ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

名物「鎌餅(かまもち)」。明治30年創業の「大黒屋鎌餅本舗」。阿弥陀寺に行ったら、ぜひ買いたい京名物

2014-01-26 | グルメ

京の冬の旅で公開されている「寺町 阿弥陀寺」にお詣りしたミモロ。そこで聞いた名物の鎌餅を求め、一目散に。
阿弥陀寺の正面から伸びる道を西へ。ちょっと行ったところに、古い佇まいのお店が見えてきます。
「あ、ここだー」   
店の前に飾られたお菓子の数々。「どれにしようかなぁー」と、店に入る前から悩むミモロです。

「大黒屋鎌餅本舗」は、明治30年に創業された店。古い情緒ある建物が、阿弥陀寺からの道沿いにあります。
木の戸をあけて中へ。 「いらっしゃいませー」三代目店主の山田充哉さんが、笑顔で迎えてくださいました。
「あのー鎌餅って、まだありますか?」と、恐る恐る尋ねます。というのは、先ほど訪れた「阿弥陀寺」には、ツアー客のみなさんがいらして、集団で訪れたら、きっと売り切れになっちゃうーと心配していたのです。
信長公のお墓にお詣りしても、鎌餅が気になってしかたなかったミモロです。

「はい、まだありますよー」と。「よかった~売り切れかと心配しちゃったー」やっとミモロの顔にも笑みが。
これが名物の鎌餅。薄い木に包まれた、細長い柔らかいそうなお餅です。「へえーこれが鎌餅なんだー」と、ミモロはじっと見つめます。

「鎌餅は、江戸時代から鞍馬口の近くの茶店で、作られていたもので、鎌の形が豊作を意味しているんですよ。、豊かさを刈り取るとか、、また、旅の厄を払うという意味から作られたもの。鞍馬口にあった茶店がなくなり、明治になって、その味を復活させたのが、創業者である先々代です」と、山田さん。

お腹が空いていたミモロ、思わず、「あのーここで食べてもいいですか~」と我慢しきれずに…。「はい、どうぞー」ミモロに鎌餅が手渡されました。「うー素朴な感じが、いい感じ…。いただきまーすと、いっきにペロリ「柔らかーいお餅…中の餡もほんのり甘くて美味しい…こういうシンプルな和菓子が飽きないんだよねー」

店先で、ひとつ鎌餅を食べたミモロは、その横に並ぶ品にも注目。
「これ、なんですか?」鎌餅と違って、硬い感じのお菓子です。「これも食べたいな~」
「懐中しるこですから、ここでは食べられませんよ」めでたい烏帽子の形の懐中しるこです。「表面の焼き色は、炭火で焼いたもの…。お椀に入れてお湯を注いで食べてくださいねー」と。「おしるこなんだー。じゃ、おうちで食べるので、ひとつください…」。ミモロは、ひとつ袋に入れてもらいました。

「あ、羊羹もあるー」でっち羊羹という薄い形の羊羹です。でっち羊羹というのは、竹皮に包まれた蒸羊羹で、竹皮の香りがほんのり羊羹に移った味が美味しさをさらに…。京都のお店に奉公に来ていたでっちさんが、里帰りのおみやげにしたという値段控えめの羊羹です。薄いので、持ち運びに便利で、竹皮による殺菌作用もあり日持ちしたそう。練羊羹に比べ、甘さも控えめ、食べやすい羊羹です。

こちらのお店では、鎌餅、懐中しるこ、でっち羊羹、そして最中を買うことができます。

京の冬の旅で、「阿弥陀寺」を訪れた後に、ぜひお土産にしたい京都の名物のひとつです。「阿弥陀寺」からすぐです。


*「大黒矢鎌餅本舗」 京都市上京区今出川上ル4丁目西入ル阿弥陀寺町25 075-231-1495 8:30~20:00 第1・3水曜休み 鎌餅210円、懐中しるこ315円、 でっち羊羹840円、最中170円



