昨日、
映画「NO」を見てきました。
この映画は1988年にチリで実際に行われたピノチェト政権の信任延長を問う国民投票がテーマの‘社会派エンターテイメント’で、公開と同時に世界で注目を集め、カンヌ国際映画祭で監督週間アートシネマアワードを受賞するなど、高い評価を得たそうです。
去年夏に日本でも上映が開始されたのですが、最初のタイミングでは存在にも気付かず、ようやく気づいたのは去年暮れ、友人のブログで紹介されてからでした。
ブログの中で、「ピノチェト政権存続反対派が、1日1回、15分だけ流すことを許されるテレビCM を作るにあたり、『これまでの政治に対する怒りや恐怖をぶつけるのではなく、‘NO’と言うことで、未来は自由でハッピーなものになる、というポジティブなイメージを明るく描く』という作戦をとり、結果、国民はNOを選択した」というストーリーが紹介されていて、「面白そう!」と興味を惹かれました。
気付いた時には東京のメインの劇場上映はとっくに終っていて、ようやく下高井戸シネマで2月14日から上映という情報を発見。それも1日1回、一週間だけということで、最終日の昨日、ギリギリ・セーフの駆け込みの鑑賞となりました。(東京では今日から「キネカ大森」という劇場で上映しているようです。)
ピノチェト反対派の作った‘NO’のCM自体は、確かに歌有り、踊り有り、笑顔がいっぱいで楽しく、政権側が作ったCMの威圧的な押し付けがましさ、偽善性と好対照を見せて、笑いを誘いますが、映画の内容は当時のチリで行われていた圧政とそれに抗う人々への容赦ない暴力などが、実際の映像を交えて描かれていて、かなり重く辛いものがありました。
CM作成時も、最初は「絶対に勝つ」と状況を甘く見ていた政権側が、雲行きが怪しいと気付くと、「NO」陣営を脅したり懐柔しようとしたり、あの手この手で妨害をします。そして、投票日直前に「NO」陣営が勝利を確信して街に出て盛り上ると、政権側は最後のあがきで軍を出して暴力で人々を排除しようとします。そんな様子を見ていると、どこの世界も権力者がやることは同じだと、嫌な気分になりました。
それでも最後まであきらめずに頑張り抜いたチリの人々は勝利をつかみ、キリスト教民主党のパトリシオ・エイルウィンが、ピノチェトに代わって新しい大統領に就任することになります。
この劇的な交代劇を成し遂げた人々の、喜びを爆発させる姿は美しく、感動的でしたし、その仕掛け人とも言える広告マンが、歴史的な勝利の後、企業向けの普通の広告を作る仕事に戻るさり気なさも、好感が持てました。
その後のチリの政治情勢は、一時期、民主化運動が花開いた世界の他の国々と同様、紆余曲折があるようです。それでも、理不尽な政治に、明るいトーンで「NO」を言い切って独裁政治を止めた経験は、きっと人々の大きな自信と底力になっているだろうと、羨ましいような気持ちになりました。
余りメジャーではない映画館の、平日午後の上映でしたが、9割ほどの入り。何かこの映画に心を動かされる状況が、今の日本にあるということなのかもしれません。(三女)