ストローバレイ家の介護奮闘記

90→→92歳の母を支える4姉妹の泣き笑い奮闘記・・とその後

新年会@「羽衣」

2014-01-31 15:27:22 | 日常
           

昨日は昔勤めていた会社の同僚と、「羽衣」銀座本店で、恒例の新年会をしました。いつも集まる4人のうちの1人が去年秋悪性リンパ腫と判明、療養中のため、今年は3人という少し寂しい集まりになってしまいました。

「何か寂しいね~」と言いながらも、ビールで乾杯し、料理が出てくると俄然活気が出てきて、何時ものようにおしゃべりも弾みます。退社して随分たちますが、会社で思い切り自分を出しながら仕事をしてきて、お互いの欠点も長所も十分に承知している間柄。昔の思い出も、近況も、すぐにツーカーで通じ、何の遠慮や気遣いも要らない、本当に楽しい、大切な仲間だと改めて実感しました。

        

この店は何と言っても餃子が美味しいのですが、餃子は出てきてすぐに食べ始めて、写真を撮りそこないました。写真は前菜の盛り合わせと、牡蠣と柿のオイスター炒めという特別料理で、勿論これも美味しかったです。

           

ビールの後は甕だし紹興酒のぬる燗。実に美味しい!もともと飲み仲間なので、グイグイいってしまいました。でも大笑いしながらのお酒は全然悪酔いとかにならないんですよね。

今回参加できなかった友人の次回飲み会への復帰を祈りつつ、この集まりがこれからも続くように頑張ろう、と誓い合って?、ご機嫌なまま解散となりました。(三女)
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トルコの旅(4):イスタンブール~成田

2014-01-30 09:44:15 | 日常
  

<7日目(最終日):イスタンブール⇒成田>

本来空港に向かうまでの午前中はフリータイムの予定が、前日消化できなかったグランドバザール見物に費やされることになりました。

オスマン帝国初期に原型が造られ、イスタンブールの商業の中心となってきたグランドバザールも、今はもっぱら観光客用の土産物を並べた店ばかりとか。後でクレームがつくことがあるようで“場所代が非常に高いため商品の値段が割高になっていたり、中には粗悪品も混じっていることがある”という内容のことを婉曲に言って、「だから買物をするのならばそれを承知の上で、値切ることを含めてここで買物をすること自体を楽しんで下さい」と現地ガイドさん。

また、拡張を続けた結果、今は3万㎡の広さに4千軒以上の店が軒を並べ、22もある出口につながる通路は入り組んでいて迷路のよう。“出口に名前がついているので写真を撮っておく”など迷子にならない方法を念入りに教わりましたが・・・、それでも迷子になりかけました^^;。

        

店の人も歩いている人も殆どが普通の洋服姿で、観光客が少ない時期のせいもあるのか、グランドバザールが、勝手にイメージしていたようなエキゾチックで混沌とした世界で無くて、ちょっと拍子抜けでした。(帰国してから調べたところ、エジプシャンバザールや問屋街の方がイメージ的に近かったようです。) 

予定の1時間で、私は水差しとクッションカバーを、友人達は小皿や石鹸、お菓子などをここまでの経験を活かして値切りに値切って購入しました。友人達が購入したものは他でも見てきたので相場がある程度分かっていたのですが、特に水差しは品質も適正価格も分からないため、自分にとっての商品の価値に見合う金額になったところで手を打ちました。時間に追われながらも結構良い値段まで下げられたと思うのですが、店主が機嫌よく送り出してくれたところをみると、多分まだまだ甘かったということなのでしょうね。

  

昨年6月に大規模な反政府デモの中心となったタクシム広場。中央にアタチュルクの像などが飾られている共和国記念碑の周りを“Police”のベストを着た私服警官が囲んで、私達のように明らかな観光客も含め、一般人の立ち入りを禁止していました。数日前に小規模なデモがあったので警戒していたのでしょうか。ガイドさんがこの時は少し緊張して、そそくさとその場を離れたのが印象的でした。

  

<沿道の風景>

今回バスでの移動は多くはなかったのですが、それでも4日目はパムッカレからコンヤへ6時間、コンヤからカッパドキアまで3時間と長時間乗り続けました。バスでの長時間移動は疲れますがその分沿道の景色を見る楽しみがあって、特に初めての国では嫌いではありません。

