ストローバレイ家の介護奮闘記

90→→92歳の母を支える4姉妹の泣き笑い奮闘記・・とその後

帰宅

2011-10-31 21:22:23 | 日常
               
          Y子宅ハロウィン・ディナー:南瓜のランタン他

Y子宅では、30日にハロウィン・ディナーを楽しんだようです。メニューは、南瓜のランタン、ハンバーグステーキ、サラダ、アスパラベーコン、タコさんウィンナーとのこと。

今回私たち不在中は、Y子が週に2回掃除とゴミの取りまとめに来てくれて、お陰で比較的綺麗な我家に戻ることができました。大変御世話になりました。ありがとね。

               
        トゥールーズ最後のディナー:鱸のソテー、ジロー茸付け合せ


さて、29日私たちは、当日泊まった「ホテル・デ・ボザール」内のレストラン「ブラッスリー・ボザール」で夕食。宿泊客にはシャンパン1人1杯無料サービス付きだったので、シャンパンで「トゥールーズに乾杯!」となりました。メニューはア・ラ・カルトから選び、前菜は夫がスープ・ド・ポワソン、私が牡蠣6個。メインは二人ともシーズンお勧めの鱸ソテーとたっぷりのジロー茸、バターソース。(素晴らしく美味しかったです。)そして、デザートは桜ん坊・ブルーベリーのシャーベットにお酒がかかったもの。飲み物はガイヤックの白ワイン。メニューを隅々まで眺めて厳選した結果、トゥールーズ最後を飾るのに相応しい、納得のいく、素晴らしいディナーとなりました。

30日は、朝5時45分(30日から通常時間に戻り、昨日までのサマータイムで考えると6時45分)にタクシーが来て空港に向かいました。7時20分発トゥールーズ→パリの飛行機が1時間ほど遅れ、しかもパリCDG→羽田の出発時刻が11時のはずが、ボーディング・チケットに10時と書かれていることに途中で気づき、乗り遅れるかと激しく焦りましたが、結果的にはボーディング・チケットの表示間違えで、出発時刻は予定通り11時。無事乗ることができたときにはホッとしました。全く~驚かさないでよね~!

長い長い空の旅を終えて、羽田に着いたのが朝6時半。タクシーで我家に向かう間に日が射し始め、次第に青空が広がってきました。街は静かで清潔。それに蒸し暑さもなく爽やかな秋の空気。日本も捨てたモンじゃありません。

我家ではKが、よく煮込んだ絶品のカレーと豆腐を用意してくれていました。そして猫たち!まずはクーちゃんが登場。一旦外に逃げ出しましたが、すぐに思い直して戻って来て、スリスリのご挨拶。次は白ちっちゃいが外から帰宅。鼻と口の脇に引っかき傷があって薄汚れています。顔を濡れティッシュで拭いて綺麗にすると、ごろごろ言いながら満更でもない様子。私がちょっと横になると、傍らでお昼寝。夕方にはチャイチャイも帰宅。相変わらずニャンニャカニャンニャカうるさいこと!でも皆元気そうです。Kによると、まりちゃんも来ているし、アミちゃんも時々顔を出すということです。ただ、一時我家で寛いでいたチャチャ丸は、姿を消したとのこと。ま、元の形に収まったということでしょう。

昼間美味しい中華を食べに駅近くに行くと、色々な知り合いに出会い、笑顔で会釈を交わしたり立ち話をしたり。やはりここが私の地元なんですね。ただいま~!(三女)
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トゥールーズ滞在最終日

2011-10-30 00:12:21 | 日常
               
          ホテル・デ・ボザールの窓から見たガロンヌ川とポンヌフ

10月29日、今日はトゥールーズ滞在最後の日です。

朝、いつものように7時に起きて、1回目の洗濯開始。夫が買ってき焼きたてのクロワッサンで朝食。この焼きたてのクロワッサンは本当においしかったな~。これが95サンチームというのだから驚きです。

朝食を終えて、1回目の洗濯を干し、2回目の洗濯をしかけつつ、帰りの荷作り開始。10キロ以上の本・書類を先に郵送したのに、それにお土産も控えめにしたのに荷物が溢れ、3つのスーツケースに収納するのに悪戦苦闘。あ~腰が痛い!

荷造りの目処がたったところで、お昼のクレープを買い方々、今日のキャピトルをチェック。このところシャンジュ通りからキャピトル広場に出る角に、焼栗屋さんが出ていて、秋の深まりを感じさせます。今日は広場半分は野菜などを売る朝市、もう半分はバッグや服などの安売り市が住み分けていました。

いつものクレープ屋さんで、いつものようにハム・卵のクレープとバター・砂糖のクレープを購入。クレープ屋のおじさんとおばさんの柔らかい笑顔とも今日でお別れです。家に帰って、残ってしまった1本のビールと赤ワイン少々を飲みながら、クレープ(と同じく残ってしまったサラミとオリーブ)の昼食。冷蔵庫も見事に空になりました。

午後はシャワールームの掃除をして、バスタオルや足拭きマットを洗濯。引き続き冷蔵庫やキッチン台を磨き上げ、掃除機を使って家中の掃除。居間のソファベッドをソファに戻してカバー掛け。このソファベッドは、お客様が最初に来て以来ベッドの形にしたままでしたが、結構広い空間が寛げて使い勝手が良かったのです。

こうして、「発つ鳥後を濁さず」の作業は終了。持てるだけの荷物を持って一旦ホテル・デ・ボザールに行き、チェックイン。とても綺麗な部屋だし、窓の真下にガロンヌ川とポンヌフが見えて、最高。最終日にこのホテルに泊まることにして正解だったみたいです。

今、二度目の荷物運びに戻ってきて、このパソコンを運び出す前に、トゥールーズ最後のブログを書いているというわけです。

今夜は、もう一度このアパートに戻ってきて、干してあるシーツや枕カバーを畳んで仕舞って、鍵を部屋に残して、このアパートともお別れです。再び訪れることがあるかな?どうでしょう、、、。ともかく、とても楽しい滞在でした。
Merci. Au revoir! (三女)
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エールフランス・スト決行中?

2011-10-29 03:54:36 | 日常
               
            トゥールーズのアパートでの最後の晩餐

いよいよ残すところあと2日。30日早朝トゥールーズ発パリ・CDG経由で羽田に帰る予定です。

30日の便が余りにも早いので、当日アパートの掃除や寝具の洗濯ができないことに加え、タクシーの手配の難しさもあって、前日(=明日)、最寄のホテル「ホテル・デ・ボザール」に宿泊することにしました。とりあえずスーツケースをホテルに運び、その後アパートの掃除をしに戻り、全ての片づけが済んだらホテルの下のブラッスリーで夕暮れのポンヌフを眺めながらトゥールーズ最後のディナーを食べて、そのまま宿泊しようという計画です。

そこまでの手筈はバッチリ。これなら万事安心。我ながら良いアイディアだと思っていたのですが、何と今度はエール・フランスがスト決行中のニュース。国内便は当初90%確保の予定が65%位しか確保されず大混雑だとか、30日のパリ発成田行き2便の欠航が決まったとか、不穏当な情報が流れてきます。私達は無事帰れるのでしょうか?こうなるとトゥールーズとのお別れを惜しむ気持ちも吹っ飛んで、何とか無事日本に帰り着きたいと思うのが、我ながら不思議です。

ちなみに、アパートでの食事もカウントダウン。なるべく食材を無駄にしたくないと、ここ2日残った食材の整理に励んでいます。今夜そのコンセプトで作った、じゃが芋と蕪とインゲンとズッキーニと生姜とお米を出汁で煮込んで、四女のお土産のイクラの醤油漬けをトッピングした雑炊は絶品でした。

あ、それと、給湯器取替え騒ぎですが、結局部品交換をしに来ることはなく、当面このまま凌ぐようです。まあ私達としては、もうそれで良いのですけれど。・・・今日は珍しく一日中雨でした。(三女)

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トゥールーズ思い出散歩

2011-10-27 20:33:56 | 日常
                
   トゥールーズ到着後最初に入ったブラッセリー   大型スーパーCasinoはこの中にあった!

