最近、五月人形や剣道の大会を見たミモロは、お侍に憧れを…。
「そういえば、昨年、北野天満宮の近所にある「永々棟(エイエイトウ)」で、特別講座「ふれてみよう、武家文化」が開催され、そこで日本刀について学んだんだった…」と、ふと思い出したミモロです。
この特別講座は、高津古文化会館の学芸員、雨宮六途子先生が開かれたもので、4回シリーズで、さまざまな武家文化に関して学ぶもの。そのなかに「刀剣入門」というテーマの日があり、ミモロは、そこに出席しました。
この日は、日本美術刀剣保存協会のメンバーである新井重煕先生をお迎えし、刀剣の歴史的分類や魅力を伺い、実際に刀剣のお手入れを体験する講座です。
ミモロは、目の前に置かれた本物の刀にドキドキ。
ひとくちに、刀剣といっても、その姿は、歴史的に変化しています。奈良時代までは、まっすぐな直刀が主流で、戦闘様式の変化に伴い変わってゆきます。
実際、本物の刀を目の前にしたミモロは、ちょっと緊張気味。
真剣のもつ迫力に圧倒されています。
刀の鑑賞のポイントは、和鉄の鋼を何回も折り返した鍛錬で生まれる強靭な地がね…それによってもたらされる刃に現れる文様、鍛えの肌の美しさです。
板目肌、杢目肌、柾目肌など、刀の刃に現れる文様は、それぞれの刀で微妙に異なり、専門家がそれを見ると、製作時代、刀工の系統などから、その刀の出自がわかるそう。
「へー刀って、みんな違うんだー」と、初めて見るミモロは、感心しきり。
「あのー太刀(たち)と刀って、どこか違いがあるの?」とミモロ。
太刀というのは、原則、平安時代中期以降に始まり、室町時代初期まで作られたもの。刃を下に腰に下げるスタイルで使われました。そして、それ以降は、刀と言われ、刃を上に向けて鞘を腰にさす様式です。
美術館や博物館では、太刀は、刃を下に向きに、刀は、上向きに飾るそう。
「今度、行ったら、よく見てみよーっと」とミモロ。
いろいろな刀のお話を伺った後、
いよいよ手入れを実際に拝見します。
まず、鞘からから抜いた刀は、目地をはずし、鍔、柄などが次々に外されてゆきます。
ミモロは、流れるような手際のよさに、ボーっと見惚れるばかり。
「あ、時代劇で、お侍が、夜、お座敷でやってるのと同じだー」と、打粉と呼ばれるもの(ミモロが大好きなチャンディーの形)で、刀の刃をポンポンと軽くたたいて、そのあと、紙や布でふき取ります。この打粉は、砥石の微細粉が入っていて、それで刀を磨きます。
「ちょっと持ってみますか?」とミモロも。
初めて見るものばかり…ミモロは、興味津々です。
鍔
そして、柄
いずれも刀を持つ人の個性やオシャレ心を感じさせる意匠などが施されています。さらに、そこには、それを製作した職人の技の素晴らしさも、十分見ることができます。
以前受講した講座で、雨宮先生が、「日本の鎧、兜ほど、美しい武具は、世界にも類を見ない…」とおっしゃっていたことを思い出します。刀も同じ。機能性だけなく、そこには、芸術性の高さも。そもそも刀は、神器として、古くから崇められ、武器としてだけではない思いを日本人は、見ているようです。研ぎ澄まされた刀は、見るだけで、何か心を虜にするような神秘的なものを漂わせ、日本刀には、何かが宿っていると感じてしまいます…。
「エイ!お侍になったのー」と、刀のそばで構えるミモロ。
刀はとても重くて、ミモロは持つことができません。「時代劇のような訳にはいかないねぇー」と。
今年、剣道の試合を見たミモロは、そこに茶道や建築、絵画など日本文化の根底に流れるある共通した何かを感じ始めました。「うーん、まだ言葉では言えないけど…」とミモロ。「もっといろいろお勉強しよう…」と。京都に暮らして1年、まだまだ限りなく知りたいことが、いっぱいのミモロです。
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「そういえば、昨年、北野天満宮の近所にある「永々棟(エイエイトウ)」で、特別講座「ふれてみよう、武家文化」が開催され、そこで日本刀について学んだんだった…」と、ふと思い出したミモロです。
この特別講座は、高津古文化会館の学芸員、雨宮六途子先生が開かれたもので、4回シリーズで、さまざまな武家文化に関して学ぶもの。そのなかに「刀剣入門」というテーマの日があり、ミモロは、そこに出席しました。
この日は、日本美術刀剣保存協会のメンバーである新井重煕先生をお迎えし、刀剣の歴史的分類や魅力を伺い、実際に刀剣のお手入れを体験する講座です。
ミモロは、目の前に置かれた本物の刀にドキドキ。
ひとくちに、刀剣といっても、その姿は、歴史的に変化しています。奈良時代までは、まっすぐな直刀が主流で、戦闘様式の変化に伴い変わってゆきます。
実際、本物の刀を目の前にしたミモロは、ちょっと緊張気味。
真剣のもつ迫力に圧倒されています。
刀の鑑賞のポイントは、和鉄の鋼を何回も折り返した鍛錬で生まれる強靭な地がね…それによってもたらされる刃に現れる文様、鍛えの肌の美しさです。
板目肌、杢目肌、柾目肌など、刀の刃に現れる文様は、それぞれの刀で微妙に異なり、専門家がそれを見ると、製作時代、刀工の系統などから、その刀の出自がわかるそう。
「へー刀って、みんな違うんだー」と、初めて見るミモロは、感心しきり。
「あのー太刀(たち)と刀って、どこか違いがあるの?」とミモロ。
太刀というのは、原則、平安時代中期以降に始まり、室町時代初期まで作られたもの。刃を下に腰に下げるスタイルで使われました。そして、それ以降は、刀と言われ、刃を上に向けて鞘を腰にさす様式です。
美術館や博物館では、太刀は、刃を下に向きに、刀は、上向きに飾るそう。
「今度、行ったら、よく見てみよーっと」とミモロ。
いろいろな刀のお話を伺った後、
いよいよ手入れを実際に拝見します。
まず、鞘からから抜いた刀は、目地をはずし、鍔、柄などが次々に外されてゆきます。
ミモロは、流れるような手際のよさに、ボーっと見惚れるばかり。
「あ、時代劇で、お侍が、夜、お座敷でやってるのと同じだー」と、打粉と呼ばれるもの(ミモロが大好きなチャンディーの形)で、刀の刃をポンポンと軽くたたいて、そのあと、紙や布でふき取ります。この打粉は、砥石の微細粉が入っていて、それで刀を磨きます。
「ちょっと持ってみますか?」とミモロも。
初めて見るものばかり…ミモロは、興味津々です。
鍔
そして、柄
いずれも刀を持つ人の個性やオシャレ心を感じさせる意匠などが施されています。さらに、そこには、それを製作した職人の技の素晴らしさも、十分見ることができます。
以前受講した講座で、雨宮先生が、「日本の鎧、兜ほど、美しい武具は、世界にも類を見ない…」とおっしゃっていたことを思い出します。刀も同じ。機能性だけなく、そこには、芸術性の高さも。そもそも刀は、神器として、古くから崇められ、武器としてだけではない思いを日本人は、見ているようです。研ぎ澄まされた刀は、見るだけで、何か心を虜にするような神秘的なものを漂わせ、日本刀には、何かが宿っていると感じてしまいます…。
「エイ!お侍になったのー」と、刀のそばで構えるミモロ。
刀はとても重くて、ミモロは持つことができません。「時代劇のような訳にはいかないねぇー」と。
今年、剣道の試合を見たミモロは、そこに茶道や建築、絵画など日本文化の根底に流れるある共通した何かを感じ始めました。「うーん、まだ言葉では言えないけど…」とミモロ。「もっといろいろお勉強しよう…」と。京都に暮らして1年、まだまだ限りなく知りたいことが、いっぱいのミモロです。
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