人気ブログランキングへ
ブログを見たら、金魚をクリックしてねー。よろしく~ミモロより

特許庁 商標登録第5629481号 copyright2010Sea Hawk Japan co.,ltd. All rights reserved.
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京の冬の旅。12年ぶりの公開。寺町「阿弥陀寺」。織田信長が眠る寺 信長公の木像や位牌を公開

2014-01-25 | 寺社仏閣

3月18日まで行われる「第48回 京の冬の旅」非公開文化財特別公開
 
ミモロもさっそく出かけました。

訪れたのは、織田信長の本廟のある「阿弥陀寺」です。 
この寺は、浄土宗鎮西派で、御本尊は、阿弥陀如来さま。織田家の菩提寺と言われます。
そもそも、この阿弥陀寺は、清玉上人が近江坂本に創建し、その後、織田信長などの尽力により、今出川大宮にりっぱな伽藍をもつ寺へ。しかし、天正10年(1582)6月2日。明智光秀による本能寺の変が勃発。その当時、本能寺も、蛸薬師通小川通もあり、2つの寺は、歩いて15分ほどの距離だったそう。時の異変に気付いた清玉上人は、本能寺に駆けつけ、織田信長公の遺骸(荼毘に付したとか)を阿弥陀寺に持ち帰ったと…。その後、光秀を討った秀吉が、信長の一周忌の法要を、清玉上人に申し出るが、すでに織田家で済ませたと、拒否。怒った秀吉は、大徳寺に総見院を建て、法要を盛大に執行。以後、阿弥陀寺での法要を禁ずることに。


「と、いうことは、信長さん自身は、総見院というお寺は知らないんだー。正室の濃姫は、総見院にお墓があるんでしょ。夫婦別に祀られてるんだ~」。総見院には、信長供養塔があります。

さて、阿弥陀寺のある寺町通は、南は五条通、北は紫明通まで続く長い道。四条通りから御池通までアーケードになっています。その道の東側に、天正18年(1590)に、秀吉により多くの寺院が集められ、寺町とよばれるようになったそう。

阿弥陀寺があるのは、寺町通でも、落ち着いた雰囲気が漂う北のエリアに
今回、公開された本堂では、信長公の木像や位牌、鞍覆い、弓掛など、信長ゆかりの品々を見ることができます。
本堂内は、残念ながら撮影禁止。案内役の方が、歴史や当時の様子などを、わかりやすく説明してくれます。

「本能寺の変は、テレビや映画では、光秀軍が松明を持って乗り込んできますが、本当は、朝の6時頃のことで、起きたのは6月2日ですから、松明が必要ないくらい明るかったんです」と、説明が。「へーえ、朝だったんだ~」
「本堂では、こんな信長公木像がありました~。思ったより小さい感じだったけど…。それから森蘭丸のお位牌もあったよ」とミモロ。

案内の方の説明を聞き終えて、外にでたミモロは、受付の方に、「あのー信長公のお墓はどこですか?」と尋ねます。
「境内の奥ですよ、案内板が出てますから、すぐわかります」と。「あのーそれから、名物のお菓子が近くで売ってるって聞いたんですけど…」「はい、鎌餅ですね。お寺を出て、すぐのところにありますよ。おじさん一人でやってるから、売り切れになることもあるんです」と。

「えー売り切れ?早く行きたいけど、まずは、お墓にお詣りしなきゃー」。
お墓は、思っていたより、こじんまりとした感じ。
ミモロの大きさから、わかると思います。
右が信長公、左が息子の信忠公のもの。

早々にお詣りをすませたミモロは、「名物の鎌餅って、どんなんだろ?」と、心はすでにお餅に飛んでしまったよう。

*「寺町 阿弥陀寺」京都市上京区今出川上ル鶴山町14 075-231-3538 拝観時間:9:00~16:00 京の冬の旅拝観料600円  出町柳駅 または今出川駅 徒歩約10分 河原町今出川バス停から徒歩約7分 *通常は6月2日のに堂内拝観可