今回沿道でもっとも目についたのは、まずモスクのある村の風景。ヨーロッパを旅するとよく目にする教会の塔の代わりに、モスクのミナレットが村に聳えているという趣きです。次は、建物の屋上についている太陽熱温水器。パネル型の集熱器と貯水タンクが一対になっているもので、あらゆる地域の建物の屋上で本当によく目にしました。私は今まで見た覚えが無いのですが、日本でも70年代の石油ショック以降に注目された時期があり、今また「太陽エネルギー利用拡大」の一環として脚光を浴びているそうです。(環境ビジネスオンライン)

        

トルコは食料自給率が90%以上で、果物や野菜の殆ど全てが国内産。中部地域は小麦の一大産地で、オリーブ畑、ザクロ畑地帯を過ぎると平原地帯がはるか彼方まで続いています。肉は羊が主で、所々に羊の群れを見かけました。魚も特に地中海沿岸ではよくとれるとのことで、イスタンブールの鯖サンドは有名ですが、レストランでドンとでてきた30センチもありそうな魚の丸焼きは迫力がありました。

食べ物に関して豊かな国という印象ですが、産業としての農業の占める割合は8%(2012年トルコ国家統計局)で、農民は貧しく下に見られているというのが、ガイドさんの口ぶりから感じられました。ちなみにサービス業は57.7%で、観光の占める割合が大きいのでしょうか。

  

<食事>

文句無く美味しかったのはチェリージュースとザクロジュース。チェリージュースは機内やホテル、レストランに必ず置いてある最もポピュラーなジュースで、甘みも酸味もすっきりとして美味。ザクロジュースは町でよく見かけるジュースコーナーで出してくれるものが新鮮で意外なほど美味しく、小さい頃実家にあったザクロの木の実が種ばかりで食べにくくて、食べるよりも見て楽しむものと思っていただけに、絞ってジュースとして飲めばよかったと今更ながらに悔やんでいます。

パンやヨーグルトも種類が多くて美味しく、バイキング形式のホテルの朝食はいずれも文句無しでした。(ホテルが全てデラックスクラスだったせいでしょうか?)

  

でも肝心の昼、夜の食事となるとやっぱり団体用の残念なもの。ヤフラック・ドルマス(ブドウの葉のピラフ詰め)、ピデ(ピザ)、チョップシシ(小さな羊肉の串焼き)などはそれなりに美味しかったのですが、全体にトルコ料理の実力はこんなものではないはずと思われて。

ツアーで海外を旅行すると常に感じるのが食事の貧しさです。勿論いつも格安ツアーばかりなので文句をいうなと言われればそれまでですが、食事は旅行の楽しみの大きな要素。特に今回は世界3大料理の1つといわれるトルコ料理だったので、例えばツアーの料金を1万円高くしてでも、もうちょっと美味しいものを食べさせてもらいたかったというのが偽らぬ感想です。

           

<買物>

こんなに買物をした旅行は初めて。トルコには名産品が名前を上げるときりがないほどあって、その中にはナッツ、ドライフルーツ、香辛料、蜂蜜、化粧品、陶器など気軽に買える値段のものが沢山。そこにもってきて売り手の日本語の上手さと売り込みの熱心さは、今まで少なからず海外を旅行して来た経験に照らしてダントツです。

トルコリラ、円、ドル、ユーロ何でもありで、ぐんぐん押してきます。観光地では「3個千円」「5個買うと1個オマケね」なんて当たり前。
特に日本円の場合は両替がしにくい小銭は避けたいらしく、何でも量を増やすことで千円にもっていこうとします。有名な魔よけの目玉「ナザール・ボンジュウ」などは余りにも大量の束をじゃらじゃらさせて「全部で千円」というので思わず笑ってしまいました。添乗員さんが「千円札を沢山用意しておくと良いですよ」と言っていた意味が良くわかりました。

  

ツアーに組み込まれている絨毯屋、宝石店(トルコ石)、陶器屋、皮専門店のような高価な商品を扱う店には、日本語が達者な店員が何人もいて、ちょっと興味を示そうものなら食いついてきて離してくれません。しかも値段交渉の最終段階には “社長”まで出てきたりして。その社長の肩を抱くようにして甘言をつくす優雅な強引さは苦笑してしまう程でした。

