事を通じてつくづく感じるのです。