11月18日~19日、沖縄に詳しいジャーナリストで友人のIさんの誘いに乗って、沖縄に行って来ました。
18日午後2時半に那覇空港到着。関西空港から来たIさん、Iさんの友人Sさんと合流。レンタカーで、まずは読谷村に向かいました。
読谷村でIさんの友人Cさん宅を訪問。Cさんは反戦地主で、僧侶でもあります。ご自宅兼お寺というか集会所は、庭にデイゴの花が咲き、赤瓦とシーサーが特徴的な沖縄の家そのものです。
Cさんの案内で、シムクガマとチビチリガマに行きました。ガマというのは洞窟のことですが、太平洋戦争末期に米軍が沖縄に上陸してきた時に、人々が逃げ込む場所になりました。そうしたガマのひとつシムクガマには1000人の住民が避難しましたが、ハワイ移民帰りの二人が米軍と交渉し、米軍上陸の初日に、全員が無事生還できたそうです。
一方、チビチリガマには140名余りの住民が避難しましたが、迫り来る米軍を恐れ、子供を含む多くの人が集団自決をしてしまったとのこと。暗い洞窟で怯えながら過ごし、結局死を選んだ人々の悲劇が胸に迫ります。
ふたつの全く異なった運命を記したガマ訪問を終え、初日の社会化見学は終了。Cさんの行きつけの居酒屋さんでゴーヤチャンプルー、ジーマミー豆腐、モズクの天麩羅、ミミガーの酢の物などを食べながら、ビールと泡盛で乾杯!
そこでCさんとお別れして、この日の宿泊地、読谷村の北にある「
リザンシーパークホテル谷茶ベイ」に行きました。部屋は広く、ベランダから海が一望できる素晴らしいホテルです。嬉しい~!一休みして、運転手役を務めてくれたSさんとホテル内にある居酒屋「島唄」に行って、泡盛カクテルなどを飲みながら、島唄を聞いたり、一緒にエイサーを踊ったりしました。
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18日はずっと曇り空でしたが、19日は朝から好天です。朝食後ホテルの前のプライベートビーチを散歩しました。なんて美しい海、美しい砂浜!子供連れ、家族連れ、若いカップル達が嬉しそうに海と戯れています。特に中国からのお客様が目立ちました。皆とても楽しそう!良い日本の思い出ができたことでしょう。
この日はIさんのもう1人の友人Mさんと名護市役所で待ち合わせ。変わったデザインの市庁舎を見学しました。「象設計集団」によって設計された建物は、風が通って夏でも涼しい
「アサギの建築様式」を取り入れた不思議な姿をしています。柱にはシーサーが沢山置かれていて、パリのノートルダム寺院のイメージも取り入れているように見えました。この市庁舎は最初はエアコンをつけていませんでしたが、やはり暑いという市民の声に押されて、沖縄サミットで使われたエアコンの中古を設置したそうです。
市庁舎減額を終えて、Mさんが沖縄そばのおいしい店「大家
(うふやー)」に連れていってくれました。築100年の古民家を修復して、2001年に沖縄そばと琉球料理の店としてオープンしたこの店は、門構えとい、い建物といい、庭といい、実に風情があります。
沖縄そばも、出汁が利いていてすごく美味しかったです。(前回来た時にドライブインで食べたのとは大違い!)いつか家族と来る機会があったら、是非寄りたいお店となりました。
ここでMさんと別れて、今回の旅の目的のひとつ、辺野古に向かいました。ずっとのんびり穏やかなドライブが続きましたが、キャンプ・シュワブに近付くと様子が一変。ゲート近くに「辺野古の埋め立て、基地建設反対」のテントが建ち、ゲート前では、工事用資材の搬入を止めようと座り込む人達と、それを排除しようとする警官隊が対峙していました。
しばらくすると、警官隊が座り込むおじい、おばあの脇を抱えて、テントの辺りに押し出し始めました。怪我をするのではないか、逮捕者がでるのではないかと、ハラハラ、呆然と眺めるばかりでしたが、この日はそれ程の騒ぎにはならず、トラック一台が敷地に入って、一段落したようです。(20日以降、警官の対応が手荒になって、怪我人も出ているようです。)
辺野古海岸に出ると、思いの外静かで、見張り小屋テントの横では、猫がのんびり昼寝をしていました。テントの前の海岸には、キャンプ・シュワブ側の海岸に行くためのボートが着けていました。
前回自由に歩けたキャンプ・シュワブに隣接した海岸は、頑丈なコンクリート壁に阻まれ、今は歩いては入れません。見張り小屋から出るボートに乗って行くしかないそうです。そのはるか先、キャンプ・シュワブとの境の塀には、「基地建設反対」の横断幕がズラリと並んでいました。また、沖合いには巡視艇らしき船が一艘停泊していました。
沖縄県知事選で示された民意は、今後どう生かされるのでしょうか。
辺野古を後にして、宜野湾市にある「佐喜眞美術館」に行きました。ここには丸木位里、俊夫妻が描いた「沖縄戦の図」が常設展示されています。その最大のモチーフはチビチリガマの集団自決です。前日にその場に足を踏み入れ、住民が隠れていた痕跡や焼身自殺で焦げ目の残る岩を見た目には、当時の様子が、更にリアルに迫ってきて、深く重く心に沈んで行きました。
この美術館の館主さんご夫妻もIさんの友人で、奥様が今回の県知事選に纏わるエピソードなど、色々と興味深い話を聞かせてくれました。ご主人の道夫さんが書いた「アートで平和をつくる」(岩波ブックレット)には、普天間基地に隣接するこの美術館を開設するまでの苦労や、丸木夫妻が描いた「沖縄戦の図」を常設できることになった喜びや、この美術館が人々、特に若者に伝えたいメッセージなどが書かれていて、読んでいてその直向きさに心打たれます。
以上で今回予定された見学コースは全て終了。高速道路を使って那覇に戻り、修学旅行生たちが大勢居る賑やかな国際通りの店を覗いて歩き、夜7時過ぎに空港に戻って、Iさん、Sさんとお別れ。8時過ぎの飛行機で無事東京に戻って来ました。
たった二日間と思えない内容の濃い、充実した旅でした。Iさん、Sさん、お世話になりました。沖縄の皆さん、色々なことを教えられ、感じさせられました。有難うございました。とても楽しかった、そして、、、疲れました。(三女)