私も始めは冷やかしのつもりで見ていたのですが、百戦錬磨の彼らに勝てるわけがありません。分かっているのにいつの間にか相手のペースにはまって、衝動買いにしては高い買物をしていました。すごく気に入っているので買ったことを後悔はしていませんが、買う気がないのなら冷やかしの値段交渉はここでは止めたほうが賢明だとよくわかりました。

半値以下になったもの、うまく値切りそこなったものなど様々だし、幾らが適正価格かなんて結局分からないのですが、全て納得済みでの買物。買物を終えての感想は「あ~面白かった!」でした。

           

<ガイドさんから聞いたトルコ事情>

今回現地ガイドを務めてくれたOさんはとても話し好き。観光地での詳しい説明は勿論のこと、移動中のバスの中で、トルコに対する愛情とプライド、そして多少の忸怩たる思いを込めて、トルコについていろいろと熱く話してくれました。以下はその内の2点です。(ご存知の方も多いと思いますが)

1.親日的なトルコ人

トルコの人々は親日的だという話をよく聞きます。観光地や土産物屋では片言の日本語で親しげによってくるし・・・というのはともかく、実際この旅行中、欧米を旅行する時に稀に感じてしまう差別感などは全く感じず、とても心地よく違和感なく過ごすことができました。

ガイドさんが説明してくれたその理由とは、「明治時代に紀伊半島沖で難破したトルコの軍艦エルトゥール号の乗組員を村民が助け、更に“山田寅次郎”が義援金を集めてトルコに渡り、20年間の滞在期間中に両国間の友好関係を築いたこと」で、エルトゥール号の話はトルコでは小学校の教科書にも乗っているほど有名なのだそうです。

「だからトルコの人は日本人が大好きなんです。でもそれに対して、日本の方々のトルコへの関心は・・・」ちょっとつらいものがありました。

2.EU加盟

アタチュルクがトルコ共和国設立時に政教分離政策をとり、表記をアルファベットに変更するなど様々な面で西洋化を推し進めてきましたが、1987年から申請しているEU加盟が未だに実現していないということを憂いて、「侵略された歴史が残る上に宗教が異なるヨーロッパでは、トルコをヨーロッパの一員としてはなかなか受入れ難いのでしょう」だから「EU加盟は無理だと思うので、独自に経済発展を目指すべきです」。

学校教育のもたらす影響の大きさ、歴史に左右される国家間のありよう。普遍的な課題なのですね。

ちなみに現在トルコでは、アタチュルク空港を拡張してヨーロッパのハブ空港を目指すなど、「多角的な平和外交を基調としながら、2023年(共和国建国100周年)には世界第10位の経済大国をめざしている」(外務省の基礎データから)とのことです。

           

イスタンブールに行くことがメインの目的だった今回の旅行。ついでのつもりで巡ったパムッカレとカッパドキアの想像を超える自然の造形や、エフェソス遺跡の長大な歴史の跡を間近に見ることができ、東西文化の融合地域という以外にもトルコがいろいろな表情を持った魅力溢れる国だということを実感した旅となりました。ただ、肝心のイスタンブールに関してはどうしても物足り無くて、次は数日滞在する形で再訪したいと友人と話しています。果たして次がありますかどうか。(四女)
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「じゅじゅ」の旅立ち

2014-01-29 14:44:06 | 日常
           

我が家の愛する猫「じゅじゅ」が、26日正午、私の腕の中で天国に旅立ちました。昨年6月の脂肪細胞腫(癌)の脊髄転移だったようで、前肢の脱力、食欲不振から始まり、当日朝の呼吸困難、そして死亡まで2週間ちょっとという速さでした。

何だか信じられない感じですが、下肢が動かなくなり2日前からトイレに行けなくなったことに彼のプライドが許さなかったのかもしれません。

        

一昨日いつもお世話になっている慈恵院でお骨にしてもらい、我が家最後の猫ちゃんなので四十九日までは家に置いてあげることにしました。

最後の1週間は殆ど炬燵から出て来なかったので、姿が見えない事には違和感がさほど無いのですが、食事の時に必ず横に居たのが居ないのは物足りない感じがします。まあ人に迷惑がかかる前にあっさり逝ってしまうという潔さは飼い主孝行でした。母の時同様、家の中にもう気配が無いのは、充分満足して逝ったということかなとも思います。

何かそれも物足りないですが、明日から何やかやと忙しいので それにも慣れるでしょうと思っています。(次女)
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Dちゃんの版画

2014-01-28 17:00:17 | Weblog
           

Dの版画が、クラスで選ばれて、市の展覧会に出品される事になりました。そのお知らせがあった先週の水曜日、本人まさかの号泣。「俺、そういうの嫌なんだよ。選ばれたくなかった。」

その後、先生からも電話があって「D君から聞いたかもしれませんが、作品が選ばれまして、題名を考えようと話ししていたら、途中で帰ってしまいました」と。どないやねん???

