ストローバレイ家の介護奮闘記

90→→92歳の母を支える4姉妹の泣き笑い奮闘記・・とその後

父の十三回忌と母の納骨

2010-07-31 21:26:36 | 日常
               
             清水のお寺の水鉢に咲く睡蓮

前から予定していた父の十三回忌に合わせて母の三十五日・四十九日の法要と納骨を、清水のお寺で執り行いました。

昨日、一昨日の雨天から一転、今日は日差しが戻って、鬱蒼としたお寺の境内は賑やかなセミの声が夏の盛りを感じさせます。

お経をあげて頂いた後、汗をかきかき急坂を登って山頂のお墓に到着。母が富士山が見えると気に入って決めた場所ですが、坂道のきついこと!それに雲が出ていて、残念ながら富士山も見えませんでした。

父の骨壷の横に母の骨壷が仲良く並んで埋葬が済むと、どこからともなくアゲハチョウのペアが現れて、私たちがお線香を上げ、住職がお経をあげている間、お墓の周りをヒラヒラと舞って、やがて遠くに去っていきました。まるで迎えに来た父が母を天国に導いていったよう。ちょっと驚き、ちょっと感動の光景でした。

法要・お墓参りが終わった後は、生前母が希望していた通り末廣寿司でお清めの食事会。住職と子供、孫、曾孫に姪と義妹も加わって、賑やかなおしゃべりとおいしいお鮨を堪能しました。

東京に戻り、SV家に父と母の位牌を戻しに行き、お線香を上げて、ガランとした部屋でお線香から立ち上る煙を一人眺めていたら、父と母が作り上げた歴史が終わったんだなぁと、しみじみと寂寥感がこみ上げてきました。(三女)
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思い出のアルバム

2010-07-30 20:39:38 | 日常
               
     母が大好きだったバラの季節の神代植物園(2006年撮影)

いよいよ明日は納骨です。今日は母がSV家で過ごす本当に最後の日。楽しかった思い出が次々に胸をよぎります。

♪いつのことだか 思い出してごらん
   あんなこと こんなこと あったでしょう
♪嬉しかったこと 面白かったこと
   いつになっても 忘れない (チャンチャン)

なぜか随分最近まで、母がピアノで弾いていた曲でした。嬉しかったこと、楽しかったことを思い出していたのかな、それとも私たちに思い出して欲しかったのかな?(三女)
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三七日忌

2010-07-28 15:48:39 | 日常
                 
   今日又新しいピンクのバラを手向けました。「葬式・・好きな花・バラ」(←母のメモ書き)

今日は母が亡くなって3週間。「まだ」と思ったり「もう」と思ったり複雑です。四十九日までは毎週来ようと思っていますが、7月31日の父の十三回忌に合わせて、母の納骨もすることになっています。強制的に(?)あちらに送ってしまったら、もう仏様になってしまうのでしょうか・・・・?

もっとも私の感覚としては、息を引き取った時点で何も思い残す事無く、最愛の両親、夫、息子、弟が待っている天国に昇って行ったような気がします。

今日はSV家にY子と曾孫ちゃんが居るので、昼食にケンタッキーを買って行きました。実は今朝の新聞で宝くじの「ナンバー4」が当たっているのがわかり(セットのボックスなので少額ですが)大きな顔をして、三女と共におごってあげました。

暑いけれど、電車に座りたいので2時には帰ります。この家で母と過ごすのも今日が最後だと思うと心が波立ちます。(次女)
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夏休み=曾孫のSV家訪問

2010-07-25 20:28:21 | 日常
               
ご近所からいただいた胡瓜。もぎたてで花と棘がついています。瑞々しくておいしい!

