ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

祇園祭の「後祭」。24日の巡行に向け、大船鉾も準備完了。ミモロのお手伝いは、22,23日に

2019-07-21 | 祭事・神事・風習

7月17日に「前祭」の山鉾巡行と「神幸祭」が終わった「祇園祭」。いよいよ24日は、「後祭」の山鉾巡行と「還幸祭」が行われます。

「八坂神社」の神輿は、現在、四条通の高島屋のそばにある御旅所で、人々の暮らしを見守っています。

ここでは、「八坂神社」の厄除け粽も授与されています。お買い物の折、ぜひ参拝をしてください。1年で1週間だけ、町中で参拝できるお神輿です。

24日は、夕方にここを出発。21時ごろ「八坂神社」に戻り、神事が夜中に行われます。
「来年は、東京オリンピックの開会式と『還幸祭』が重なるけど…どうしよう~」両方に関心のあるミモロは悩みます。
「祇園祭」は、神事ですから、台風になろうが、スケジュールを変更することはありません。だからいくら「東京オリンピック」の開会式でも、神輿の巡行はなされるはず。「困った~やっぱりテレビで開会式も見たいし~」と思うミモロです。

さて、「後祭」には、今年、ずっと休んでいた「鷹山」が復活し、唐櫃巡行が行われます。「あの、唐櫃、前に大船鉾が復活したときに使ったものなんだって~」全部で11基の山鉾が巡行することになります。

「鷹山」は、10番目。巡行にこぎつけた氏子町の人たちの喜びはいかほどでしょう。

「大船鉾の復活の時も、四条町の人たち嬉しそうだった~」とボランティアでお手伝いしたミモロもそのときの感激を思いだします。

「大船鉾、、もう建ったかな~」とミモロは、新町通に向かいました。

「あ、大船鉾だ~」1年ぶりに拝見する姿に、感激するミモロです。

20日の午後、後祭の大きは山鉾の「北観音山」と「南観音山」そして「大船鉾」の曳き初めが行われました。
巡行では、男性しか綱を曳くことができないのですが、試し曳きでは、観光客などだれでも参加することができます。
ミモロも何度が参加したことがあります。

曳き初めを無事に終えた「大船鉾」は、24日の巡行まで、会所の前で、参拝者を迎えます。
「パーキングの準備してる~」

参拝者は、鉾に乗ることができます。

「あ、あそこだ~今年新しく塗られた場所~」と、船の後ろの欄干を見上げます。そこが今年、赤く漆が施されました。
復活以来、毎年、どこかを整えられ、次第に元の姿のように豪華になってゆきます。

今年は、船首には、江戸時代の大金幣が飾られ、来年は、金色の龍頭がお目見えします。

「あ、こんにちは~」「ミモロちゃん、いらっしゃい~」と挨拶したのは、「大船鉾」を持つ四条町の人たちをお手伝いする「NPO法人 京都の観光文化を考える会 都草」の理事さんたち。
20日の夕方から、「厄除け粽」やお守り、手ぬぐいなどの授与が始まります。

「ミモロちゃん、今年もお手伝いがんばってくださいね~」と。「は~い。がんばります」と元気よくお返事。

「あ、ミモロちゃんもお手伝いなの?」と、こちらもいつも一緒にボランティアをする方々。
「あの、今日は、ちょっと通りかかっただけ~」「お手伝いいつ?」「あのね~ミモロは、22日と23日の昼間、10時~16時が担当なの~」とミモロ。「え?2日間もお手伝いするの?」と。
「うん、2日間頼まれちゃったの~でも、お手伝い好きだから大丈夫~」とミモロ。

実は、「祇園祭」は、訪れる人たちも暑さで大変なのですが、そこでお手伝いする人も、すごく大変なのでした。
1日で浴衣は、汗でグッショリ。馴れない下駄で足には疲労が溜まります。
「帽子やサングラスしちゃいけないし~熱中症にならないように、お水飲むの忘れないようにしないとね~」とミモロ。

そう、毎年、「祇園祭」では、熱中症で倒れる人が続出。よく救急車のサイレンが聞こえます。

今年「大船鉾」では、新たに「勝守」が登場します。戦いの凱旋船である「大船鉾」。勝運アップにご利益が期待されるお守りです。

「さぁ、明日から頑張ろう!みんな来てね~」

ぜひ、「大船鉾」に参拝を・・・お待ちしています。


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7月14,15日に開催された「伝匠美 京あそび 屏風祭り展」。すぐ近くで見れる国宝の屏風