トゥールーズ滞在も残り少なくなった26日。この日も朝から青空が広がっています。午前中夫と一緒にトゥールーズの日々を振り返る散歩に出ました。まずは、我家から直ぐのエスキロール広場にあるブラッセリー。ここはトゥールーズのアパートに到着し、荷物を置いて直ぐにジャックさんと共に入った場所です。3人でビールを飲んで話をしていると、すぐ前の席でビールの大ジョッキを飲んでいた人が振り返り、見ると空港までジャックさんと一緒に迎えに来て、つい先ほど別れたギリシャ人の研究仲間だった、そんなことも随分遠い思い出となりました。

エスキロール広場のあるメッツ通りを東に行くと、工事中のアルザス・ロレーヌ通りとの角にオーギュスタン美術館があります。ここにも4回位入ったかな。そこを通り過ぎてさらに東に行き、穏やかな教会サンテ・ティエンヌ大聖堂の中庭を通ってカルノ通りに出ると、第一次大戦のモニュメントに行き当たります。

そこから南に下るとのんびり散歩に何度も通った植物園に到着。この日は噴水が止められ、噴水の周りの花が植え替え中でした。今週トゥールーズの学校はヴァカンスということで、そのせいか植物園の西側スペースのメリーゴーラウンドが回り、ぬいぐるみショーの小屋が立っていました。

植物園を出て、カルノ通りを北に上がり、Casinoの入っているオクシタン広場に到着。‘Espace Saint Georges’と書かれたこの建物の中にスーパーが入っているとは思わず、散々探し回ったことを懐かしく思い出します。今ではほとんど毎日利用しているのですが。ついでにCasinoで買い物をして、いつもの近道(靴屋「manik」の角を入り、洋品店「64」の前を通り、クレープ屋さん屋台の背後からシャンジュどおりに入る)を使って我家に帰宅。「思い出散歩・午前の部」を終えました。

                
        街の中心を案内するプチ・トラン        市庁舎横の美術館の壁画

午後のどこかの時点で給湯器の仕上げにエージェントとエンジニアが来る予定。前日ほとんど一日中お付き合いした私は「もう沢山」の気分なので、この日の対応は夫に任せることにして、「思い出散歩・午後の部」に一人出発。キャピトル広場に出ると、安売り市が出ていたので丹念に見て周り、アフリカ系の店で肩からかける派手な布製のバッグを買ってしまいました。その時は、日本でピラティスとフランス語のクラスに行くのに丁度良いような気がしたのですが、帰ったらきっと後悔しそうです。

その後、総復習ということで久々にプチ・トランに乗車。こうして改めて乗ってみると、ほとんど我家周辺を走っていたんだと再認識。この日学校がヴァカンスのせいか、私たちのトランが乗車地点に到着すると、大勢の客が待っていて、我先に乗り込んでくるので、フランスに来て以来こういう人を押しのけるような光景を見たことがなかったので、びっくりしました。

プチ・トランを降りて、市庁舎横の美術館へ。ここも何度も訪れた場所です。「Henri-Martinの間」の壁画に描かれたガロンヌ川を歩くおじさんが、どうもジャン・ジョレスのような雰囲気だとかねがね思っていたのですが、改めてパンフレットを読むとやはりそうでした。滞在中に分かって良かった!

市庁舎美術館を出て、キャピトル広場を通りジャコバン修道院に入ってステンドグラスの光をしばし鑑賞。更にポンヌフからガロンヌ川を眺めて、5時近くになったので家に戻ると、何とエージェント達は来ていませんでした。全く、どういうこっちゃ。尤も、今や必要なシステムが機能していれば部屋のレイアウトなどどうでも良いので、修繕騒ぎは私たちのチェックアウト後にして欲しい、というのが本音ですが。

その後6時過ぎにトゥールーズ市内での会議に出ていたジャックさんがアパートに立ち寄り、一緒にビールを飲みながら1時間ほど思い出話にふけり、しばしのお別れ。ジャックさんには本当にお世話になりました。

お土産も大分そろったし、そろそろ本格的な帰り支度です。日本の皆さんは元気かな~?(三女)
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停電顛末記

2011-10-26 16:57:14 | 日常
               
                巨大な給湯器の交換!

