ブログを見たらクリックしてね
宵山で山鉾を次々に見て回っているミモロ。
「もっといろいろ知りたい!」と長らく祇園祭にかかわっている方をお訪ねします。
ミモロに教えてくださるのは、平岡昌高さん。
日章旗、優勝旗などいろいろな旗を製造する会社「平岡旗製造株式会社www.hiraoka-hata.com」の社長さんです。
伺ったお店には、お相撲さんの化粧まわしが展示されていました。これもここで作られたもの。
「京都は、織、染め、刺繍などの伝統の技がそろっているので、昔から旗の製造をになっているんですよ」とのこと。
京都では、本当にいろいろなものを作る技術があるんですね。
また、いつかそんなお話もしましょうね。
実は、平岡さんは、祇園祭の「郭巨山」の保存会の会長さん。
この山は、中国の史話で、郭巨が、黄金の釜を掘り当て、母親に孝養を尽くしたという故事をテーマにした山です。
山の周囲を彩るのは、上村松篁の作品をうつしたもの。
「とても華麗で、美しいものだねぇ」。明るい色合いが、とても目立つ山です。
「祇園祭の山鉾巡行は、本来は、神様をお迎えする先祭と、お送りする後祭の2つ。
でも昭和41年から、17日の先祭に後祭もいっしょに行うようになりました。
本来の神事からすると、ちょっと不自然なんですが、交通事情などもあって・・・・。
ですから、32基の山鉾の中で、1番目から23番目は、先祭のため、24番目から32番目は、後祭のものです。」と。
今は、四条通から、河原町通、御池通を巡行しますが、昔は、先祭と後祭の巡行コースは違っていたそう。
ここでちょっと、豆知識・・・
先祭の方が山鉾の数多く賑やかなで、後祭は、半分ほどの規模になるため、
先祭を見損ない、後祭しか見られなかった残念な思いから、
何か遣り損なったときなどにいう「後の祭り」とは、この祇園祭から生まれた言葉だそうです。
「へぇー知らなかった・・・。ミモロ、結構、後の祭りってこと多いかも・・・」と、お話を伺いながらポツリ。
「山鉾巡行の順番は、それぞれの山鉾の代表者による7月2日の『くじ取式』で決まります。
でも、すべての山鉾がくじで順番を決めるのではなく、すでに昔から順番が決まっているものも多いんですよ。
大きな鉾や山を配置して、その間に山を配置する感じです。『長刀鉾』は、いつも先頭。『函谷鉾』は、必ず次に登場する鉾。
『月鉾』『鶏鉾』『菊水鉾』の3つは、登場する場所は決まっていますが、何がはじめに来るかは、毎年くじで決めます。
先祭の最後の部分は、『放下鉾』『岩戸山』『船鉾』の3つが、続きます。この順番も決まっています。
24番目からが、後祭の山鉾。先頭は、いつも『北観音山』。次は『橋弁慶山』。そして最後が『南観音山』です。
これも決まってます」とのこと。
「船鉾が見えたら、先祭は終わったって思えばいいんだね」とミモロ。
巡行をただボーっと眺めるだけじゃない楽しみが生まれたようです。
また、32基の山鉾は、それぞれちまきを用意しています。
ミモロがコレクションしたがったちまきです。
「蘇民将来子之孫也」と書かれたちまきは、厄病を除けるお守りです。
それぞれの山鉾では、オリジナリティーを持ったちまきを毎年作ります。
「だいたい3000本ちかい数を作りますが、先祭の山は、巡行の順番で1番(長刀鉾の次)を引いた場合、
人気が出て、不足することも。春には、ちまき作りを始めますから、くじが決まったころには、
もうできてますからね・・・」
「へぇーくじの順番で、ちまきの人気が変わるんだー」とミモロ。
今年は、「霰天神山」が山の最初に登場します。
「あのー巡行を見るなら、どこがいいですか?」とミモロは、とっておきの情報を手に入れようと尋ねます。
「山鉾巡行見物の穴場といえば、鉾の方向を変える辻廻しがよく見える、四条通と新町通の角。
ここの通りは、狭いので、道いっぱいに大きな鉾が進んで、迫力もいっそう。
また、この場所なら、「放下山」や「船鉾」など5つの大きな山鉾の辻廻しが見られますよ。
ただし、9時に巡行がスタートしますから、その前に行かないと、それこそ後の祭りですよ(笑い)」
これ、すごい情報かも・・・・。
「明日は、早めに行って場所どりしなくちゃ!」
葵祭など、祭りを見るのに場所どりが重要なのを、過去の経験から痛感しているミモロです。
「あ、お話に夢中でいただくの忘れてた・・・」
えーそんなことが・・・よほどお話が面白かったのね。
ミモロの前には、夏らしい寒天を使った涼しげな和菓子と冷たいお茶のおもてなしが。
「京都らしいおもてなしだねぇ。これだから、京都は大好き・・・」
明日の山鉾巡行を楽しみに、夏の和菓子を味わうミモロでした。