
(釜無川を挟んだ対岸から見た下教来石地区)
1月13日、白州の下教来石地区に古くから伝わる小正月の祭事、獅子舞と道祖神祭りを見る機会を得ました。
「<下教来石の獅子舞と道祖神祭り> 御神楽獅子または女獅子とも呼ばれ、一般の獅子舞いと違って、もの静かで優雅です。1月14日の午前4時より、無病息災などを祈願して、集落内全戸を舞い歩きます。道祖神祭りは、同日夜道祖神に若者が集まり、御神体の石を奪い合いながら集落を練り歩き、興奮と熱気に包まれます。厳寒の夜、かけ声をあげて走り練る様は壮観です。現在は、成人の日の前後の日曜日に開催されている。平成28年2月22日に山梨県指定無形民俗文化財に指定。」(北杜市学術課
https://minami-alps-br.org/travel_guide/detail/location_03/culture/culture05.html)
下教来石地区は古くは諏訪地方を中心に八ヶ岳山麓に広がる縄文文化圏の一画で、地名は日本武尊が東征の折に腰掛けて休息をとったという大きな石「経(教)来石」(写真・左)に由来すると言われています。
江戸時代には甲州街道の42番目の宿「教来石宿」がおかれたところですが、今は幾つか石碑が建っているだけで(写真・中:明治天皇御小休所址の石碑)、宿場の面影はなく、村の西側を分断して開通した国道20号線沿いに熊本果実連のジュース工場やコカコーラの工場が目立つ(写真・右)、高齢化と人口減少が進む小さな集落です。
<獅子舞い>
小正月に集落内の全戸で行われるという獅子舞いを一度見たいと思っていたところ、古くから同地区に住む知人のYKさんが見に来ないかと誘って下さったので、ご厚意に飛びつきました。
朝4時から諏訪神社や同境内にある道祖神社などで“舞い初め”が行われ、各家庭への訪問開始は未だ暗い5時半頃(!)とのこと。
(写真は、左から「諏訪神社」「諏訪神社の境内」「道祖神が祭られている社」)
祭りの数日前に回覧されたスケジュール表によると、Kさん宅に獅子舞いが訪れるのは例年通り朝9時頃ということだったので、冬になると布団からなかなか離れられない私はちょっとほっとしました。
13日当日の朝は霜が降りていたものの綺麗に晴れて風も無く、絶好のお祭り日和り。K家に着くと、慣わし通り神棚に繭玉やお神酒が供えられ、沢山の酒の肴が用意されていました。
獅子舞いが回ってくる時間帯によってはお握りやお寿司などを用意する家もあるとのことです。
近所の家からお囃子の音が聞こえ始めてしばらくすると、ほぼ予定通りの9時過ぎに獅子舞いの一行がK家に到着しました。一行は女獅子、着物に身を固めた笛や太鼓、謡の人々など総勢10名です。
獅子の舞いには本舞いの「幕の内」と悪魔祓いの「剣の舞」の2種類があり、どちらの舞いも女獅子らしく動きが滑らかでとても優雅。「幕の内」(写真・左)には笛と太鼓が、「剣の舞」(写真・右)にはそれに全員で唱える御詠歌も加わりなかなか見ごたえがあります。
昨年12月頃から舞いやお囃子の練習を行ってきたとのことですが、今年が初めてという若い世代の舞いの美しさに、お囃子や笛を担当する比較的高齢の方々がとても嬉しそうだったのが印象的でした。
舞いは5~6分程度で終わり、簡単な供宴のあと、一行は次の家に向かってK家をあとにしました。
下教来石にはおよそ100軒の家があるので(弔事のあった家を除いた)全戸を回るとなると、松竹梅と3組に分かれて休憩を取りながら行うとはいえ、早朝から夕方までかかる大仕事です。
祭事は天候にかかわらず行われるので、雨や雪が降った時はどうなってしまうのかと高齢化が進んでいる現状を考えてちょっと心配になりました。(実際2日後の15日には積雪は少なかったものの雪が降りました。)
