4月16日(日)。快晴の東京を出発、快晴の福島へ。
新幹線が宇都宮を過ぎる頃から、まだ雪の残る日光連山が見え始め、誰かが「山の名前を車内放送してくれないかしら」と言ってたけれど本当ですね。
東京では終わってしまった桜も満開。でも郡山に近くなると、バスガイドさんいわく「口も開かない無口な桜」。三春の滝桜の開花は金曜日だったとか。
例年満開時には駐車場に入るのも長蛇の列だそうですが、すぐ駐車場に入れ、そこから5分位坂道を歩くと樹齢千年以上という滝桜が堂々と枝を広げて待っていました。
花はまだ二分咲き位ですが蕾が膨らみ濃いピンクになっているので全体を見るとなかなか見ごたえがありました。暖かいので午後には五分咲きくらいになるのではという感じです。(ニュースで3日後に満開になったと映像が流されました。)
滝桜を後に鶴ヶ城へ。(上の写真は鶴ヶ城に行く途中の車窓から見た磐梯山です。)
残念なことに鶴ヶ城の桜は探してやっと2、3輪。まだまだ奥ゆかしい風情でした。お城の天守閣は、内部は現代的にコンクリートの階段で、各階に会津の歴史の展示場所になっていて、それを見ながら上がって行くので楽でした。この日は晴れて暖かいので、花は咲いていませんが、家族連れの人々が木の下で蕾見を楽しんでいました。
今回の旅行は、会津の飯盛山の白虎隊十九士の墓、さざえ堂、弁天洞門に行くのが私の最大の目的でした。
以前家族と両親で飯盛山の白虎隊のお墓に来た時は、亡くなった曾祖父の弟の名前がわからないままお参りしましたが、今回は以前もらった系図から名前がわかっていたので、自刃した十九士でなく、戦死した少年のお墓をすぐ見つける事ができて、お参りすることができました。
さざえ堂。六角三層のお堂で、上りと下りが全く別の通路の一方通行の構造になっています。
弁天洞門。写真では何と言うこともない洞穴から水が流れ出ている場所ですが、私にとってずっと来たかった場所です。
この洞門は猪苗代湖からの水が流れ出ていて、傷ついた白虎隊の少年達がこの穴を通れば良く知っている飯盛山に出ると、歩いて抜けて来た洞穴なのです。
以前両親と来た時、この洞門の前で父が「ここは猪苗代湖から水が流れ出ていて、昔、夏には男の子達が度胸試しに流れに乗ってくぐって、僕の兄弟もくぐって遊んだけど、僕は臆病でやらなかったんだ」と懐かしそうに話した事がなぜかとても心に残り、その場所にもう一度立ちたかったので、今回やっと思いがかない嬉しかったです。
そこを離れようとした時、気付くとどこから来たのか白っぽい蛇がスーッと水面を泳ぎ向こう岸に渡って行きました。(親父さんだったのかな?)
懐かしの飯盛山を後に、今夜のお宿「裏磐梯高原ホテル」へ。このホテルは桧原湖のすぐそばに建っています。山を登って行くにつれ道の両側は積雪が多く残っていて、桧原湖の湖面はまだ凍結していました。写真はホテルのテラスから見た「弥太郎沼と裏磐梯山」です。(次女)