松本城天守を築いた石川数正・康長父子の法要が、康長公の命日の12月11日に大手五丁目の正行寺で執り行われました。
市民タイムスにこの法要が執り行われることが事前に記事にされていましたので都合をつけて行ってきました。
写真は、康長公が礼拝していた稔侍仏です。(松本市立博物館様のご了承をいただき掲載しています。)
正行寺の佐々木一男住職の読経のもと、参列者が焼香を行い石川数正・康長父子の冥福を祈りました。
今回の法要には、遠く愛知県岡崎市から堤石川会の方々も参加されていました。
法要後は、松本城管理事務所の後藤芳孝研究員の「石川父子と大阪城」の講演を興味深く聞く事が出来ました。
康長公の稔侍仏は現在松本市立博物館にて管理保管されていますが、今回の法要に合わせ松本市立博物館から松本城管理事務所に移され、その後松本城管理事務所の職員によって正行寺の本堂に安置されました。
今回の法要の前に時間がありましたので、石川数正・康長父子が築いた松本城に久し振りに登りました。
登り終え、退城しようと黒門一の門に向かっている時に、松本城管理事務所に向かって歩いているちょっと大きめの箱を両手で持った女性と付き添いと思われる男性とすれ違いました。
すれ違った時に風に舞い飛ばされたのか箱から綿布が地面に落ちましたので、拾って箱の中に戻してあげました。
その時は何を運んでいるのか全く分かりませんでしたが、正行寺での法要が終わり稔侍仏を納める箱を拝見した時に、すれ違った際に地面から拾い上げた綿布が稔侍仏が納められている箱から落ちた事を確信しました。