<道祖神祭り>
下教来石の道祖神祭りは古来の道祖神祭りの形態を伝えていると言われ、御神体を抱え持って慶事のあった家々を回る「練り込み」と、外道の目を欺くためとして偽物の御神体を抱えて大勢で押し合いへし合いしながら勢いよく練り歩く「おんねり」が中心です。
(「練り込み」と「おんねり」は時に別行動になりますが、説明が長くなるので、これ以降は合わせて「おんねり」と呼ばせてもらいます。)
午前中にKさん宅で獅子舞いを楽しんだあと一旦我家に戻り、午後7時にまたKさん母娘と一緒に諏訪神社に向かいました。
神社ではすでに儀式を終えた「おんねり」は出発していて、提灯が飾られた境内ではどんど焼きの炎が赤々と輝いていました。神職から御神体を預かった担い手はこの炎の上を歩いて渡って行くとのことです。
私達が着いたときは未だ早かったので閑散としていましたが、三々五々、繭玉を持った住人が集まってきて、世話役や顔見知りの人々と新年の挨拶をかわしており、地区の大切な新年の行事だということが改めて実感されました。
どんど焼きの周りでは人々が古いお札などをくべたり、繭玉を炙ったり。燃え上がる炎の熱と、振る舞われる甘酒や日本酒、おでんで体を内外から暖めながら、「おんねり」が戻ってくるのを待ちました。
(写真・左:古いお札などはどんど焼きにくべる前に社(やしろ)内で清めてもらいます。写真・右:繭玉を持ってどんど焼きを囲む人々)
待つこと1時間半程、大きな掛け声と共に「おんねり」が戻ってきました。境内にいた人々は鳥居の外に一旦出て、鳥居の前で掲げられた御神体の下を潜り抜けて境内に入りなおします。この時点で一般住民の神事への参加が始まるということなのでしょう。
その後、御神体の担い手が再度どんど焼きの炎の上を渡って社で待つ神職に御神体を戻し、神職がその御神体を人々の頭になすり付けて無病息災を祈念します。これが住民にとっては神事のハイライトのようで、長い列を作って順番に祈念してもらった人達は、私達も含め皆さん神社をあとにしました。
その後、更に保存会の人々を中心に儀式が行われて、早朝から続いたすべての小正月の祭事が終了したということです。
今年は例年に比べて参加者が少なかったとのことですが、穏やかな天気に恵まれ、対岸の七里が岩の上に出てきた大きな月に見守る中、小さな子供たちが境内を走り回っていたりして、私にとってはとても興味深いと同時に心温まるお祭りでした。
ご自宅での獅子舞いにはじまり道祖神祭りまで、くまなく案内して下さったKさん母娘には本当に感謝しています。
国道沿いの小さな、どこにでもあるような集落だと思っていた下教来石に、このような集落をあげた珍しい伝統祭事が300年以上も受け継がれていたとは正直なところ驚きでした。
高齢化でだんだん祭りの維持が難しくなっているともききますが、宿場町の面影も消えてしまった集落に残された貴重な文化遺産として、そして勿論人々の大きな楽しみとして長く守り続けられていって欲しいと思います。
なお、この日道祖神社でおみくじを引いたところ「中吉」でした。無病息災を道祖神様に祈って頂いたし、まあまあ良い年になってくれるということでしょうか。
皆さまにとって、この一年が素晴らしい年でありますように!(四女)
(※祭りの詳細については「かやぶんかわら版」さん
http://kayabun.web.fc2.com/kawaraban/kawaraban_068_01.pdf、
山梨文化財ガイド無形民俗文化財
https://www.pref.yamanashi.jp/gakujutu/bunkazaihogo/bunkazai_data/yamanashinobunkazai_mc0019.htmlをご参照下さい。)