人気ブログランキングへ
ブログを見たら、金魚をクリックしてね。ミモロからのお願いで~す。

特許庁 商標登録第5629481号 copyright2010 Sea Hawk Japan co.,ltd. All rights reserved.
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都の習い事。「百人一首」の講義を聞き、かな書を学ぶ、「手習講 千鳥会」

2014-01-24 | 習い事

1月は、さまざまなお稽古の始まりの月。ミモロは、新しい着物を着て、以前から続けているかな書のお稽古へ。
この日は、「手習講 千鳥会」の稽古始です。場所は、地下鉄東西線の終点「太秦天神川」から、嵐電嵐山本線に乗り換え、1つ目の「山ノ内」という駅のすぐ前。

「こんにちはー」と戸をあけ中へ。お教室は2階です。

「ミモロちゃん、お久しぶりです。今年もよろしくお願いしますねー」と、千鳥会を主宰する柳本勝海先生。
柳本先生は、1970年、京都の西、山ノ内の大きな農家生まれ。同志社大学を卒業。幼い頃から書に興味を抱き腕を磨き、京展、日本書芸院展などで入賞。「大蔵流狂言」に魅了され、木村正雄、綱谷正美に師事、さらに十三世茂山千五郎に師事した元大蔵流狂言師。現在、書と狂言という日本の伝統文化を広く海外に普及させるため、ハーバード大学などでワークショップや講演をおこなっていらっしゃいます。もちろん、今も、実家の農業にも従事。

今日はスーツでビシッと決めた柳本先生。でも時には、農作業用のゴム長姿や、狂言の折は、袴姿と、さまざまに変身。
「農業と文化…外国でこういうライフスタイルの人いるよねー。カッコイイ!」と、ミモロは、憧れのまなざしを。

すでに千鳥会のお教室に通って3年目のミモロ。以前は、祇園にお教室があり、そこで「源氏物語」の講義と書の手ほどきを受けていました。ところが「ちっとも上達しないのー。でも、先生の講義楽しいから…」と、家で熱心に書の練習をしないミモロ。こういう生徒も温かく迎えてくれるお教室です。
「それぞれ自分のペースで学べばいいんですよー」という先生の言葉に甘え、今では聴講生のミモロです。

さて、「手習講 千鳥会」は、かな書を学ぶ古筆臨書と共に、「源氏物語」と今年からスタートした「百人一首」の解説の講義、そのテーマにそったかな書を学びます。毎週水曜日の2時から5時までの間で、第1・3は「百人一首」、第2・4は「源氏物語」です。会費は1回2000円。

ミモロは、「百人一首」のお教室に通うことに。
 

まずは、古筆臨書を…。「まず墨をすらなくちゃ…筆もつの久しぶり~」と、相変わらずのミモロ。他の熱心な生徒さんのお話に耳を傾けながら、墨をすります。

お手本の上から、文字をなぞるミモロ。「上から書くのうまくなったよー」と、これは筆使いを学ぶ初歩のやり方。でも、これもなかなかむずかしい…。「たまに筆を持つっていいねぇー」とミモロ。全く申し訳ありません。

「はい、書いたの見せてください」と。先生になおしていただきます。
 「なるほどー」「ここは、筆を持ち上げるように…」「そうだったーすっかり忘れてたー」とミモロ。「でも、今日は、なかなかうまく書けたみたい…」と反省の色はありません。ともかくミモロは、このお教室の雰囲気が大好き。他の生徒さんたちも、そんなミモロを温かく迎えてくださっています。ありがたい…

15時すぎ、いよいよ「百人一首」の解説の講義が始まりました。
 

配られた資料を前に、「百人一首」の成りたちや、その背景などを学びます。
 
「百人一首」って坊主めくりしかやったことないかも…」と。

さて「百人一首」は、ご存じの通り、平安末期の歌人、藤原定家により、勅撰和歌集から選ばれ、編纂された和歌集です。定家は、歌人藤原俊成を父に、美福門院加賀を母に、応保2年(1162)に生まれた、和歌の世界のサラブレッドです。 和歌に熱心な後鳥羽院に高く評価され、「新古今和歌集」の編纂に取り組みます。お互いの才能を認めながらも意見がぶつかり合う後鳥羽院と定家。ついに承久2年(1223)の歌会で、定家は、院の怒りをかい、宮中歌会お出入り禁止に。事実上の失脚です。ところが、その翌年、後鳥羽院は、鎌倉幕府打倒の承久の変で敗北し、隠岐島に流罪。それにより、定家は、再び和歌界へ返り咲きます。それから15年後の文暦2年(1235)に「百人一首」の原形が作られることに。