2019-07-20 | イベント

祇園祭の前祭が行われていた7月14,15日に、新町通の「くろちく百千足館」の2階で開催された「伝匠美 京あそび 屏風祭り展」にミモロは、出かけました。
 

祇園祭では、山鉾町の商家などが、代々大切に伝える屏風を、祇園祭の期間に公開する屏風飾りが行われます。
それにちなみ、開催されたこの展示は、なんと国宝や重要文化財の金屏風が一挙公開されるのでした。

午後からは、美術館や博物館の方々による講演も行われ、いっそう屏風に関して興味を抱くことができました。

ミモロが訪れた15日は、「京都国立博物館」の学芸員 福士さんの講演です。
屏風は、もともと風をふせぐための調度品。また、室内を区切る仕切りや装飾としても用いられます。襖との違いは、移動可能なこと。コンパクトに折りたため、収納も便利です。季節ごとに、取り替えて、趣を出すのに、昔はよく使われたもの。
「今は、あんまり屏風使うお家ないね~」とミモロ。でも、大きなワンルームを仕切るのに、本当は、すごく便利なものかも…。

今回の展示には、4種類の屏風が展示会場に並びます。重要文化財「豊国祭礼図屏風」狩野内膳筆、国宝「洛中洛外図屏風」岩佐又兵衛筆、重要文化財「洛中洛外図屏風」作者不明、国宝「源氏物語 関屋・澪標図屏風」俵屋宗達筆です。
「すごい屏風ばかりだね~」とミモロ。
 
講演後、ミモロたち参加者は、屏風をゆっくり観賞します。

「へぇ~こここんな風に描いてるんだ~」と、屏風のすぐそばで観賞。

ミモロ、近づきすぎ~「え?大丈夫だよ~」と。

実は、展示されている屏風は、すべて高精細複製で製作されたもの。大日本印刷(DNP)の独自な印刷技術で、大切な美術品などを後世に残すために、製作されたものなのです。
 
だから、すぐそばで国宝や重要文化財が見られます。

このプロジェクトは、現在、全国の美術館や博物館などで進行中。
「あ、ミモロちゃんですね~」と、DNPで京都文化遺産グループのリーダーの桐谷さん。


「ここに展示された屏風は、いつもは美術館などで、ガラスケースの奥に展示されています。でも、複製により、それをすぐ近くで観賞できるようになりました。ですから、美術館とは、また違った楽しみ方ができるんです。複製をよく見てから、本物を見ると、きっといっそう興味深く感じると思います」と桐谷さん。

屏風の複製に使われた技術は、金箔の上に印刷した特殊技術です。コピーとは異なり、金の輝きが本物なので、実物と同じような感覚が味わえます。

複製を製作するのは、本物の修復にも役立ちます。つまり、複製は、それ以上劣化しないため、複製製作年度以降の修復の手本にすることができるのです。

「地方で、このような展示をすると、すごい人気なんです」と桐谷さん。

いつもなら、美術館に行かなければ見れない屏風も、いろいろな会場で展示することができます。
また、いろいろな作品を一度に見ることも可能に。

近年、京都の神社仏閣の宝物や襖絵、屏風なども複製品を展示することが多くなりました。
確かに本物を見たい!とは思いますが、展示することで、その劣化の進行は年々進んでしまいます。
「でも、ずっと保管庫に置かれたら、つまんないよね~見れなくて~」とミモロ。
そう、やはり素晴らしい作品を見たいもの。
美術品の写真集などで、いままでは、目にしていましたが。この複製技術なら、本物と同じサイズで観賞でき、その迫力を感じることができます。

「やっぱりすぐそばで見れるのがいい~」と、小さなミモロは、美術館などのガラス越しでは、よく見えなかったのです。
 

今後、ますます印刷技術は進歩し、絵具の立体感なども再現できるように…。


「これはお土産品だって~」小さなサイズのものもできるのが複製ならでは。ほかにもいろいろありました。


次の時代に、歴史的な素晴らしい品々を伝えること。それが今の時代の使命・・・。
海外の美術品などの複製製作も、このような日本の印刷技術が大いに貢献してゆくことでしょう。

「本物じゃないけど、十分その迫力が伝わってくる~」とミモロも、存分に国宝や重要文化財を観賞したひとときでした。

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京の夏の風物、「上七軒ビアガーデン」。舞妓さんたちと過ごす素敵な夜

2019-07-19 | 京都

「ミモロちゃん、舞妓さんに会いに行きませんか?」と、お友達に誘われたミモロ。「え~舞妓さん?行く行く~」と、目を輝かします。

向かったのは、北野天満宮のそばにある花街「上七軒」。そこの歌舞練場では、毎年、夏の7月1日~9月5日まで「上七軒ビアガーデン」が開催されます。

「そういうところ値段高いんじゃないの~。お小遣いでいけるかなぁ~」と、ちょっと心配したミモロですが、実は、最初のセットは2000円で、生ビール1杯と酒の肴2品が楽しめる、気軽なもの。
  