何とかDおぼっちゃまのの許可をとって、週末に見に行って来ました。作品の題名は「食べられちゃうかも…」。解説:「ダイオウイカを探しに潜った深い海の底はたくさんのダイオウイカが暮らす楽園でした。食べられちゃうかもしれません。」だそうです。(Y子)

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トルコの旅(3):カッパドキア~イスタンブール

2014-01-26 15:42:43 | Weblog
              

<5日目:カッパドキア観光>

        

朝5時45分にアザーン(お祈りの時間を告げる詠唱)の低く歌うような声が聞こえ始め、部屋の外に出てみるとあたりは未だ真っ暗。坂の下にある町のモスクからのようで、周辺の洞窟ホテルや街灯の僅かな明かりが点る中、地の底から湧きあがるように岩山にろうろうと響き渡る声はとても幻想的で、異教の地に来たことが実感されました。

           

明るくなって朝食のために部屋を出ると気球が岩の間をゆったり動いていました。カッパドキアは気球観光のメッカ(イスラム的!)で、ガイドさんによるとカッパドキアの空からの眺めは絶景とのこと。去年5月の事故を受けてツアーがオプションを中止していたのが、止むを得ないとはいえちょっと残念でした。気球は風が穏やかな夜明け前から出発するのだそうで、我々が見たのはちょうど降りてきているところだったようです。

  

カッパドキアの奇岩地帯(世界複合遺産)は、数億年前にエルジエス山などの噴火によって堆積した火山灰と溶岩層が、長年にわたり風雨に侵食されてできたもの。大規模な奇岩地帯は米国などにもありますが、ここでは未だにその中に人々が住んでいることが驚きです。そういえばホテルの近くに”for sale”の看板が掲げられた洞窟住居がありました。魅力的でしたが、ちょっと崩れかかっていて維持費が大変そうだなので購入を諦めました(^^)。

  

ギョレメ谷の岩山の洞窟には、かつて迫害から逃れて各地から移り住んだキリスト教徒の教会や修道院が数多く造られており、その一部がギョレメ野外博物館(館というより、地帯ですが)として保存されています。それらの内部にはフレスコ画がかなり綺麗に残っており、また、入口に模様がかすかに残っている教会跡もありました。

  

また地下都市も多くあり、今回見学したカイマルクは最大のもの。地下深くありの巣のように掘り巡らされた地下都市は地下8階まであり、教会や食堂、食料貯蔵庫、ワイン製造所、家畜の飼育場、換気口まで備え、一時は5000人ほどが暮らしていたとのこと。未だ全てが発掘されたわけではなく、現在は地下4階まで見学ができるようになっています。

通路は非常に狭く、時にはかなり屈まなければ通れないほど天井の低い所もあり、事前に閉所恐怖症の人や心臓に問題のある人達は見学を避けたほうが良いと言われ、3人ほどが見学を見合わせていました。

命の危険があれば、人々はこの様な極限の生活をも選択し享受できるのかと、そのバイタリティと精神性には驚くばかりです。

        

<6日目:カッパドキア→ネヴシェヒル→カイセリ⇒イスタンブール>

朝起きてコーランの声につられて外に出ると、真っ暗な世界が白い濃霧に包まれていました。霜もおり、プールには厚い氷も張っていて昨日の晴天が嘘のよう。これが昨日だったらカッパドキアの奇観が何も見えなかっただろうから、「悪天候が移動日の今日でラッキー!」と喜んでいたのですが・・・。

        

ネヴシェヒル空港から12時発のイスタンブール行きの飛行機に乗る予定だったのですが、朝からの濃霧でイスタンブールから来て折り返す予定の便が来られずに、食べるものも何も無い田舎の飛行場でただただ待ちぼうけ。