「百人一首」は、鎌倉幕府の御家人で、謀反の疑いから出家し、京都、嵯峨の山荘で隠遁していた宇都宮蓮生により、山荘の襖を飾る色紙型の和歌の執筆を依頼されたのが、それをつくる切っ掛け、ベースになっているとか。

「百人一首」の選考基準は、「勅撰和歌集」から選ぶこと。そして天智天皇以降のものであることが主な基準。
そのため「万葉集」からの和歌は、ありません。

選ばれた歌人は、男性79名、女性21名。その中には、親子が18組含まれているそう。
その中で、天皇は8名。なかでも崇徳、後鳥羽、順徳は、流罪など悲劇的な運命をたどった方々。でも、依頼人の蓮生に渡した「百人秀歌」には、後鳥羽院と順徳院の歌は、他の歌人のものに変更されているそう。
同時期につくり、自分のために手元に置いたとも、伝えられる定家の「百人一首」の99番目の歌は、後鳥羽院のもの

「人を惜し 人を恨めし 味気なく 世を思ふ故に 物思ふ身は」

隠岐に流された後鳥羽院のやるせない思いが、ひしひしと伝わる歌です。

学校でのある指導用の「百人一首」の解説書には、「鎌倉幕府に謀反を企て、そのため反逆者となったので、『百人一首』では、最後の方という扱いを受けた」との記述が。しかし、そもそも自分を失脚させた院の和歌を定家は、選ばず、不採用にもできたはず。でも、わざわざ後鳥羽院の歌を選んだのには、院の和歌の才のみならず、やはり二人の間には、他の人にははかり切れない思いがあったのでは…。

恋の歌が、ダントツに多い「百人一首」。ロマンチックな和歌集として、またカルタになり美しく華やかな宮中の人物の絵により、お正月のカルタや、坊主めくりにと、多くの人に親しまれているものながら、華やかさとは裏はらに、実は、不遇な人生、はかない思いを抱いた歌人のものが多いということを、改めて知りました。



なかなか深い、「百人一首」。この日は、講義の後、一首目の天智天皇の歌を、かな書で書きました。
ミモロ、坊主めくりだけじゃ…「百人一首」の面白さは、全くわからなのよー。
「うん…ここのお教室に通って、柳本先生にいろいろ教えてもらおう…」


「百人一首の歌人たちは、ほとんど京都に暮らした人でしょ。歌に登場する景色が、京都ならすぐにイメージできる・・」とミモロ。京都の文化講座の魅力は、習うことに登場する人物が、生きた現場だということ。

「これからもできるだけ通いますから…よろしく…」と、先生にご挨拶。「はい、自分のペースで、楽しんで学んでくださいねー」と、あくまでも寛容な先生です。だからだれでも大丈夫…。


*「手習講 千鳥会」京都市右京区山ノ内中畑町51 いつからでも入会できます。詳しいお問い合わせは、柳本勝海先生のメールへ。tenaraiko@gmail.com まで、お気軽に…


人気ブログランキングへ
ブログを見たら、金魚をクリックしてね。ミモロより。

特許庁 商標登録第5629418号 copyright2010Sea Hawk Japan co.,ltd. All righs reserved.
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

