玄蕃石(げんばいし)は太鼓門向かって左側にある巨石です。
松本城築城の際の石材は山辺山・浅間・岡田から切り出されたようです。
二の丸太鼓門にある巨石を「玄蕃石」と呼んでいますが、この石について人々の酷使にまつわる話が残っています。
築城の際、井深村(岡田)に有ったこの石を城普請のために運搬させようとした時、人夫の一人に苦情を訴えるものが一人いた。
それが城主石川玄蕃頭康長の耳に入った。
康長は怒って多数の人々の前面に呼び出し、たちどころに首をはね、槍の穂先に貫いて先頭にたて、みずからはその石の上に飛び乗って「ものどもさあ引け!」と命令をして運搬させたものだという。
だれいうとなくこの石を玄蕃石と呼ぶようになった。
※松本市誌第二巻歴史偏Ⅱ近世より引用
かなり残酷な話ですが、石川氏が改易された後に入封した小笠原秀政は他村他領や山中に逃散した農民の帰村を促す還往策をとっていることからも、城普請に農民などがかなり人足としてかり出され無理な仕事をさせられていた事が窺えます。
この玄蕃石(げんばいし)は高さ3.2m、推定重量26.5トンと言われています。
☞ 松本城いろいろ一覧に戻る
大きいものと言えば大阪城の石積み、エジプトのピラミットなど、働いた人たちの苦労があったでしょうね。
熊本城には首かけ石と言うのが置いてあります。力持ちが首にかけて運んだといいます。
石は仮名のコの字形に刳り貫かれています。
名も知れない人々がかり出され、普請に参加したのでしょうね。
首かけ石とは本当に力持ちがいたのかもしれません。
どうやって首にかけて石を運んだのか想像するだけでも楽しいです。