雨上がりの濡れた路地は、風情満点。そこをミモロは、お友達の待つ入口に急ぎます。

京都には、五花街といって、祇園甲部、祇園東、先斗町、宮川町、そして上七軒があります。ミモロが今回訪れた上七軒は、その中で最古の花街で、室町時代、北野天満宮の社殿が一部焼失したとき、その再建の余材で、七軒の茶店を建てたことをルーツにしているそう。

春は、「北野おどり」など華やかな舞台を務める舞妓さんや芸妓さん。お座敷でおもてなしを受けるのは、とてもミモロではできませんが、ビアガーデンなら、舞妓さんたちに会って、写真撮影もお願いできます。

「ミモロちゃん、浴衣で来たんだ~よく似合いますね~」とお友達に言われたミモロ。ちょっと鼻が膨らみます。「では、こちらへどうぞ~」と、ミモロたち一行は、池に面した欄干席へと案内されました。
「こっちだって~」
お庭を横目でながめながらお席へ。

歌舞練場の中ビアガーデンのお席は、おまかせで、すべて椅子席。雨でも大丈夫なようにお庭の席も屋根があります。

席に着くと、さっそく酒の肴の枝豆と冷ややっこが・・・
「食べてもいいの?」ダメ、乾杯してからね~。

「そろそろ舞妓さんテーブルに来るから、用意しよう~」とミモロは、ゴソゴソ。持参した日本髪のカツラをかぶります。


各テーブルには、次々に舞妓さんや芸妓さんが顔を出して、しばしお話ができます。
「キャ~かわいい~クマちゃんの舞妓さんどすか~」「う~あの~ネコどす~」とミモロ。カツラで耳が隠れちゃってるから、クマに見えるんだ~と、思っているミモロです。
「よ~う、似おうてはる~可愛らしい~」と、舞妓さんたちに褒められ、ますます鼻が膨れるミモロです。
  
「わ~い、本物の舞妓さんと同じ~」と、嬉しそうなミモロです。

素敵な芸妓さんたちも・・・「可愛らしい~。こんなカツラ、よーう見つけはって~」と。「これ特製なの~簪もつまみ細工の『おはりばこ』さんが作ってくれたの~」と説明します。
 

「ミモロも舞妓さんで、ほかのテーブル回ろうかな~」と。ダメ~ここにいるの・・・
「でも、ミモロ、舞妓さんだよ~」と
ちょっと寂しそうに池を見つめます。

「ミモロちゃんは、このテーブルの専属ってことで…さぁ、みんなで記念撮影しますよ~こっち来て~」と、そんなミモロを見たお友達。

みんなやさしいおじさまとお兄様たち、そして素敵な着物姿の留学生の方…。

約2時間、ビールをお替わりしたり、酒の肴の注文したり、食べて飲んで、ひとり5000円くらいでした。

楽しい会話を弾ませながら、すごすひととき。「楽しい~ね~」とミモロ。「ミモロちゃん、お酒飲めるんだ~」「うん、ネコは、年齢制限ないの~顔に出ないタイプだし~」と、大好きな梅酒を2杯飲みました。

「舞妓さんになりたいなぁ~」と憧れるミモロ。「でも、ちょっとカツラ重い~」と首を傾けていました。


夏の京都、ぜひ訪れたい場所のひとつです。

*「上七軒ビアガーデン」の詳しい情報は、ホームページで

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「祇園祭」のメイン、「八坂神社」の神輿が巡る「神幸祭」。今年のミモロの見物は・・・

2019-07-18 | 祭事・神事・風習

「祇園祭」一色の17日の京都の町。午前中は、山鉾巡行。そして夕方は、祭りの主役、「八坂神社」の神輿が登場する「神幸祭」が行われます。

ミモロは、今年は、「山鉾巡行」は、テレビで観賞。そして夕方、17時にお友達と待ち合わせして、神輿の巡行を見物に、「八坂神社」へと向かいました。

東大路通を歩いていると、途中、「神幸祭」で神職を乗せる馬がスタンバイしています。


「八坂神社」の周辺は、すでに大勢の人で、神社の中には、入ることができません。「う~しょうがないなぁ~」と言いながら、ミモロは、円山公園から神社の南側の「正門」を目指すことに。
円山公園の一角には、倉庫がズラリと並んでいます。

実は、この倉庫は、山鉾を保管する場所。午前中に巡行を終えた「前祭」の山鉾が、解体され、倉庫に来年まで保管される準備が進んでいます。「もう、解体されちゃったんだ~」。そう、間もなく、町には、「後祭」の山鉾が建ち並びます。

グルリと神社を回るように進んで、やっと南側の門に到着。この門から、大きな3基の神輿と子供神輿は出て、石段下に集合し、神事の後に、町を巡り、夜には、四条通の高島屋の近くにある御旅所に到着。そこで、1週間滞在し、「後祭」の24日の夜に、御旅所を出発し、神社へと戻る「還幸祭」が行われるのです。

「あ、お神輿出てきた~」18時近くになって、最初に、ご祭神の素戔嗚尊を乗せた「中御座」が、「三若」に担がれて出てきました。
 

3基ある大きな神輿は、それぞれ担ぎ手のグループが分かれています。

次は「四若」が担ぐ「東御座」の神輿で、これには、奥さんの櫛稲田姫命が乗っています。
神輿は、門をでると、そのまま真っすぐ進み、しばらくして、再び門の前に戻り、石段下へと進みます。
「あ、戻ってきた~」
 

門の東側で見物していたミモロ。「あ、こっち来ない~」と慌てたのは、最後に登場した「錦」が担ぐ子どもたちの八柱御子神が乗る「西御座」の神輿。門からすぐに石段下へと向かいました。


神輿がすべて石段下に向かった神社。ミモロとお友達は、中へ進みます。そこには、もうほとんど見物人の姿はありません。
「わ~すごい人だね~」
神社から、チラリと見える石段下。そこには、大勢の見物人の姿が・・・でも神輿は見えません。
「3基並んでいるとこ、見られないけど、いいよ」とお友達。「そう、じゃ、お腹空いたからご飯にしよう~!」とミモロ。

ミモロが案内したのは、下河原通の「ひさご」です。「ここの親子丼有名なんだよ。いつもたくさんの人で、並ばないと食べられないこともあるんだから~」とミモロ。
18時半に入店すると、店内は、10人ほどしか人がいません。「よかった、すぐ食べられる~」。予想外に空いていてラッキー。
  
ミモロは、大好物の甘きつねそばを注文。「すごくお揚げが厚い~。中まで味が沁みてて美味しいね~」と。初めてというお友達は、名物の親子丼を注文、「やっぱり、こっちも美味しそう~ちょっと食べさせてね~」とミモロ。

食べ物を前にすると、本当に目が真剣になるミモロです。

食事を済ませ、再び町へ。今度は、祇園の花見小路を案内します。「あ、ここにも神輿到着してる~」
 
「錦」の「西御座」が到着していました。歌舞練場の前には、舞妓さんの姿も。見物人は、神輿と舞妓さんと両方の撮影に夢中。


「あれ~西御座の神輿は、お友達が担いでいるはずなのに~見つからないなぁ~」とミモロ。
大勢の担ぎ手の中から、お友達を見つけるのは、至難の業。

「あ、ここ火事があったところ~」今は、カバーで囲まれている火事現場。ここには、ミモロが以前、行ったことがあるお店もありました。

「なんか喉渇いたんだけど、どこかいいとこ知らない?」とお友達。「う~、せっかくだから神輿が見物できる場所がいいよね~」と、いろいろ考えたミモロは、三条通へと向かいます。「この時間なら、そろそろ神輿、三条通を通るころだから~」と、ちょっと歩いて・・・。

三条通の「池田屋」のそばにある「コメダ珈琲」は、2階にお店があり、幸い、窓のそばの席に座ることができました。
「ソフトクリームが乗ったコーヒー飲みながら、お神輿待ってよう~」と、いつもよりゆっくり食べるミモロです。
待つこと30分。神輿がやってきました。
「わ~すごい~四若の東御座の神輿が来た~」と、窓から下を覗きます。

「こんな景色、見たの初めて~すごい~」と神輿を高く差し上げる様子が、すぐそこに見えます。「上から見るのは、失礼だけど…拝みたくなる、神々しい姿~」と感激しながら、手を合わせ、祈るミモロ。

差し上げは、地上より上から見るか、神輿の正面か後ろから見ると、担ぎ手がズラリと並び、本当に美しいのです。

「おかしいなぁ~お友達の西御座の神輿もそばにいるはず・・・もう少し待てば来るかなぁ~」とミモロは、お友達に電話で連絡。「ミモロちゃん、どこにいるの?今、東御座のすぐ後ろにいて、そっちには行かず、高瀬川沿いに移動するんだ~」とお友達。「え~今、すぐそこに行くね~」とミモロは、慌てて高瀬川のそばへ。
「あ、ミモロちゃん、ここ!」と、やっとお友達の田村さんと会えました。
「もう今年、会えないかと思った~よかった~」と飛びつくミモロでした。