特注の和服生地、反物を切り売りしてくれる「裂道楽 よ志川」。オリジナルの和小物も種類豊富に

2014-01-23 | ファッション

京都に暮らし始めてから、和服を着る機会が多いミモロ。やはり日本のネコとして、和服は欠かせません。「でもなかなかミモロに合う生地に巡り合えないの…」と。というのは、体の小さなミモロは、無地や総絞りなどは問題がないのですが、人間の和服の柄では、大きすぎて、何が描かれているのかわからないのです。手づくり市などで、ハギレを探しますが、思うようなものに出会えないのが悩みです。

そんなある日、ご近所のお散歩の折、神宮道のセブンイレブンの並びのマンションの1階(以前、ミモロが写真展をやった場所並び)で、「裂道楽 よ志川」というお店に入りました。

お店のケースには、さまざまな和の小物が並んでいます。
     
シュシュ、アームバンド、縁起飾、ポシェット、がま口など、その種類の多さと柄の多彩さが人気です。

もともと呉服屋さんというご店主。正絹をつかったオリジナルの生地で、職人さんが丁寧に仕上げた和小物です。
「ホント、いろんな種類の品があるー」と、ミモロは、店内をあちこち歩き回ります。
 
ブックカバーや袱紗などは特に人気が高いそう。外国人観光客も多く、かさ張らないお土産として大評判。

モダンなものから、伝統の文様まで、種類豊富。「迷っちゃうねー」とミモロ。
「これカワイイ…」 正絹の布で作られた小さなテディベア。バッグなどのアクセサリーに人気。ひとつひとつ違った表情なので、じっくり選ぶ楽しさも。


「あれ、なんだろー」ケースの上に反物を見つけました。
奥行のあるお店の一角に、呉服屋さんのように、さまざまな反物が積まれた棚が。
その前に切り売りの表示が
「えー反物切り売りしてくれるの?」と、ミモロはビックリ。というのは、着物の反物は、1反が着物1着分なので、洋服の生地のように切り売りすることはありません。切ってしまうと、着物が作れなくなってしまうんです。
だから、今まで、ミモロは、どんなに気に入った反物を見つけても、1メートルくらいで作れるミモロの着物では、他の部分が使えなくなるので、とても買うことができませんでした。
でも、こちらの布は、すべて50センチから、必要な長さを買うことができます。しかも新品。好きな布を選び、オリジナルの和小物の特注もできます。

「なにかお探しですか?」と、店主の吉川文子さん。見るからに和服がピッタリの京美人。
「あのーミモロに合う布探してるんです」と。「あら、ここには合うものがたくさんありますよ」と吉川さん。というのは、和小物を作るには、柄が小さなものが適しています。そのため、ここにある布の多くは、小柄模様がほとんど。思わず、目を輝かせ、いっそう布選びに力が入るミモロです。 
「どれにしようなかぁー」高級な絞りの生地も切り売り可能。「総絞りは、振袖もってるしー。もっと気軽に普段着られるお着物が欲しいなぁー」と。

「それならこれはいかがー?」と、吉川さんが選んでくださったのは、色鮮やかな可愛らしい模様がステキな布。
  
「あなたには、かわいい柄や鮮やかな色がお似合いですねぇー」と、「わーこんな着物いいなぁー」。顔映りも上々です。「じゃ、これくださいー」と、ミモロは、オレンジ色の布と、もうひとつ小さな花柄の生地を選びました。

その生地で作ったのが、この着物。ミニ着物の赤塚先生が仕立ててくださいました。
 
今回は、振袖ではなく小袖の街着。帯は、ハギレで売られていた龍村織物の錦です。街着用に文庫結びに。人間用では、とても手が出ない龍村織物の帯。小さなミモロが羨ましい…。

ここにある布の柄の大きさは、ミモロにぴったり。「いいお店見つけちゃったーこれから、お着物はここの布で…」と、大喜び。また着物が増えそうです。
ミモロ、そのお着物でどこ行くの?「お稽古…」と。確かにお稽古にピッタリ。
いい着物ができてよかったねぇーミモロ。

おみやげにも、プレゼントにも、ぜひ。ステキな和小物に出逢えるお店です。

*「裂道楽 よ志川」京都市左京区岡崎円勝寺町140 ポルトド岡崎1F  075-751-7770 10:00~17:00 月曜休み(祝日の場合は営業)地下鉄東西線東山駅徒歩5分 市バス「京都市美術館前」徒歩1分        