結局、予定の飛行機がネヴシェヒルに降りられず、バスで1時間半ほどの距離にある、大きいカイセル空港に着いたとの知らせが来たのが4時間以上経ってから。一度預けた荷物を受け取ってバスに乗せ、濃霧の中をバスで移動。また荷物検査などを受け直してイスタンブールに向けて発つことができたのは、予定から遅れること7時間、19時のことでした。

        

その結果食事のプランが大幅に狂ってしまい、朝食後の長い空腹の後に、機内食のサンドイッチ、ランチ用のケバブで作られたサンドイッチ、夕食の海鮮料理という(添乗員さんの嗜虐的表現の)食べ放題状態に。誰のせいでもないけれど、くたびれた~。

午後イスタンブールに着いてからグランドバザールなどを楽しむ予定もつぶれてしまったし・・・結局「ラッキー!」とはいきませんでした。(四女)
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トルコの旅(2):エフェソス~バムッカレ~カッパドキア

2014-01-26 12:07:44 | 日常
  

  

<3日目:イスタンブール⇒イズミール→エフェソス→パムッカレ>

エフェソス(ギリシャ語名、トルコ語ではエフェス)は、先日“ネコの部”で触れたように、トルコの南西部に位置するトルコ最大の古代都市遺跡。世界7不思議のひとつアルテミス神殿の建設から始まった都市は、かつてはエーゲ海に面する海洋都市としても大いに栄えたとか。未だ10%程度しか発掘が進んでいないとのことですが、神殿、図書館、劇場、市場、浴場、公衆トイレ、娼舘の跡などが見渡す限り広がっており、一大文化都市であったことを伺わせるに十分でした。

           

パムッカレでの宿泊先コロッセア・テルマル・ホテルには近隣のホテル同様温泉プール(写真は観光案内から借用)があり、夕食後、水着に着替えて軽く一風呂(?)。水温は39度くらいと低めですが久し振りにお湯に浸かってホッと一息つきました。時間が早かったのでプールにはツアー仲間が数人ほどしかいなかったのですが、そこに頭から足まで黒ずくめのイスラム衣装(アバーヤ)の女性が来て、そのままプールの中に。話に聞いていたとはいえ、近代的プールとの対比もあり、やっぱりちょっと驚きでした。

        

<4日目:パムッカレ→コンヤ→カッパドキア>

世界遺産(複合遺産)登録されているパムッカレの石灰棚は、台地の上から流れ落ちるお湯が下の平原に流れ込む間に冷却され、お湯に含まれる石灰分が結晶化してできたものとか。パムッカレとはトルコ語で‘綿の城“という意味で、バスで向かうと行く手にその名の通り真っ白な台地が突然現れます。

        

台地の上につくと目の前に、真っ白な石灰棚に薄水色の水を湛えた信じられないほど美しい光景が広がっていました。どうしてこんな光景が存在するのか、理屈では分かっても奇跡のようです。最近は周辺の温泉ホテルの開発ラッシュで湯量が減少してしまったため、石灰棚にお湯を流す時間・区域・湯量を調整していて、写真の“テラス”に水が無いこともあるとか。今回のように水を張った素晴らしい“テラス”の光景を見ることができた私達は「ついている」と、何度もここを訪れている添乗員さんが言っていました。

        

また、朝日に照らされて湯気が立ち上る様子もとても幻想的で、お天気も含めて訪れたタイミングが本当に良かったようです。

           

石灰棚は1部開放されていてその中を歩くことができます。ただ石灰棚保護のために裸足になる必要があり、靴と靴下を入れたビニール袋を手に持ち、パンツの裾を膝までたくし上げての散策となりました。

流れ入ってくるお湯は暖かいけれど、溜まっている水は外気で直ぐに冷やされてとても冷たく凍りそう。また当然手摺がない上にごつごつした岩床が場所によっては苔が生えていてすべることも。ころんで骨折した日本人客もいたとかで、まさに冷や冷やものでしたが(^^;、自然の驚異の中を、童心に帰って裸足で水の中を歩くのはなかなか楽しい体験でした。

石灰棚台地の上部には古代都市ヒエラポリスがあり、古代ローマ帝国時代には保養地として栄えたとのことですが今回はほぼ素通りでした。

  

コンヤは、かつてセルジュークトルコの都として栄え、現在も100万の人口を抱える大都市。旋舞祈祷(写真はトルコ観光局資料から)で有名なイスラム神秘主義メヴラーナ教発祥の地で、そのモスクと博物館(元霊廟)があります。トルコで最も宗教色の強いところと言われるだけあって、コンヤでは他の町に比べてベールを被ったりアバーヤを着た女性を多く見かけました。

  

カッパドキアのホテルはギョレメにある洞窟ホテルのアナトリアンハウス。きのこ岩と斜面を利用して造られたホテルの部屋は、それぞれの岩の形状を利用していることから大きさや造りが千差万別。公平をきすため抽選で決めた部屋をツアー仲間達と見せ合いましたが、多くの部屋がメゾネット形式の趣向を凝らしたお洒落なスィートルームで、どこの部屋を覗いても皆歓声を上げていました。

私的にはもうちょっと素朴な洞窟感“も”味わって見たかった気もしますが、この贅沢な空間ですら窓の小ささや少なさ、壁の厚さなどからちょっと圧迫感があったのも確かで、もっと洞窟らしい部屋では長居はきつかったのかもしれません。(四女)
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トルコの旅(1):イスタンブール

2014-01-24 21:44:36 | 日常
           

若い頃から憧れていたイスタンブールに行って来ました。と言っても始めてのトルコ旅行、せっかくだからイスタンブール以外の所にも行ってみたいと、1月1日出発、6泊8日で有名観光地も巡る(いつもながらの)格安ツアーに参加しました。

コースは、世界遺産イスタンブール(2泊)⇒(イズミール経由)→エフェソス→世界遺産パムッカレ(1泊)→コンヤ→世界遺産カッパドキア(2泊)⇒イスタンブール(1泊)   (⇒国内便 →バス)

トルコ航空の直行便で成田からイスタンブールまで約12時間。時差は7時間です。

        

<1日目:成田⇒イスタンブール>
朝、お雑煮ときんとんでささやかにお正月らしさを味わってから成田に。

前回のフランス旅行に続き、今回も空港で直前にエコノミーからコンフォートクラスにアップグレード。一度贅沢すると癖になっていけません。ツアー本体の安さに比べるとすごく高く感じられるのですが、トルコ航空のコンフォートクラスは座席が以前のビジネスクラス並みの広さだったり、トイレがとても広くてきれいだったり、コックさんが機内食をサーブしてくれたり(笑)と確かに価値はありました。

18時過ぎにイスタンブールについてホテルに直行。

  

<2日目:イスタンブール市内 (写真は土産物屋、オリエント急行終着駅、ベリーダンス)>
朝8時にホテルを出て、ボスポラス海峡クルーズを皮切りに夜のベリーダンス・ディナーショウまで丸1日かけてイスタンブールを観光。

  

ボスポラス海峡は黒海とマルマラ海をつなぐ昔からの海洋交易の要所。陸のシルクロードと共にビザンチン帝国やオスマン帝国に多くの富と様々な文化をもたらしてきました。今も多くの大型船が黒海と地中海、エーゲ海を行き来する航路として重要な役割を担っています。(先日のNHKの番組で1日100隻の大型船と言っていました。)

1時間半ほどのクルーズで海峡を行くと、海峡で左右に隔てられたヨーロッパ側にはモスクや宮殿などが立ち並び、アジア側には船着場を持った豪邸や、オスマントルコが脅威の速さで造ったことで有名な要塞などが聳えて見所満載。また、潮流が早く、観光船や大型船が行き来して波が高い中、魚を追って集まってきたイルカ達が波間に姿を見せていたのには驚きました。

  

ブルーモスクの正式名称は時のスルタンの名を付けてスルタンアフメット・ジャーミィで、その青を基調としたタイル装飾の美しさからブルーモスクと呼ばれるようになったとか。(“ジャーミィ”は比較的大きなモスクのこと)

2万枚以上のイズニックタイル(イズニックは陶器/タイルの名産地)と260枚のステンドグラスに覆われたモスクの内部は本当に美しく、床に敷き詰められた赤い絨毯とシャンデリアの電球の輝きが、偶像がなくミフラーブ(壁に埋め込まれたメッカの方向を示す設備)があるだけの祈りの場に不思議な華やぎを添えていました。

        

