園長のつぶやき

こんにちは 長坂保育園の園長です。日々成長する子ども達を見ながら、日頃の思いを綴ります。

広島・長崎

2013-08-07 20:45:34 | 日記

園長です。

 今年も8月6日がやってきた。広島に原爆が落ちてから68年が経過した。被爆者は年々高齢化し、平均年齢は79歳だという。私が初めて広島の原爆記念館に行ったのは大学4年の春の時だった。友人3人で九州をバイクで1周し、東京へ帰る途中で広島の友人のところで1泊した。友人の案内で宮島や原爆記念公園などを見学した。それまで原爆のことは遠いところでの出来事であまりピンと来なかったが、友人のお母さんが広島で原爆に会った事を話してくれ、自分の知識のなさを目の当たりにした。私たちは戦争が終わり、落ち着いたころに生まれたので、戦争の悲惨さを身にしみて知っているわけではないのですが、大人たちもあまり口にはしませんでした。私の亡くなった父は、中国で終戦を迎え、1年後に帰ってきたそうです。周りの家では遅くとも半年くらいで帰ってきたようで、我が家では「戦死」したのではないかと思っていたそうです。そんな父でしたが、多分戦地では筆舌に尽くしがたい経験をしたはずなのに、私たちに話すのは、楽しかったことだけを面白おかしく聞かせてくれました。きっと自分でも思い出したくなかったのでしょう。

 その後広島には3度くらい行きましたが、どうしてもあの記念公園、原爆記念館には足を運ばずにはいられないのです。最初に見たときの衝撃はものすごいものがありました。それまでの笑顔が消え、思い気持ちになったことを今でも思い出します。その後、増築した記念館も見ましたが、やはり戦争の悲惨さ、原爆の恐ろしさを実感するものでした。テレビで原爆慰霊祭を見ましたが、いつも思うのは「人間が作った原爆を無くすのは人間しかない。」という言葉です。東日本大震災では福島第一原発が壊れました。2年以上たった今でも解決には至っていません。というより、震災から何も手が付けられていません。人間の愚かしさを証明しているようなものだと思います。

 長崎にも原子爆弾が落とされました。長崎にも何度行きましたが、南蛮貿易から始まった長崎の歴史も原爆という人間の愚かな行為に翻弄されました。長崎にもお世話になった保育園の理事長先生がいますが、原爆の話になると暗い表情になります。長崎の原爆は広島とは「型」が違いますが、それでも破壊力はすさまじいものがあったようです。広島よりは被害が少なかったようですが、こちらの原爆資料館も見ごたえがあるものでした。2度ここを訪れましたが、もう一度ゆっくり見学したい場所です。

 私たちは、平和な世の中に生まれましたが、私たちの平和は、多くの犠牲者の上に成り立っていることを忘れてはいけないと思います。最近はちょっとしたことで自分で命を捨てたり、なんでもないことで他人を傷つけたりする事件が後を絶ちませんが、もう一度命に関して深く考えてもいいのではないかと思います。少しくらい頭が悪くても、障害があっても、容姿が悪くても、生きていることは大切です。そのためには世の中が少し複雑になりすぎているようにおもいます。もっとシンプルに生きてみたいと思うのは私だけでしょうか。これから8月15日の終戦記念日までは、少し心が暗くなりがちになります。保育園の指導監査あり、気分はイマイチですが、やっと夏らしくなった北国の夏を楽しみたいと思います。8月6日の広島も暑くてよい天気だったそうです。

コメント
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