曾孫ちゃんが昨日から夏休みに入り、「曾婆ちゃんのお骨がある間にSV家に行っておきたい」というY子ママの意向で、来ています。

朝三女とママと一緒にSV家に行って、窓を開けて風を入れ、お線香を上げて朝のご挨拶をして、三女やY子が花の世話や掃除をしている間は漢字のお勉強のDVDで遊んでいます。そうして1時間ほど過ごすと、向かいの公園で遊んだり三女宅に戻ったりしています。今朝は3人でSV家の庭のブルーベリー摘みもやりました。

曾婆ちゃんの生前と余り変わらない、マイペースで寛いだ過ごし方。違うのは曾婆ちゃんが「骨になってあの中にいるんでしょう?」ということ。だからもう「可愛いね」という声が聞けないこと。でも祭壇の写真は今も「可愛いね」と笑顔を見せてくれています。

人は生きてやがて死ぬ。それはちっとも恐いことではなく自然なこと、と曾孫ちゃんに教えてくれた曾婆ちゃん。今の時代に、幼い子に大事な体験をさせてくれた曾婆ちゃん。「ありがとね」と曾婆ちゃんの娘は、今日も遺影に向って手を合わせ、心の中で呟いています。(三女)
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ケアマネ、看護師、ヘルパー責任者来訪

2010-07-23 23:13:48 | 福祉
               
  コップに挿しておいたバジルに根が出て花まで咲き始めました。すごい生命力!

今朝はお世話になったケアマネ、看護師、ヘルパー責任者が挨拶に来てくださいました。綺麗な盛り花を持ってきてくださって、次女が持ってきたピンクのバラと並べて置いたら、花が一段落して少し寂しくなっていた母の祭壇に、華やぎが戻りました。

お線香を上げて、遺影を褒めてくださって、しばし思い出話。最後まで穏やかな生活を送れたことにお礼を言うと、「SVさんのところはご家族がしっかりしていらっしゃるから」と3人が口をそろえ、看護師さんは「ずっと明るい笑いのある介護をしていたご家庭は、今までに2軒、こちらともう1軒しかありません」とおっしゃっていました。

実際には、私たちも苦しかったり悲しかったり、時にウンザリしたりしていたのですが、今日来て下さったケアマネさんや看護師さんを始め、沢山の人たちの援助があったこと、私たちもチームワークで母を支えられたこと、そして母自身の人柄にそこはかとないユーモアが漂っていたことで、悲壮感を持たずに最後まで全うすることができたのかもしれませんね。母も私たちも本当に幸せだったなと、改めて思います。(三女)
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蘇州領事館

2010-07-21 20:52:36 | 日常
               
  蘇州領事館跡。今は「蘇州市第一シルク工場」の事務所として使用されています。

母が幼い頃過ごした蘇州領事館をKY子がネットで捜してみたところ、ヒットしました。数年前も捜した事がありますが、その時はみつからず、今回は携帯で検索してひとつ見つけ、翌日にパソコンで調べ直して新しく見つけました。番地から調べたら、昔旅行で泊まったホテルと1キロ位しか離れていなかったようです。

私とKY子の間では、母がどうしてももう一度行きたかった場所なので、自由になった魂が早速捜しに行って見付けて、KY子に「あるから調べるように」と指令を出したのではと話しています。(次女)

<<母の短歌>>

孫五人娘二人と連れ立ちて わが望郷の中国の旅
遠き日をしのぶすべなき蘇州にて わが望郷はようやくおわる
      
        (中国望郷の旅 昭和60年8月)
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酷暑到来

2010-07-20 20:34:13 | 日常
                 
             あじぃ・・・                    あじぃ・・・ 
                
             あじぃ・・・                    あじぃ・・・

いきなりの猛暑で猫たちが各人各様の姿・場所でへたばっています。それにしても4番目のマリちゃんは、ついこの間まですっかりSV家の猫の顔をして玄関先でスタンバっていたのに、この2日ほど三女家の猫然として家の中で寛いでいます。

そういえば、今朝からママ猫ちゃんもSV家玄関に姿を見せていません。タビちゃんもお愛想程度に顔を見せて、フフンといった感じで別のところに行ってしまいます。

これからこの子たちはどうするんだろうというのは、母の介護が終わった姉妹たちの、大きな懸念事項のひとつだったのですけれど。全く猫って現金なもんですね。そういえばヘルパーさんが「浮気者」って言っていたっけ、、、。

でもそういうマイペースなところも猫の魅力なんですよね。(三女)
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Y子のメッセージ

2010-07-18 23:24:11 | 日常
               
              水木しげるの作品(@桶川図書館)

