のしてんてんハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

スケールについて(5)

2016-10-04 | 5次元宇宙に生きる(一人旅通信)

 

スケールについて、私の体験した怪奇現象から、始まって、

人は自分の大きさを「1」とする単位で世界を認識しているという考えに至りました。

はじめて読まれる方は、

スケールについて 

スケールについて(2)

スケールについて(3)

スケールについて(4)

を読んでいただけますと、考えの流れが分かって頂けると思います。

 

ところで、私たちは何の疑問もなく、この世のものごとを見えるとおりに受け入れ、その大きさを把握していますね。

しかしそれは実にあいまいで、深く考えを至らせると、最も確かと思える自分の身体の大きさですら、絶対的な大きさとして確信することが出来ないのです。

絵空事の話しと思えますが。世界が伸縮して自分の大きさが変わっていても、私たちはけっして気付かないし、気付けないでしょう。

それは物差しも同じことです。国際的に定められた1m原器、今では光の波長で定義づけられているそうですが、そもそもその計測方法そのものが、絶対不変とは言えないのです。

ものの大きさを伝えるとき、象のような大きさとか、米粒のような虫というように、誰もがわかるような共通のものを持ち出して、表現することが多いですね。

あるいは手を使ってこれくらいと広げて見せる。

 

これは比較法によって、伝達している訳ですが、実際私たちが大きさを伝えようとすればこの方法以外にないのです。

さらに受け取る側のイメージは、伝えられたものと自分との対比でその大きさを感じとっているのです。

 同じ椅子でも、子供には大きく見え、大人には小さく見える。

なぜこんなことが起こるのでしょうか。

 

私の思い至った結論は、こういうことです。

「大きさは相対的であり、絶対的な大きさは存在しない。」

「仮に絶対的な大きさがあるとしても、それは神の領域に属し、人間には証明不可能である。」

 

 ややこしい物言いをしましたが、簡単に言えば、

自分の身体の大きさを証明してくれる根拠はどこにもないということです。

 

この大きさは素粒子の大きさかもしれませんし、地球の大きさかもしれません。

目を瞑って自分を感じてみて下さい。

とたんに大きさはなくなりますね。これが自分というイメージがうすれ。自分と、自分でない境界はわかりませんね。

手で自分の身体を触れば、その大きさはわかると言われるかもしれませんが、その感覚は何億光年も離れた領域ではないと、証明してくれるものはないのです。

 

 実生活において、こんな奇妙なことはないし、考える必要もありませんが、

私たちが何気なく認識している大きさについての実体は、このようなあいまいな感覚からきているのです。

 

そして私は、それはなぜなのかと考えます。

このあいまいさをすべて受け入れて、整合性の取れる結論は一つしかありません。

 

つまり私という実態は「空間」だということです。

 

大きさは「もの」に属します。

 つまり、私たちが認識する大きさというものは、「もの」に基づいた考え方であって、この奇妙なほころびは、「吾はものなり」という思考の行き着く、真実との矛盾なのです。

 

実際、「吾はものなり」の思考は、私たちに浸透して、疑う余地もありませんが、しかしその思考は、私たちの眼の届かないところで、真実との齟齬があると言わざるを得ないのです。

 

その意味で、スケール軸の概念は、

私たちが、慣れ親しんだ「吾はものなり」という立場から、「吾は空なり」を理解する手助けをしてくれると思うのです。

 

次元ということばを使うなら、

「吾は空なり」は無次元と言えます。

「吾はものなり」思考は、1次元から始まり、世界をより深く認識するにつれて次元を上げていきます。そして現在の常識は4次元ですね。

そこにスケールの概念を加えた五次元に至って、私たちは「吾は空なり」の世界を見ることが出来るようになる。無次元に行き着くのです。

 

 

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6 コメント

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無限次元バカマカ解釈 (真鹿子(まかこ))
2016-10-04 14:07:23
のしてんてんさま、

こんにちは!

いきなりで恐縮ですが、
四次元のことなのですけれど、

まず四次元界とは、どのような構造なのだろう、 
この摩訶不思議奇跡宇宙の、時空間骨格のようなものなのだろうか?
一体、どのような構造になっているのだろうと

わたくしが存在していると感じられるわたくしの現場で
宇宙潜在極域通底意識の閃き羅針盤に従いまして、
わたくしなりに一歩ずつ踏査いたしましたのが、
のしてんてんさんとの貴重な出会いともなりました、
「美しき任意の点のスケッチ」の稚拙詩

 
     美しき任意の点のスケッチ


任意であるにもかかわらず

どうして、点以外の何ものでもないのかと

任意の点は、ながいあいだ

たたらをふみつづけてきたけれど

点は、

点であると同時に、線だった

線であると同時に、面だった

面であると同時に、立体だった

つまり点は、

点であると同時に線であると同時に面であると同時に
立体であると同時に四次元形態であった

四次元形態であると同時に五次元形態であった
五次元形態であると同時に六次元形態であった
六次元形態であると同時に七次元形態であった
七次元形態であると同時に八次元形態であった
八次元形態であると同時に九次元形態であった

点はたじろぐ

点は終わらない

点は点であると同時に

想像を超えている形態

創造を超えている形態

点は点であると同時に

無限次元形態であった 



真鹿子(まかこ)


そして、わたしたちもまた

それぞれがそれぞれの

わたしたちであると同時に

想像を超えている存在!