人気ブログランキングへ
ブログを見たら、金魚をクリックしてね。ミモロからのお願い
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪の南禅寺。まるで白い桜が咲いたような雪桜。純白の清らかな世界は感動ものの美しさ

2014-01-22 | 寺社仏閣

京都の町中で、雪景色がゆっくり見られるのは、ミモロにとっては2回目。前回は、行かなかった南禅寺へ足を伸ばしてみることに。「朱塗りの建物じゃないから、地味かもねー」と、正直、あまり期待しないで行ったミモロ。ところが、境内に一歩入ると、ミモロは、茫然…
 「わー白い木がいっぱいー」三門までの道を歩きながら、見上げると、楓の枝に雪がつき、木全体が白い花をつけているよう。
「うわーすごくキレイ・・・まるで白い桜が咲いてるみたい…」。南禅寺は、紅葉で有名。どちらかというと桜は、それほど多くありません。でも、この日は、まるで満開の桜を見た心地に。

「南禅寺が、こんなに雪の日、きれいだって思わなかったー」と、ただただ感激しています。

屋根の雪がなければ、桜にみえませんか?「南禅寺の雪桜…って、いいんじゃない?」と勝手に命名。

 
南禅寺は、紅葉の名所。秋に訪れたとき、鮮やかな色に染まった楓の枝。冬は、落葉し、細い枝が残ります。そこに雪がつき、まるで花のように…。おそらく楓の枝は、細いだけでなく、それぞれが離れていて、しかも横に伸びているため、雪がつきやすのでしょう。松の葉は、針のように細くても、密集して生えているので、全体に雪がこんもりと積もってしまいます。もちろん、それは綿帽子をかぶったようで美しいのですが…繊細な花のようにはなりません。「と、いうことは、楓の木の雪景色って、すごくキレイってことかも…」とミモロ。

紅葉の名所といわれる東福寺、金閣寺なども、きっと雪の日もすてきかも…。「今度雪が降ったら、真如堂と永観堂に行ってみよう・・・そこなら歩いて行けるしー」と、また雪が積もることを期待するミモロです。

 境内の中を歩きながら、静寂と純白の世界の素晴らしさに、寒さも忘れてしまいます。

「わー墨絵のよう…」山の木々も薄っすらと雪をかぶり、山の色を消しています。しばし我を忘れたように、雪景色を前に立ち尽くすミモロです。

「ホント、なんてきれいなんだろ~」あまりの感動にボーっと。

緑の苔の上にもドカ雪でなく、薄っすらと…というところに風情が漂います。「こんな素敵な景色が見られるなんて、しあわせ~」。京都に生まれ育った人にとっては、見慣れた雪景色も、東京生まれのミモロには、感激もいっそう。

南禅寺を出て、春、枝垂れ桜が美しかった野村美術館裏の道へ。
 
こちらも、春のピンク色から白へ。しだれ桜の雪は、落ちやすいようで、「ここは、もう少し雪が降った方がキレイかも…」。でも、なかなか風情がありました。

 
春は、桜が見事な道も、雪景色もなかなか…。

「また、雪が積もらないかなぁー」午後には、すっかり溶けてしまった雪。桜や紅葉のように、ずっと見ることも、降る日を前から予想もできません。突然、ほんのわずかな時間だけ、見せてくれる美しさ。観光客も人にも見せてあげたいけど、あらかじめ雪見ツアーが京都では設定できないのが残念。「こんなにきれいなのにねー」とミモロ。
京都在住の方は、ぜひ、雪が積もったら、ご近所のお散歩へ。日頃見慣れた景色も、雪が別世界へといざないます。


人気ブログランキングへ
ブログを見たら、金魚をクリックしてね。ミモロで~す。

特許庁 商標登録第5629481号 copyright2010Sea Hawk Japan co.,ltd. All rights reserved.
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする