園長です。
ここ数日、寒い日が続いています。八戸地方では冬の風物詩「インフルエンザ」が流行しています。毎年、毎年冬になるとやってくる厄介な感染症です。感染症にも律儀な性格があるようです。ここまで文明が発達しているのに、インフルエンザの病原菌も退治できないとは悲しくなります。
さて、今年も12月19日がやってきました。週間天気予報では大型寒気団が居座っていて、19日は厳寒だとのこと。寒いのは嫌いなので一日前行動をとりました。12月19日は私の両親の「命日」なのです。もう何回目になるのでしょうか。当時も寒かった記憶があります。・・・と書くと同じ日に亡くなった思うかもしれませんが、父が無くなり、その3年後の同じ12月19日に母が無くなったのです。いつも喧嘩をしていたようでとても仲が良い夫婦とは思えませんでしたが、心はつながっていたのでしょう。年越しを直前にして仕事も多忙な中での葬儀は何がどうなって進んでいったのか、今も定かではありません。世の中には「前例」という言葉もありますが、こればかりは「慣れる」ということがありませんでした。
夕方、雪がちらつく中、墓前で手を合わせ、冥福を祈りました。その後菩提寺へ行き、本堂で手を合わせ、我が家の位牌堂へ。3階にある位牌堂はとても寒く、体の隅々まで凍ってしまいそうでした。締められていた扉を静かに開け、中をゆっくりも回し、お輪を鳴らしました。今頃は天国で何をしているやら・・・、大好きなお酒を飲み、赤ら顔で母とおしゃべりでもしているのでしょうか。生前にはいろんな迷惑をかけました・・・またかけられました。亡くなってから17年も経つのに未だに声が聞こえてきそうです。私も今年で61になりました。まだまだ楽になりそうもありません。3番目の娘が良い人に恵まれ結婚することになりました。先日、12月9日に両家の中間にある函館で「決め酒」と「結納」を済ませました。冬の函館は意外と寒く、八戸ではなかった雪が結構積もっていました。何年振りの函館だったでしょう。函館山のふもとになる歴史的建造物を見学した後、五稜郭に行ってきました。五稜郭タワーに上り、箱田市内を一望した後、7年前に改築したという「函館奉行所」を見ました。日本の転換期、変革期を生きていた武士たちの悲壮な思いが伝わってきました。その後駅へ戻り、遅い昼食をとりました。もちろん「サッポロ生ビール」付で・・・。
函館駅から新幹線が出る「函館北斗」駅までは電車で約20分。青森駅と同じです。でも新幹線に乗ると2時間弱で函館と八戸を結びます。北海道というと「青函連絡船」無では私の青春は語れませんが、連絡船は4時間もかかりました。最近乗ることはありませんが、たまにはゆっくりイルカを眺めながら北海道へ渡るのもいいかもしれません。
12月は忙しい。忙しい中でも19日だけは私の特別な日になっています。ちなみに長女の長男は12月20日生まれ。本当は19日が予定日だったのですが、娘が頑張って一日「わざと」伸ばしたようです。悲しみと喜び・・・この先何回味わうかわかりませんが、大事にしたいと思います。
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