モスクでは原則的にどこも同じですが、ブルーモスクに入る際には靴を脱ぎ、女性はスカーフなどで髪を隠さなければなりません。また冬なので余り関係なかったのですが短パンやミニスカートなどの肌を露出する服装も禁止されており、レギンスの女性には入口で監視している女性達から腰に巻く布が渡されていました。

またイスラム教には礼拝の前に体(両手・顔・頭・両足など)を洗い清めるきまりがあり、モスクには清めの場所が必ず設けられています。

話はちょっとずれますが、後述する長時間足止めをくった空港で、トイレの手洗い台で頭から足まで洗っている女性がいました。その時は驚くと同時に漠然とイスラムの何らかの習慣だと思っていたのですが、今にして思うと出発待ちをしている間に礼拝の時間がきてしまったので清めていたということだったのでしょう。

礼拝を1日5回(夜明け前、正午過ぎ、午後、日没後、夜)行うイスラム世界では、空港、職場、学校などあらゆるところに簡易礼拝場が設けられているとのことです。

  

アヤソフィアはローマ帝国時代に作られ、長い間ギリシャ正教の総本山であった、ビザンチン建築の最高傑作ともいわれるドーム・バシリカ方式の教会。イスタンブール占領後にオスマン帝国のメフメト2世がイスラム・モスクに改装して以降、帝国の最も格式の高いモスクの1つとなります。そしてトルコ共和国設立後、初代大統領アタチュルクが博物館にすることを決定。モスクであった間漆喰で塗りつぶされていたキリスト教のモザイク画などの漆喰が剥がされ、今はキリスト教とイスラム教が混在する博物館となっています。

        

ミナレットがあることから外観はモスクですが、内部はミフラーブや支柱に取り付けられた大きなカリグラフィの額があるものの床の絨毯は剥がされており、天井や壁などに描かれた金地のキリストなどのモザイク画から、私には厳かなビザンチン教会のイメージが強く残りました。

その巨大なドームは過去に何回も地震などにより崩壊と改築が繰り返されており、今もドームを含む建物に傷みや歪みがみられるとか。現在も修復中です。歴史に翻弄されながらも人々の心の拠り所となってきたアヤソフィア、崩壊するほどの大地震が起こらないことを祈ります。

        

オスマン帝国の王宮で財宝やハーレムで有名なトプカプ宮殿は、比較的小さな建物の連なりと庭園に点在する離れからなり、建物自体にはイメージからくるような華やかさがありません。

  

でも一歩室内に入ると、特にハーレムの内部はイズニック・タイルを中心に貝や象牙、金の繊細な細工で隅々まで飾られていて眩暈がするほど華麗です。

建物が簡素な理由として、建設当時オスマントルコの遊牧民的伝統から建物にあまり重きを置かなかったためともいわれており、後年に建設され、王宮がトプカプから移されたドルマバフチェ宮殿などはバロック様式も取り入れ豪華になっています。

また、宝物館に保管されている豪華な財宝は当時のオスマン帝国の威光を物語っており、その中でも86カラットのダイヤモンドはその大きさにも係わらず輝きが素晴らしく目が釘付けでした(^^)。(宝物館内部は撮影禁止)

  

イスラム教では偶像崇拝が禁じられており、建物の装飾に植物を描くことはあっても原則として人物像や動物はなく、神の姿形を表現することは絶対に無いとのことで、室内装飾は動植物模様、幾何学模様、文字模様(カリグラフィ)を組み合わせたアラベスク(アラビア風装飾)が中心となっています。そのためかモスクや宮殿からは、ヨーロッパの肖像画で埋まった宮殿や、キリストなどの像やイコンが祈りの対象となり、聖書の内容を表したステンドグラスやフレスコ画などで教義を示すキリスト教会とは、全く異なる印象を受けました。

  

世界遺産になっているイスタンブールの歴史地区は、ボスポラス海峡とマルマラ海、金閣湾に囲まれた半島に位置し、その先端の小高い丘の上にあるトプカプ宮殿の庭からは、ビザンチン時代から続く城壁とボスポラス海峡がよく見渡せます。時の権力者達はどのような思いでこの景色を見ていたのでしょうか。(四女)
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ご近所さんと新年会

2014-01-22 12:05:12 | 日常
           

昨日はYさん宅にご近所の夫婦4組が集って、恒例の新年会をしました。Yさんが沢山料理を用意してくれている上に、皆も色々と持ち寄って、食卓に乗り切れないほどのご馳走の数々。私は芽キャベツ・ハムのマヨネーズサラダ、きゅうり・トマト・フェタチーズ・黒オリーブのサラダ、フードショウで買った焼売を持参しました。

