日にち少しが遡りますが、11月19日に、上野の東京都美術館で開催中の「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」を夫と観に行ってきました。
前日までの寒さが少し和らいだ上野公園は、黄葉・紅葉が始まっていて、とっても綺麗!
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☆田中一村:『明治41年、栃木県に生まれる。
大正3年、東京に転居。翌年彫刻師の父から「米邨」の画号を与えられる。幼年期から卓越した画才を示し、神童と称される。南画を得意とした。
大正15年、東京美術学校日本画科に入学するも、二か月で退学。・・・
昭和13年、姉、妹、祖母と千葉に転居。農業をしながら制作に従事。
昭和22年、柳一村と画号を改め、《白い花》が青龍展に入選。翌年田中一村の名で同展に入選するも、自信作が落選したため辞退。・・・
昭和33年、50歳にして単身奄美大島へ移住。紬織の染色工として働き、生活費を貯めては、奄美の自然を主題とした絵に専念。
昭和52年、夕食の支度中、心不全で亡くなった。享年69歳。』(公式サイトより)
今回は絵画作品を中心にスケッチ、工芸品、資料を含めた250件を超える作品を、以下の章立てで展示しています。
○第1章:若き南画家の活躍 東京時代
○第2章:千葉時代「一村」誕生 心機一転の戦後
○第3章:己の道 奄美へ
<つゆ草にコオロギ>(大正10年夏)(第1章)
<梨花に高麗鶯>(昭和20年代)(第2章)
左:<岩上の磯鴨>(昭和34、35年)(第3章)
中:<初夏の海に赤翡翠>(昭和37年)(第3章)
右:<檳榔樹の森>(昭和48年)(第3章)
南画家時代の絵は、昔SV家母の実家にあった掛け軸のような絵も多く、懐かしさを覚えました。千葉時代の絵は、戦後の作品のせいか、明るく穏やかな色合いの、心和むものが多く、奄美時代の絵は、どれも「これぞ一村!」と思わせられる、個性と力強さに溢れた印象深い作品たちでした。
平日の昼間だというのに、来館者がすご~く多く、入場にも長い列ができ、作品自体人と人の合間から覗く感じで、ビックリしましたが、それでも絵を観終わった時には、気持ちが豊かになったようで心が落ち着き、大きな満足感が残りました。
※田中一村展は12月1日まで。11月23日以降は日時指定の予約制となっているようです。19日に行っておいて良かった!(三女)