五月人形の鎧、兜を見たミモロ。「武将って、カッコイイよねー」とすっかり憧れてしまったよう。5月は、流鏑馬や競馬など、勇壮な神事が行われる季節です。
ミモロがよくお散歩に行く、平安神宮の北西の位置に風格ある堂々とした建物があります。「ここなんだろう?」といつも前を通るたびに思っていたミモロです。
その建物は、「武徳殿」。現在は、京都市武道センターの施設に。そこで毎年、5月の連休に開催されるのが、全国の剣道家が集まる、最も伝統と格式を誇る最大規模の剣道大会「全日本剣道演武大会」です。
明治28年に大日本武徳会が開催した「武徳祭大演武会」を第1回とし、戦争中と戦後のGHQの占領時には、休止され、昭和28年に、戦後初の剣道大会として、前年発足した全日本剣道連盟により復活した歴史ある大会です。
剣道をメインに、他に居合道、杖道、なぎなた、古武道なども行われ、毎年約3000人を超える出場者が、4日間にわたり試合や演武を披露します。
剣道で、この大会に出場できるのは、全日本剣道連盟に登録する錬士六段以上の人のみ。つまり全国の剣道道場の先生クラスのみが出場できる、剣道を志す者にとって、まさに憧れの大会なのです。
演武が披露される「武徳殿」からは、「ヤー」「イエー」などの気合に満ちた声とバシーと面を打つ鋭い音が聞こえてきます。
ミモロもさっそく中へ。
「すごい迫力だねぇー。剣道は、テレビで見たことあるけど、実際に見るのは初めて…気合が伝わってくる」と、ただただジッと見つめます。
この大会は、それぞれの段と称号である「範士」「教士」「錬士」によって、組み合わせが行われ、そこで試合をするもの。試合といっても、勝ち負けより、自分の技や技量を披露することに重点が置かれています。
全国から集まる剣道家。そのおひとりである福井からいらした猿渡さんは、教士六段。
中学3年から剣道を始めたそう。「剣道を始める年齢としては、かなり遅いですね。もう還暦を迎えましたが、80歳を超える先生方も大勢いらっしゃるので、まだまだ…」「えーそんなご高齢になっても、剣道ってできるんですか?」とミモロ。「もちろん、僕が20歳のころ教えて頂いていた80歳を超えた先生と、試合をすることになって、年寄りだから勝てると思ったら、なんと1本も取れないし、かすりもしなかった…まだまだだって痛感しました(笑)」と。
出場者には、女性も多く、また海外から参加する方も増えているそう。
さて、ここで「武徳殿」のお話を少し…
平安遷都1100年の平安神宮造営と同時に建設計画が進んだ「武徳殿」。明治32年に竣工を迎えます。設計は、京都府庁舎旧本館などを手がけた京都出身の建築家、松室重光。洋式の建築構造をもつ和風の外観の「近代和風建築」として完成。その後、のちに武道専門学校となる武術教員養成所も開設され、日本の武道界において「東の講道館、西の武徳殿」と言われる武道の殿堂に。
日本の敗戦により、武道専門学校は閉校となり、「武徳殿」を含むその関係施設は、一時、接収されますが、昭和26年、接収解除を機に、京都市が買い受け、開校した京都市警察学校の道場になります。
その後、使用していた音楽学校移転で、取り壊しの危機に。昭和55年に保存が決定し、大規模な修復が行われ、昭和58年、京都市指定有形文化財、さらに平成8年、国の重要文化財に指定されます。
現在、多くの剣道の試合は、代々木体育館など、近代的な施設で行われますが、剣道家にとって、ここ「武徳殿」での立ちあいには、格別の思いがあるそう。まさに、剣道家の憧れの聖地なんです。
「重要文化財の中で、試合できるって、すごいよねー」とミモロ。それもそうですが、ここに出場できることが、すごいんです。
立ちあいを前に、竹刀を振り、体をならしている方のそばで、ミモロも一緒に素振りのマネを…。
なかなかいい構え!? 剣道に、がぜん興味を抱くミモロです。