10月20日早朝の停電は、実は給湯器システムの不具合から来ていました。

経過:
20日(木)電源オフの回復処置。
22日(土)シャワーからお湯が出ないことを発見(ぶるぶる)。エージェントに連絡。
      エージェント来訪。
      「エコのため夜に給湯されるように指定してあるから、明日の朝使ってみて」と説明。
      ???
23日(日)朝から水しか出ない。エージェントにメール連絡。
24日(月)エージェント来訪。停電の回復作業の際、給湯を「ゼロ」に指定していたことを発見。
      「夜の給湯に指定し直したから、今夜10時にオンになる。
         その時又電源が落ちたら、給湯システムの不具合だから、一晩様子を見て」とのこと。
      枕元に懐中電灯を置いて10時を待つと、案の定ブレーカーが落ちる。
      懐中電灯を頼りに給湯をオフにしてブレーカーの入れ直し。
      エージェントにメールで結果を知らせる。
25日(火)朝8時、エージェントとエンジニア来訪。色々とチェックして給湯器の欠陥と診断。
      午後3時にエージェントとエンジニアと助手が、新しい大きな給湯器を抱えて来訪。作業開始。
      囲いをはずし、下の冷蔵庫をどかし、給湯器の水抜き、給湯器のとり外し。
      新しい給湯器設置のため、サイズを測り壁に穴を開け・・・
      としている間に、新しい給湯器のサイズが大きすぎて、給湯器の下に冷蔵庫が入らないことを発見。
      どうするか3人でしばし相談。
      とりあえず取り付けて、水を送り出す管の部分を違うデザインに交換しようと決定。
      給湯器を臨時に取り付け、冷蔵庫の位置を臨時に決め、荷物の片付けと掃除。
      明日の再訪を約束して、夜7時半に帰っていきました。

あ~、やれやれ。なんて長い道のり。やっぱり電気が落ちた時にその原因を探すのが本来のあり方ですよね。日本の業者なら多分そうしたでしょう。でもここはフランス。ことの運びもフランス仕様。

夫は4日間水のシャワーを使い、私はこの寒さに水のシャワーは耐えられないとシャワーなしが3日間、薄汚れたオバサンになってしまいました。とは言え、これも普通なら体験できない興味深い体験だったと言えないこともありません、、、よね?(三女)    
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モンテッシュの水門

2011-10-24 20:09:21 | 日常
               
              ドゥ・メール運河の水流を調節する水門

10月23日(日曜日)の午後ジャックさんに誘われて、ジャックさん一家とトゥールーズ北西に車で1時間ほどのモンテッシュという小さな村の村外れにあるカナル運河=ドゥ・メール運河の水門を見に行きました。

この日も快晴。空気は冷え込んでいますが、どこまでも続く運河沿いの道は本当に気持ちよく、散歩に最適です。ドゥ・メール運河の水上交通を助ける補助として作られたもうひとつの小さな運河の、船を引き上げる滑車つきの大型ディーゼル車が、どうやらここの売りのようですが、これ自体は、興味深い仕組みではあるものの、美的にはどうかなという感じでした。でも、静かに広がるドゥ・メール運河の流れと少し色付いたポプラ並木と青い空は本当に美しく、フランスに印象派が生まれたのも必然だな~としみじみ思わせられました。

運河沿いを歩きながら、ジャックさん親子は水を放出中の水門付近に起きている渦に枯葉や木の枝を流して、渦に飲み込まれていく様子を飽かず眺めて楽しんでいました。何とも微笑ましい仲良し親子振り!ジャックさんも「普段中々子供たちを外に連れ出せないからね」と満足そう。

夫々の楽しみ方で運河沿いの散歩を十分に楽しんだ後は、モンテッシュの村を散策。古い建物の並ぶ村は人通りもほとんどなく、教会の前でノラ猫たちが午後の日差しを楽しんでいました。

散策を終えて、トゥールーズへの帰路は、りんご園やキウイ畑の続く田園風景を見ながらのコース。途中いくつかの小さな村を通り、きのこ狩りができるという森を抜けると、トゥールーズ近郊に入ります。

車はそのままジャックさんの家に向かい、ジャックさんの家で再びディナーをご馳走になることに。まずはビールで乾杯。ピスタチオを摘みながら、地図を広げてこれまで私たちが行った村や街の話でひと盛り上がり。(本当にあちこち行ったものです。)

その後フォアグラのアントレと赤ワイン。その後は、ジャックさんの入魂の一品、エスカルゴ・マッシュルーム・胡桃・パプリカ・・などを赤ワインで煮込んでから焼いたグリル。フランス地方都市の古い文化のような本を読んで、そこに想像力を加味して、2時間以上かけて作ったという料理はまさに絶品!ジャックさんの料理の趣味は、いつも私たちを幸せしてくれます。