祖母が亡くなって10日たちますが、随分昔のような気がします。

私は幼い頃両親が共働きだった為、近所に住む祖母がとても頼りになる存在でした。世話好きで子供が大好きな祖母は、本当に私達を可愛がってくれました。料理も上手でした。兄と「お母さんの手料理といえば」という話しをしていたのに、頭に浮かぶ好物のほとんどが祖母の作品でした。

そして思い出すのが、中学時代の私の誕生日の事です。私が「ドーナツ型のテーブルに好きな食べ物を置いて、真ん中に私が座ってどこで止まっても好きな物があるようにしたい」というと、おばあちゃんは「ドーナツ型のテーブルも随分悩んだけど、好きな食べ物は用意したよ」と言って母と共に腕を奮ってくれました。

グラタン・茶碗蒸し・タラコスパゲティー・唐揚げ・肉まん等々、おばあちゃんの家の8人掛のダイニングテーブル一面に料理が並べられていたのを覚えています。

小学生時代の夏休みには、お昼の時間になるとおばあちゃんから家に電話がかかってきて、「毎度ありがとうございます。蕎麦屋の○○です。」というようにお店屋さんになって私達を喜ばせてくれました。お陰で昼食時には兄と電話の取り合い。どっちが先におばあちゃんからの電話をとるか毎日が戦いでした。

12年前におじいちゃんが亡くなってから、徐々におばあちゃんの認知症が出てきて戸惑いました。記憶が著しく衰え、妄想の世界にいて、別人のようでした。その頃から母達はおばあちゃんに振り回される事が多くなり、精神的に辛そうでした。あまりにも大変そうだったので、何か出来る事はないかと介護の資格をとり、介護に参加する事になった訳です。

そして、亡くなる前日の7月7日。祈るような気持ちで「金曜また来るから元気でね」と帰宅。8日の夜中0時半に母からおばあちゃんが亡くなったと電話を貰い、それから2時過ぎまで泣き続けました。

あれから10日。一旦はもう介護はしたくないと思いましたが、周りの介護の話しを聞くと、かつてのおばあちゃんを思い出し、懐かしくてつい「お手伝いしましょうか」と言いたくなります。

優しくてユーモアがあって面倒見が良くて、後半は少し厄介な所もあったけれど最後まで笑顔で「かわいいね」と誉めてくれたおばあちゃん、本当にありがとうございました。まだまだ思い出しては泣いてしまうけど、いいよね。(Y子)
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友からの手紙

2010-07-17 19:53:27 | 日常
               
     SV家のブルーベリー今年初の収穫。これからどんどん採れそうです。

宝塚市に住む、母の50余年来の友人から、手紙が送られてきました。40~60歳代の、元気な母の姿が偲ばれます。(三女)

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「寂しい」のひとことです。
娘の幼稚園、小学校のPTAから始まって、A先生のお習字・・・、一泊旅行にも。そして今も楽しんでいる織もSVさんに誘われて始めたもの。
楽しかった日々が思われます。かけがえのない思い出の数々です。
大切な先輩であり友達です。こんな時、SVさんだったら何ておっしゃるかしら・・・なんて思いながら、私の余生があるのでしょうね。
有難う、SVさん。ご冥福をお祈りいたします。

SVさま
             S.K 
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喪失感

2010-07-16 20:41:52 | 日常
               
                   夏祭風景@桶川

昨夜は母から何か連絡があるかと多少期待していたのですが、何もありませんでした。少しかたずけでもと思ったのですが何から手を着けてよいのやら・・・。と言うわけで何もせず、母とテレビを見ています。今朝たびちゃんが家に入って来て暫く遊んでいきました。(次女)

いろんな意味で肩の力が「フッ」と抜けた感じです。でも今朝はなんか物足りない、何して良いか分からない状態でTVを眺めています。取りあえず医者に行って薬をもらってこなくては・・・。(長女)

「おいしいね」我に微笑む母のなく 一人食べつつ涙する朝
引継ぎの時間近付き心急く 守る命の逝きし今なお

娘達の今日の心境を短歌(川柳?)に託してみました。(三女)
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