プロレスラー墓名碑2021 ~ストロング小林
晴天のへきれきとは、このことだろうか。
ワンダースターでは、年末に「プロレスラー墓名碑」と銘打って、当年に没した個人的にインプレッシブなレスラーの記事をアップすることにしているのだが、2021年はその該当者がおらず、やれやれと思っていたところだった。
というのも、年初には、闘病中のアントニオ猪木の容態がすこぶる悪いようで、もしかしたらと危惧していたのである。
先ほどの”やれやれ”は定期的に猪木自身で発信しているSNSによると、持ち前の闘魂で危機を脱したかと思えたことにもよる。
ところが、年末も押し迫った大晦日に、あの名勝負「猪木・小林戦」の一方の雄、ストロング小林が逝去されたというではないか。
心の整理がつかないまま、ストロング小林を振り返ることにした。
小林は60年代後半から74年2月まで、国際プロレスのエースとして、君臨していた。
その後、猪木との試合を経て、新日本に移籍し、坂口征二とのコンビで活躍した。
プロレスファン以外の方にとっては、引退後の俳優、「ストロング金剛」として、記憶されておられるかもしれない。
国際プロレスは馬場や猪木のような大スターを擁しているわけではなく、興行的にも経営的にも苦しかったようだ。
ただ、ストロング小林(当時は小林省三)は若い頃から、その実力やスター性を買われており、私ももっとも、注目していたホープだった。
欧州遠征からの凱旋帰国試合はTVマッチだったが、南アフリカの大型選手ウイリアム・ホールのドロップキックを、まるで蠅を払うように空中で払いのけたのにはびっくりした。
こんな日本人パワーファイターは見たことがなかった。
その後、小林はビル・ミラーを破り、IWA世界ヘビー級王者となり、名立たる大物レスラーたちの挑戦を撃破し続けていた。
そのストロング小林が国際を脱退して、馬場と猪木に挑戦するというではないか。
当時のプロレスファンはびっくり仰天した。
彼は性格的にも温厚で真面目で大人しい人だと報道されていたから、なおさら、その大胆な行動に驚いた。
これは水面下で相当なことが蠢いていると誰もが感じた。
今になって、様々なことが白日の下に晒されたが、やはり、その通りだった。
国際内でのパワハラによる孤立、新日と全日の激しい興行戦争が背景にあった。
国際と全日の妨害を恐れた過激な仕掛人、新間寿が試合当日、小林の自宅に泊まり込んで、会場に小林を連れて行ったというエピソードがそれを物語っている。
とにもかくにも、これをきっかけに「猪木・小林戦」は実現した。
この試合を機にプロレスファンになった人も多いと聞く。
それくらいの名勝負となった。
私にとっても、ベストバウトで未だに、毎日のように、あのシーンが脳裏をよぎる。
これはPVでスタート時のさわりだけなのだが、緊迫感が今でも伝わってくる。
ラストは小林が猪木を流血させたうえ、見事なブレーンバスターでキャンバスに叩きつけるも、猪木は間一髪、返す。
小林はカナディアン・バックブリーカーに攻撃を変化させるも、猪木はリバース・スープレックスで返す。
猪木は浮足立った小林をテーズ流バックドロップ、止めは伝説のジャーマンで仕留めた。
簡単に言うとこうなのだが、解説し出すと、このシーンだけでも、枚挙にいとまがないくらい奥が深い。
ただ、はっきり言えることは、敗れたといえ、この瞬間がストロング小林がレスラー人生の中でもっとも、輝いた瞬間だったということである。
ご冥福をお祈りします。
PS.(プロレス美術館のバックナンバー記事より)
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