料理の話が弾みつつ、山羊と牛、夫々の柔らかいチーズを楽しんでいるうちに9時半になり、予約していたタクシーが到着。家族の皆さんと「いつかまた会いましょうね!」とお別れ。ジャックさん宅を辞しました。ジャックさん一家には本当に沢山のもてなしをしてもらって、感謝の気持ちで一杯です。今度日本に来たら私たちも精一杯のおもてなしをしなくっては!(三女)
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深まる秋

2011-10-22 21:25:38 | 日常
               
               ガロンヌ西岸の緑地帯

トゥールーズでは、つい最近までの暑さがすっかり陰を潜め、青空が出ていても昼間の気温は14、5度。木々は色付き、人々は黒を主体とした服に身を包んでいます。

朝、夫とガロンヌ西岸の緑地帯を散歩しながら、「夢のように過ぎた2ヶ月だったね」としみじみしてしまいました。整備された緑地帯、広い空、ゆったり流れる川、調和の取れた町並み・・・なんて美しい、恵まれた環境なんでしょう!この地に滞在するのもあと1週間少々と思うと、少し残念な気持ちになります。一方で日本に居る大切な人達との再会も待望しているのですが。

緑地帯を南に歩き、サン・ミッシェル橋を渡って東岸に出て、そのまま真っ直ぐに植物公園に入って、今日も孔雀が健在なことを確認。植物園を出てサンテ・ティエンヌ大聖堂にちょっと寄り道し、サンテ・ティエンヌ広場に出ると、古本市をやっていました。「ベル・エポック:トゥールーズ」とか「カタリ派=隠された歴史」とか「発見:オクシタンの街」とか、ちょっと覗いただけで興味引かれる、写真つきの立派な本が10ユーロ程度で売られています。買いたかったけれど、今や帰りの荷物の量が気になって結局断念してしまいました。

しみじみ秋を味わう朝の散歩を終えて、途中でバケットを買って我家で昼食。バケットにルッコラと蕪の薄切りとパテ・ド・カンパニュを挟んでパテ入りサンドイッチの出来上がり!それにオリーブの実とピクルスを添え、ビールと白ワインがあれば文句なしの昼食です。こんなに手軽に美味しいものが食べられて、やっぱりフランスの人達は恵まれていますよね。(三女)
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買い物三昧と停電!

2011-10-21 17:33:58 | 日常
               
          植物園内・自然歴史館の柵で休憩中の?孔雀

10月19日は天気が余り良くないこともあり、遠出は止めてトゥールーズでお買い物を中心に、翌日帰る四女がやり残したことをやろうということになりました。

まずは、ヴィクトル・ユーゴ広場の大きなマルシェを覗き方々、癖のあるチーズmunsterを購入。市庁舎のミュゼに立ち寄った後、オクシタン広場の大型スーパーCasinoでムール貝やつまみ菓子などを購入。食べ物の荷物を持ったまま、デパート(ラファイエット)に立ち寄って、四女から夫へのプレゼントのお洒落な帽子と四女・私のセーターを夫々に購入。

更に帰り道にある「64」という洋品店でY子一家へのお土産(長袖シャツとポシェット)を買い、その先にあるクレープの屋台でハム・卵、バター・砂糖、アプリコットジャムのクレープを買って、とりあえず我が家へ。

我が家でクレープのランチを食べ、少々休憩した後は、カルメ広場にあるお菓子屋さんでマカロンを購入。次は、散歩方々植物園を通ってサンテ・ティエンヌ大聖堂へ。この日は天気が良くない上に、一部工事中で騒音がうるさくて、私の好きなこの教会の明るい穏やかさを四女に味わってもらえず、少し残念。

聖堂を出て、日曜日に四女が目をつけていたメッツ通りの可愛いチョコレート屋さんに行き、アーモンド菓子の詰め合わせを購入。お店の品の良いおばあさまが、中身の色とリボンの色に拘って、「ああでしょう、こうでしょう」「あ、リボンに赤が入っているから、赤の粒も足しておきましょう」などと言いながら、時間をかけてとてもお洒落で可愛いラッピングをしてくれました。こういうところがフランスの素敵なところです。

