monoろぐ

古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

躑躅(つつじ)

2010年03月29日 | 日本古典文学-和歌-春

つつじ咲くならびの岡の松かげにおなじ夕日の色ぞうつろふ(夫木抄)

入り日さす夕くれなゐの色映(は)えて山もとてらす岩つつじかな(金葉和歌集)

入り日さすをちの岡べのをかつつじゆふくれなゐに色ぞまされる(永久百首)

入り日さすむかひの岡の岩つつじいはねどしるき春の暮れかな(現存和歌六帖)
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思ひいづるときはの山の岩つつじいはねばこそあれ恋しきものを(古今和歌集)

なにごともしのぶの岡の岩つつじいはで思ひの色に出(い)づ らむ(夫木抄)

初瀬がは岸の岩ねのしらつつじ知らじな人は身に恋ふるとも(夫木抄)

浅からぬ思ひを人にそめしより涙のいろは濃(こ)つつじの花(夫木抄)


池田重子の「春のおしゃれ」に

2010年03月28日 | 読書日記

 池田重子の「春のおしゃれ」(実業之日本社)を読んでいたら、この本にも、文字が刺繍された着物が紹介されていました(158ページ)。
 本には『裾には自作の歌か、「鶯きぬとはおもふものから藤の花 宿に咲きける春ぞひさしき」と読める水茎の文字を散らした藤鼠色の三つ紋付のきもの。』と書いてあるのですが、和歌にしては、どうも字数が合いません。変だな~と思い、インターネットで検索してみると、「新古今和歌集」の以下の貫之の歌がヒットしました。

  暮れぬとは思ふものから藤の花咲けるやどには春ぞひさしき

 そこで、当該本の写真をよく見てみると、「鶯きぬ」と読んでいる文字は、「暮連ぬ」と読むべきもののようです。変体仮名「連」を「き」に誤って読んでいるのではないかと思うのですが。

 ついでに書くと、「水茎の文字」ってなんか変な言い回しだな、と感じました。


平資盛を花にたとえると

2010年03月28日 | 日本古典文学

 「平家花ぞろへ」より、平資盛を花にたとえている文章を抜き出します。(「室町時代物語集成12」角川書店)

 卯月ついたちころ、村雨ひとむら過ぎて、夕づ くひのかげほのかに残れるほどよりも、けしき浅みどりなるに、こだかく見ゆる岸より咲きかかりたる藤の、色濃く、しなひ懐かしう見えたるは、またならぶべきものなきぞかし。
  立ちらなぶものやなからん夏かけてまだ盛りなるふぢなみの花

 平資盛は、重盛の次男で、維盛の異母弟。勅撰集にも入集する歌人でもあり、建礼門院右京大夫の思い人としても有名です。
 藤の花は春の季語ですが、初夏のものとして扱われることもしばしばあります。


藤(ふぢ)

2010年03月27日 | 日本古典文学-和歌-春

むらさきの糸縒りかくる藤の花この春雨にほころびにけり(堀河百首)

濡るるさへうれしかりけり春雨に色ます藤のしづ くと思へば(金葉和歌集)

うすく濃くみだれて咲ける藤の花ひとしき色はあらじとぞ思ふ(拾遺和歌集)

むらさきのふぢ咲くころの朝ぐもりつねより花の色ぞまされる(風雅和歌集)

ふぢのはな宮(みや)のうちにはむらさきの雲かとのみぞあやまたれける(拾遺和歌集)

ここのへに咲けるを見れば藤のはな濃きむらさきの雲ぞたちける(千載和歌集)

ゆく月日おもほえねども藤のはな見れば暮れぬる春ぞ知らるる(貫之集)

藤の花おもへばつらき色なれや咲くと見しまに春ぞ暮れぬる(風雅和歌集)

咲きそめていく日(か)もへぬを藤のはな春のものとや今日のみや見む(壬二集)


松上藤

2010年03月27日 | 日本古典文学-和歌-春

咲きぬれば水なき松のこずゑにも波をりかくる藤の初花(宗良親王千首)

春風に匂ひふかめて松が枝(え)のこずゑをこゆる花の藤波(草庵集百首和歌)

紫ににほふ藤波うちはへて松にぞ千代の色はかかれる(続千載和歌集)

むらさきの雲うちなびく藤のはな千歳(ちとせ)の松にかけてこそ見れ(兼盛集)

ここのへの池の藤波かけてこそみぎはの松も色まさりけれ(宝治百首)

松風も枝をならさぬやどなればかかれる藤のかげぞのどけき(風葉和歌集)

水(み)ぎはなる松の緑もうづもれて紫ふかくにほふ藤なみ(宝治百首)

かげうつす松もこだかき春の池に水底かけてにほふ藤波(風雅和歌集)

暮れてゆく春のなごりを人も見よ水際(みぎは)は松にかかる藤波(宝治百首)