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ミモロがよくお散歩に行く、平安神宮の北西の位置に風格ある堂々とした建物があります。「ここなんだろう?」といつも前を通るたびに思っていたミモロです。
その建物は、「武徳殿」。現在は、京都市武道センターの施設に。そこで毎年、5月の連休に開催されるのが、全国の剣道家が集まる、最も伝統と格式を誇る最大規模の剣道大会「全日本剣道演武大会」です。
明治28年に大日本武徳会が開催した「武徳祭大演武会」を第1回とし、戦争中と戦後のGHQの占領時には、休止され、昭和28年に、戦後初の剣道大会として、前年発足した全日本剣道連盟により復活した歴史ある大会です。
剣道をメインに、他に居合道、杖道、なぎなた、古武道なども行われ、毎年約3000人を超える出場者が、4日間にわたり試合や演武を披露します。
剣道で、この大会に出場できるのは、全日本剣道連盟に登録する錬士六段以上の人のみ。つまり全国の剣道道場の先生クラスのみが出場できる、剣道を志す者にとって、まさに憧れの大会なのです。
演武が披露される「武徳殿」からは、「ヤー」「イエー」などの気合に満ちた声とバシーと面を打つ鋭い音が聞こえてきます。
ミモロもさっそく中へ。
「すごい迫力だねぇー。剣道は、テレビで見たことあるけど、実際に見るのは初めて…気合が伝わってくる」と、ただただジッと見つめます。
この大会は、それぞれの段と称号である「範士」「教士」「錬士」によって、組み合わせが行われ、そこで試合をするもの。試合といっても、勝ち負けより、自分の技や技量を披露することに重点が置かれています。
全国から集まる剣道家。そのおひとりである福井からいらした猿渡さんは、教士六段。
中学3年から剣道を始めたそう。「剣道を始める年齢としては、かなり遅いですね。もう還暦を迎えましたが、80歳を超える先生方も大勢いらっしゃるので、まだまだ…」「えーそんなご高齢になっても、剣道ってできるんですか?」とミモロ。「もちろん、僕が20歳のころ教えて頂いていた80歳を超えた先生と、試合をすることになって、年寄りだから勝てると思ったら、なんと1本も取れないし、かすりもしなかった…まだまだだって痛感しました(笑)」と。
出場者には、女性も多く、また海外から参加する方も増えているそう。
さて、ここで「武徳殿」のお話を少し…
平安遷都1100年の平安神宮造営と同時に建設計画が進んだ「武徳殿」。明治32年に竣工を迎えます。設計は、京都府庁舎旧本館などを手がけた京都出身の建築家、松室重光。洋式の建築構造をもつ和風の外観の「近代和風建築」として完成。その後、のちに武道専門学校となる武術教員養成所も開設され、日本の武道界において「東の講道館、西の武徳殿」と言われる武道の殿堂に。
日本の敗戦により、武道専門学校は閉校となり、「武徳殿」を含むその関係施設は、一時、接収されますが、昭和26年、接収解除を機に、京都市が買い受け、開校した京都市警察学校の道場になります。
その後、使用していた音楽学校移転で、取り壊しの危機に。昭和55年に保存が決定し、大規模な修復が行われ、昭和58年、京都市指定有形文化財、さらに平成8年、国の重要文化財に指定されます。
現在、多くの剣道の試合は、代々木体育館など、近代的な施設で行われますが、剣道家にとって、ここ「武徳殿」での立ちあいには、格別の思いがあるそう。まさに、剣道家の憧れの聖地なんです。
「重要文化財の中で、試合できるって、すごいよねー」とミモロ。それもそうですが、ここに出場できることが、すごいんです。
立ちあいを前に、竹刀を振り、体をならしている方のそばで、ミモロも一緒に素振りのマネを…。
なかなかいい構え!? 剣道に、がぜん興味を抱くミモロです。
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