松村長二郎さんを偲んで Vol. 1 ~メモリアル・カード制作秘話

2013年10月、第2回目となる「平野郷を着物で歩こう!」開催を前にして、私は活動資金捻出のため、平野郷の絵葉書を制作し、販売しようと思い立った。
その際、作った三枚セットの一枚が「平野映像資料館・まつや」を描いたイラスト画であった。
これは、私が写した写真をもとに、紙再生工房の前橋所長がイラストにおこしたもの。
ようやく、原版が出来上がったので、松村さんに見てもらうことにした。
ところが、このとき、松村さんに思いもかけず、「こんなもん、誰が喜ぶんや!」とお叱りを受けてしまった。
「えっ!」と思った。
なかなかの出来ばえだから、きっと喜んでもらえると思っていたからである。
だが、よくよく、ご指摘を聞けば、「何と馬鹿なことをしたものか」と思った。
まつやのショーウインドーに雨戸が掛かっていたのである。
しかも、シンボルである「祭り提灯」が吊るされていない。
そんなことさえ、気づかなかった自分が情けなかったが、開催まで時間もないし、早急に修正しなければならない。
翌日は土曜日で休みだったが、そんなことを言っている場合ではない。
松村さんに「明日朝、写真を撮りなおすので、雨戸を開けて、祭り提灯を吊るしてください」とお願いした。
松村さんは快く受けてくださり、撮り直した写真とおこしたイラストが、こちらである。
修正していただいた前橋所長にも、お手数をおかけしてしまった。


写真を撮ったあと、店前の床机に二人で座って、いろんなお話を聞かせていただいた。




当時、私は平野に着任して、一年も経過していなかったので、平野の話は新鮮で、興味津々にお聴きしたように記憶している。
それまでも、松村さんの講演には何度か出席していたが、それ以来、本当の意味で平野の師匠の一人だと勝手に思い込むようになった。
ただ、「平野の町づくりを考える会」のお仲間としては、「松村先生」というより、「さん」付けでいう方が自然かなと思っている。
「平野郷を着物で歩こう!」では、松村さんには、オープニング挨拶や平野映像資料館の訪問などで大変、お世話になった。

この「第2回」においても、盛りだくさんの企画で、最終訪問場所である平野映像資料館への到着が大幅に遅れてしまった。
松村さんは年に一、二度しか着ないという、お着物をこのイベントのために着て、「着物で歩こう!」一行が到着するのを今や遅しと外に出て、待っておられた。
そのときに写したのが、この一枚である。

「着物で歩こう!」が、平野の名物イベントとして、育ってきたのは、松村さんのように、ご協力いただいた方がいらっしゃった、おかげである。

松村さんの一周忌を前に何かお礼できないかと思っていたところ、あの絵葉書をリメークすることを思い立った。
紙再生工房の前橋所長に、あの写真を合成することを依頼した。

試し分は「思い出の国」のイメージを出そうと、全体的にぼかしてみた。

お顔はくっきりとした方がいいとする意見もあったので、TOP写真の完成版となった。
当初は絵葉書仕様にするつもりだったが、それも変かなと思ったので、裏に文章を入れて、メモリアル・カード仕立てとした。
文章は、だんじり新聞から抜粋させていただいた。
題して「春に秋を考える、平野のひと」。

ご遺族の了解も取り付け、「松村長二郎さんを偲ぶ会」目前に、漸く完成した。
このメモリアル・カードは喫茶アートに置いておりますが、限定数しか製作しておりません。 お求めになる方はお早めにアートさんまで。(06-6792-2469)
尚、製作協力金として、一枚100円いただいております。
この動画は区役所ホームページから。
亡くなる一年前のこと、「退院してきた直後に取材にきた。」とこぼしておられた。
体調がすぐれないなか、平野の語り部として、とうとうと話されている。
人気ブログランキングへ
にほんブログ村
にほんブログ村


2013年10月、第2回目となる「平野郷を着物で歩こう!」開催を前にして、私は活動資金捻出のため、平野郷の絵葉書を制作し、販売しようと思い立った。
その際、作った三枚セットの一枚が「平野映像資料館・まつや」を描いたイラスト画であった。
これは、私が写した写真をもとに、紙再生工房の前橋所長がイラストにおこしたもの。
ようやく、原版が出来上がったので、松村さんに見てもらうことにした。
ところが、このとき、松村さんに思いもかけず、「こんなもん、誰が喜ぶんや!」とお叱りを受けてしまった。
「えっ!」と思った。
なかなかの出来ばえだから、きっと喜んでもらえると思っていたからである。
だが、よくよく、ご指摘を聞けば、「何と馬鹿なことをしたものか」と思った。
まつやのショーウインドーに雨戸が掛かっていたのである。
しかも、シンボルである「祭り提灯」が吊るされていない。
そんなことさえ、気づかなかった自分が情けなかったが、開催まで時間もないし、早急に修正しなければならない。
翌日は土曜日で休みだったが、そんなことを言っている場合ではない。
松村さんに「明日朝、写真を撮りなおすので、雨戸を開けて、祭り提灯を吊るしてください」とお願いした。
松村さんは快く受けてくださり、撮り直した写真とおこしたイラストが、こちらである。
修正していただいた前橋所長にも、お手数をおかけしてしまった。


写真を撮ったあと、店前の床机に二人で座って、いろんなお話を聞かせていただいた。




当時、私は平野に着任して、一年も経過していなかったので、平野の話は新鮮で、興味津々にお聴きしたように記憶している。
それまでも、松村さんの講演には何度か出席していたが、それ以来、本当の意味で平野の師匠の一人だと勝手に思い込むようになった。
ただ、「平野の町づくりを考える会」のお仲間としては、「松村先生」というより、「さん」付けでいう方が自然かなと思っている。
「平野郷を着物で歩こう!」では、松村さんには、オープニング挨拶や平野映像資料館の訪問などで大変、お世話になった。

この「第2回」においても、盛りだくさんの企画で、最終訪問場所である平野映像資料館への到着が大幅に遅れてしまった。
松村さんは年に一、二度しか着ないという、お着物をこのイベントのために着て、「着物で歩こう!」一行が到着するのを今や遅しと外に出て、待っておられた。
そのときに写したのが、この一枚である。

「着物で歩こう!」が、平野の名物イベントとして、育ってきたのは、松村さんのように、ご協力いただいた方がいらっしゃった、おかげである。

松村さんの一周忌を前に何かお礼できないかと思っていたところ、あの絵葉書をリメークすることを思い立った。
紙再生工房の前橋所長に、あの写真を合成することを依頼した。

試し分は「思い出の国」のイメージを出そうと、全体的にぼかしてみた。

お顔はくっきりとした方がいいとする意見もあったので、TOP写真の完成版となった。
当初は絵葉書仕様にするつもりだったが、それも変かなと思ったので、裏に文章を入れて、メモリアル・カード仕立てとした。
文章は、だんじり新聞から抜粋させていただいた。
題して「春に秋を考える、平野のひと」。

ご遺族の了解も取り付け、「松村長二郎さんを偲ぶ会」目前に、漸く完成した。
このメモリアル・カードは喫茶アートに置いておりますが、限定数しか製作しておりません。 お求めになる方はお早めにアートさんまで。(06-6792-2469)
尚、製作協力金として、一枚100円いただいております。
この動画は区役所ホームページから。
亡くなる一年前のこと、「退院してきた直後に取材にきた。」とこぼしておられた。
体調がすぐれないなか、平野の語り部として、とうとうと話されている。