次にエスキロール広場の家庭用品屋さんに行って、赤いグラス他を購入。「あ~、女同士で買い物するって楽しいわね~」と二人共すっかり満ち足りた気分でしたが、もうひと頑張りとアセザ館も見学したら、さすがにドッと疲れがでて我が家で休憩となりました。

夜はムール貝やチーズやサラミを食べ、この地方の白ワイン、赤ワインを味わいつつ、四女と一緒に過ごした4日間を振り返って話は尽きず、夜は更けていきました。

***

明けて20日。四女が早朝に我が家を出て日本に帰る日です。朝5時半ごろ四女と夫の何やら笑いながら話す声がして目が覚めると、家中真っ暗。何と5時半に急にブレーカーが落ちて電気が消え、暗闇の中にっちもさっちも行かない状態になっていました。6時になるのを待って、不動産家のお兄さんに電話しても留守電、ジャックさんに電話しても留守電。それはそうですよね~、こんな早朝ですもの。でも困りました。

四女の携帯の明かりを頼りに、ブレーカーに辿り着き主電源を上げてもすぐに落ちてしまいます。外の街頭の明かりを頼りに四女は帰る支度をし、ガスでお湯を沸かし、前日に作って食べ切れなかった野菜スープを温めて、何とかお腹を満たし、7時過ぎに3人で我が家を出発。暗くて寒い中をジャン・ジョレス広場のバス停まで行って、震えながら20分ほどバスを待って、ようやく来たバスに四女は乗車。一路空港に向かいました。何もかも上手く進んだトゥールーズ滞在の最後に、とんだハプニグを経験させてしまいましたが、でもこれは我が家のできごと。空の旅はきっと順調・快適だったことでしょう。

ちなみに、四女を送って家に戻ると、8時過ぎにジャックさんから電話があり、ブレーカーの上げ方を教えてくれて、無事電気は繋がりました。その後直ぐにエージェントからも電話があり、「11時に行く」と言いつつ例によって2時過ぎに来て、「同じことが起きたら、ここを上げてここを回せば大丈夫。OK?」と言ってそそくさと帰って行きました。OKと言えばOKだけど、原因不明なのにそれで良いんですかね?やはりオール電化というのは考え物ですね。(三女)
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ミディ・ピレネーの美しい村(1)アルビ、コルド・シュル・シエル(10/17)

2011-10-21 01:55:22 | 日常
                
       「1944.8.22橋」から見たアルビの街          ロートレックの生家

10月17日~18日は、1泊2日のパックツアーで「ミディ・ピレネーの美しい村」巡りをしました。申し込み当初「申し込み日が迫っていて、英語を話すドライバーの手配がつかない」と言われ覚悟したのですが、結局パートナー会社にあたって英語を話すドライバー・ガイドさんを手配してもらえたので、一安心。

8時半にホテル・ボザール前で待ち合わせ。若いドライバー・ガイドさんの「おはようございます」の挨拶で、和気藹々のうちに旅はスタートとなりました。

9時半アルビ着。中心街に入る前にタルン川に掛かる橋のひとつ‘Pont du 22 Aout 1944’の上から、朝のアルビの街をパチリ!その後ロートレックの生家を経て街中心に入り、サント・セシル大聖堂へ。今回は、聖堂内奥の司教と僧侶専用の空間(有料)にも入り、僧侶たちが立っているのに疲れた時に寄りかかる仕組みのある椅子や、新約聖書・旧約聖書それぞれの聖者たちの像をじっくり眺めることができました。

次はお馴染み、トゥールーズ・ロートレック美術館に。ガイドさんがロートレックの生育が絵に与えた影響やポスター絵の時代背景などをかなり詳しく説明してくれて、興味が深まりました。今東京でも「ロートレック展をやっている」という情報が数日前に入ってきて、「見るべきものがないか?」と心配しましたが、そんなことはありませんでした。日本ではどんな作品が展示されているのでしょう?