           

飲み物は、富翁の大吟醸米しぼりたて生酒や、獺祭など、特別上等なお酒、美味しいお酒がズラリ。我が家からは例に寄ってコートデュローヌの赤ワインを持参しましたが、私はもっぱら日本酒を味わわせてもらいました。Yさんは実家が元酒屋さんだったこともあって、日本酒の製造工程のことなどにも詳しくて、薀蓄を聞きながら飲む楽しさは格別です。他の奥様方は早々にノンアルコール飲料に切り替えてしまったので、私が女性陣を代表して(?)、十分に満喫させていただきました。

           

お料理の話、お酒の話、旅行の話、カラオケの話、皆さんが暮らしたことのある地方の生活の話、、、話が弾んで笑顔がこぼれます。政治の話は見解が分かれるので、美味しいお酒には相応しくないかも、という場面も。とまれ、全員高齢者入りしているのですが、皆さん賑やかで元気で何よりです。今年もよろしく~!(三女)
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クリーブランド美術展と上野散策

2014-01-20 10:52:19 | 日常
           

昨日は、上野東京国立博物館・平成館で開催中の「クリーブランド美術館展」を見てきました。

この展覧会では、アメリカのクリーブランド美術館が保有する平安から明治までの日本絵画約40点と近代西洋&中国の絵画10点を紹介しています。

「神・仏・人」「花鳥風月」「物語世界」「近代西洋の人と自然」「山水」のテーマ別に展示されていて、日本美術に共通する独特な伸びやかさと繊細な美しさと共に、テーマ毎に違った表情、奥行きを味わわせてくれます。

        

「花鳥風月」を現す屏風絵(トップ「松に椿・竹に朝顔図(一部)はHPより借用)の絶妙なバランスも素敵でしたが、今回私は特に「伊勢物語」を題材にした絵の中の人物像に心惹かれるものを感じました。(写真左「蔦の細道図」、右「住吉の浜(一部))

           

曽我蕭白作の山水画「蘭亭曲水図」は、壮大な景色の中で詩作に興じる文士の姿を右下に小さく描いているという説明を見て面白さを感じたのですが、見えますでしょうか?

やや地味な展覧会のせいか、それ程混み合っていなくて、比較的ゆっくり味わうことができました。平日ならもっと空いていて日本の雅をじっくり楽しむことができるかもしれません。

           

外に出たら、冷たい北風に空は澄み渡り、平成館と本館の間にスカイツリーが見えました。

        

不忍池周辺も風が冷たいせいか人出は少なめ。日溜りで鳩がじっと身体を丸めていました。

           

最後は、恒例「池之端・藪蕎麦」。夫は鴨南蕎麦、私は巣篭もり蕎麦を注文。冷えた身体を熱燗で温めたのは言うまでもありません。(三女)
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エフェソスのネコ

2014-01-18 20:54:59 | 日常
           

トルコ旅行の報告を早くアップしたいと思いながら、いつものようにダラダラと長くなって収拾がつかなくなっているところに、三女から催促のメール。それで、取り合えず姉妹みんなが間違いなく関心がある”エフェソスのネコ”の部だけアップすることにしました。

  

エフェソスは古代ギリシャ~古代ローマ帝国~8世紀(東ローマ帝国)に至るまで栄えた、トルコ最大の古代都市遺跡。
その規模に圧倒され、当時の生活に思いを馳せながらも、ついつい関心が向いてしまうのが遺跡の中でゆったりと寛いでいるネコ達。トルコには野良猫が多いと聞いていたけれど、これ程とは。

  

トルコまで何をしに来たのかと思いながらもネコの写真ばかり撮っていました(^^;

  

ヴァン湖地方の有名なオッドアイのネコではなく、日本にもいるような猫達ばかりなのですが、皆ふっくらとしていてとっても可愛かったです。



<バジリカの横で睨み合い>



<モザイクの道に注目>

    

<高いところが好き>

    

<散歩中>



<出入り口>

遺跡のどこで撮ったのか殆ど不明ですが、ネコの背景でエフェソス遺跡の雰囲気を僅かなりとも分かっていただければ幸いです。(四女)
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