「御旅所まで、がんばってね~!」と応援し、神輿を見送りました。


御旅所に21時頃到着し、そこに神輿を納め、担ぎ手が解散するのは、23時頃。まだまだ先は長い夜なのでした。


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幕末、祇園祭の宵々山に起こった「池田屋事変」。16日に行われる「新選組隊士等慰霊供養祭」

2019-07-17 | 京都

コンチキチ~と、京都の町に流れる祇園ばやし。7月16日にミモロは、四条通の西、「壬生寺」に出かけました。

この日、「壬生寺」では、「新選組隊士等慰霊供養祭」が。午後13:30から行われるのです。
お友達に、この慰霊供養祭のことを教えてもらったミモロは、「行かなくちゃ~」と、新選組隊士の装束で出かけることに。

「壬生寺」のそばは、幕末、新選組の屯所が置かれた場所。関東からやってきた新選組の隊士たちは、ここで京都守護職である会津藩の松平容保のお預けとなり、京都の治安を守るお役目に就きます。

当時京都は、倒幕を目指す、薩摩、長州などの勤王派佐幕派の志士と、幕府側の衝突など、治安の乱れが京の人々を不安にさせていました。
そんな状況の中でも、祇園祭は行われ、『元治元年(1864)旧暦6月5日に、倒幕派浪士が、三条池田屋に集い、6月20日前後の風の強い日に京都の町に火をつけ、その混乱の中、天皇を奪い倒幕する』という情報を得た「新選組」は、京都の町を守るために、出動。これが「池田屋事変」です。

「へぇ~池田屋事変って、祇園祭の時だったんだ~知らなかった~」というミモロ。

つまり、この日は、「新選組」にとって、歴史を動かした記念すべき日であり、その存在を広く知らしめた日でもあるのです。
この「池田屋事変」で、明治維新は、1年遅れたといわれるほどのものだそう。

明治という新しいシステムの時代を目指す勤王佐幕派・・・、長く続いた徳川幕府体制を死守しようとする幕府側の「新選組」、共に日本の将来を考え、行動した人たちです。

この「新選組隊士等慰霊供養祭」は、等という文字があるように、幕末維新に、命をかけた人々を共に慰霊供養するものです。

ミモロが到着したとき、本堂の前には、ズラリと新選組の装束の人たちが並んでいました。そこで、この日の意味などのお話が。
 
ミモロも、一緒に、そばで…すでに新選組の一員のよう。

この慰霊供養祭は、昭和51年に発足した一切政治色がない「京都新選組同好会」の方々が参加し、壬生寺が主催し行われます。
つまり、幕末の京都で、日本の平和を願った人たちへの思いを、伝え続けたいという会なのです。

「あの~写真一緒にお願いします~」と、ミモロは恐る恐る隊士の方々に近づきます。
「あ、小さな隊士・・・よくいらっしゃいました~」と、皆さん、とても優しくミモロを受け入れていただきました。
 
時代の大きな流れを知りつつも、己の志を貫いた隊士たち。その若き人々への思いを募らせる方々なのです。


屯所のあったそばにある「壬生寺」には、新選組隊長、近藤勇の銅像がある「壬生塚」があり、その前で慰霊供養祭が行われます。
  
尺八の奉納に続き、壬生寺貫主の松浦さんの供養文奉納。そして参列した人全員が、次々に焼香を行います。
この日、全国から「新選組」を崇敬する多くの人々が参列。「すごいね~」と驚くミモロでした。

ミモロも、焼香します。
 
三条河原に首を晒された近藤勇。「新選組」には、多くの関東出身の士族などが名を連ねます。東京出身のミモロは、京都でも、このように慰霊供養してもらえてよかった・・・と、そっと思うのでした。

この慰霊供養祭には、島原の太夫も参列。
「あれ、小さな隊士さん・・・」とやさしく抱っこしてもらいました。

すっかり新選組の隊士のように、凛々しく立つミモロ。
 

慰霊供養祭の後は、剣舞などの奉納も。
「このあと、歌謡ショーもあるんだって~」というミモロですが、すでに15時近く、戻る時間になりました。
残念ながら歌謡ショーは、見ずに戻りました。

境内には、蓮の花も咲く「壬生寺」です。


ちなみに「新選組隊士等慰霊供養祭」には、だれでも参加自由です。

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