美術館を出てガイドさんと別れてランチ。余り時間がないので、サロン・ド・テで夫が「クロック・ムシュー」私が(洒落で)「クロック・マダム」、四女がキッシュと、グラスワインのメニュー。1時にガイドさんと落ち合って、コルド・シュル・シエルに向かいました。


                
     向かいの丘から見たコルド・シュール・シエル  村の中心は頂上の四角い広場だった

コルド・シュル・シエルでは、まず向かい側の丘に上がって、そこからコルドの村全体を眺めるという企画になっており、今までと又一味違った感動を味わいました。その後村の頂上まで車で上がり、頂上の四角い小さな広場(前回私たちがランチを食べた)がこの村発祥の原点との説明と、広場近くの家の狩の様子を表した面白い外壁の説明を受けたあと、ガイドさんと別れて自由散策しつつ、麓に下りて行きました。(三女)
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「ミディ・ピレネーの美しい村」(2)コンク(10/17~18)

2011-10-21 01:54:46 | 日常
                
      バンカレルの丘から見たコンクの村        夕暮れのサント・フォア教会

10月17日3時前にコルド・シュル・シエルを出発して車は北上。5時にコンク全景を見渡すバンカレルの丘に到着。夕暮れの深い静寂の中、遠い昔のまま時間が止まったような景色が目の前に広がり、息を飲むような感動を覚えました。

しばし景色を眺めた後村に入り、まずは聖女サント・フォアの遺骨を納めた黄金の聖女像のある宝物殿へ。ここにはこの聖女像だけでなく、聖者の遺骨などが収められている黄金と宝石でできた煌びやかな収納箱(?)が展示されており、それが一層巡礼者の心を惹きつけているとのことでした。

宝物殿を見た後は、サンティアゴを目指す巡礼者が訪れるサント・フォア教会へ。入り口上のタンパン(装飾絵)は、サン・セルナン大聖堂の内部装飾と同じテーマ「最後の審判」が彫られています。ガイドさんは、その中の、死者の生前の行いを秤にかける悪魔の表情が気に入っている様でした。

サント・フォアをざっと眺めて、ホテル‘Auberge St.Jacques’にチェックイン。ツアー会社に予約を頼んだ時、エレベーター無しの5階の部屋しか空いていないと言われ、覚悟していましたが、何とレストランすぐ上の3階の部屋に変わっていました。ラッキー!

チェックインを終え、荷物を置いて、夕食まで街の散策。小さくて静かな町並みはなぜか懐かしさを感じさせます。のんびり歩くうちに閉店間際の土産物店のショウウィンドウに、可愛いロバの人形を発見。ガイドさんから「巡礼者は時折ロバを連れて歩いている」という話を聞いていたので、無理に開けてもらい記念に購入しました。のんびり散策している間にも、2組ほどの巡礼者が街に到着して宿泊する場所を探している様子。この時期ホテルは私たちが泊まる1軒しか空いていないという話を聞いていたので、「泊まれるのかしら」と心配になりました。

そうこうする内に夕食の時間になったので、ホテルに戻り、ホテル内のレストランへ。ここの名物料理はチーズとポテトを混ぜ合わせて焼いた「アリゴ」という食べ物と聞いていたので、それがついたメニュー(夫と四女はポーク薄切りソテー、私はソーセージ)を注文。マルシアックの赤ワインと共に楽しみました。(でもやはりすごいボリューム!ふ~。)

食事を終えて少し休憩した後、ガイドさんが言っていた「司教さんが行う短いお話」を聞くために再び教会へ。聖堂前に集まった観光客と巡礼者、合わせて20人位を前に司教さんが話してくれたのは、どうやら先ほどガイドさんがしてくれたタンパンの説明のようでした。

話が終わった後は、集まった人達全員が教会の中に入り、オルガン演奏の鑑賞。本来は巡礼者への労いの意味が強い演奏だと思われるのですが、観光客を拒絶しない包容力が心地よく心に沁みました。30分ほどの演奏が終ると、教会の鐘が終演を告げ、観光客も巡礼者も静かに退席。私たちはホテルに戻り、久し振りのバスタブで身体を温めてベッドに入ると、すぐに眠りに落ちました。

                
     サント・フォア修道院と朝霧が掛かるドルドゥ川     巡礼者のための道標

18日朝、7時半に朝食を食べチェックアウト。朝霧のかかる景色を見ながら8時半に集合場所のパーキングへ。「この街は静かでよく眠れるね」などと暢気にガイドさんと話しながらロカマドールに向かって車を走らすと、途中の道で「フィジャックへ22キロ」と書かれた巡礼者のための道標が立っていて、大きな荷物を背負った巡礼者さんがフィジャック目指して歩いていきました。どうかご無事で!(三女)
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