創造を超えている存在!

わたしたちはわたしたちであると同時に

無限次元存在なのではないでしょうか


と、突拍子もない状態で一応ピリオドになっているのですが、 



つまり、任意の一点を指で触れますと、
この指は一瞬のうちに、
すべての次元、無限次元に触れているということ。


頬っぺたなどの一点に、指で触れましても、
この指は、一瞬のうちに、 
三次元の頬っぺたを通して
すべての次元、無限次元の何かに触れているということ。 



長文申し訳ございません。
文字制限があるかもしれませんので
分割にさせていただきます。
勝手ご容赦 m(_ _)mすみません^^;;
返信する
絶対と相対…なんちって (むっちゃん)
2016-10-04 14:30:20
怪奇現象もどきの、ナンすかそれマジすかそれ、が、一定の結論にたどり着いたのでしょうか(笑)。
オッモシロイ!現象ですが、脳が認識を混乱させた……辺りが、まあ、物質的答、だとしても、それが若き日ののしてんてん画伯の身に起こったことがまた、オッモシロイ!

私は基本、『絶対』は神サマの領域なので、今のところ興味はあっても触らない……みたいな感じのスタンスで、横目で見て逃げております(笑)。ここんところがイマイチ突き抜けない原因かもしれませんけど。

『相対』で感じられるところ、を、味わう時期……でしょうか?もしかしたら一生かもしれませんけど。

認識の混乱も、楽しい『相対』のマジック、みたいな気もします(笑)。
返信する
私見ですが (のしてんてん)
2016-10-04 19:00:53
私たちは遠回りをしているのです。きっと。

四次元も五次元も、およそ次元というものは、本当は存在しないのだと思います。

ですから、四次元がどんな構造になっているかという問いかけは、本来何もないところに、どれだけ満足のいく説明が出来るかという問題なのだと思います。徒労です。

まかこさんの点は無次元の存在であると同時に、点を含むすべての存在もまた無次元なのではないでしょうか。

花はその無次元を受け入れ、四次元など考えもしないで命を全うしている。草引きをしているとそれがなんとなくわかるのです。

しかし人は、無次元を説明なしには受け入れられない。1次元2次元と空想を働かせて無次元を理解しようとする。

つまり、大変な遠回りをしているのです。

つまり次元とはあるのではなく、無次元を説明するための創作。絵に描いた餅だと私は思います。

私たちを導くには必要な概念ですが、真実は無次元、空としか言いようのないものなのではないでしょうか。

花の様に生きられたら、私たちは直線で無次元に行けるのでしょうけれど^ね^。。
返信する
相対。大事なことですね (のしてんてん)
2016-10-04 21:00:24
相対を味わい尽くす。

創作活動は、まさにむっちゃん、相対の世界に根を張るということですよ。

絶対の世界には何もありませんから^ね^。

ただ、創作を高めるためには、絶対の世界を見る必要があるのですね。

絶対の世界を意識しない創作は方向を失うからです。

というより、絶対の世界を意識しないでいられる人はいないでしょう。

だから安心して、相対の世界に遊んでください^ヨ^
返信する
極微カタツムリの歩み (真鹿子(まかこ))
2016-10-05 07:21:10
のしてんてんさま、

おはようございます!

昨夜は心も踊る楽しいコメントを
ありがとうございま^す^♪ 


無限次元につきましては、見解は様々、
それこそ無限にあるかもしれませんが、

わたくしはわたくしの信じる道(未知)を
邁進するのみ

徒労も努力のうち
徒労からも得るものがありますよ ^ ^;;

肉体では知覚できない世界、
想像し難い世界を

天から与えられた個性に感謝 
「想像は創造と連動、想像出来ることは創造出来ること」の 
想像力を働かせて、あきらめることなく!
一歩一歩、極微カタツムリのように進んでまいります。


先日初めて、彼女の存在を知ったのですが、
理論物理学者のリサ・ランドール博士ご存じでしょうか

ランドール博士は、
宇宙には次元が無限に存在する可能性を
提唱されています。

ランドール博士は核分裂実験の過程で、偶然
一部の素粒子が消失するのを発見

このことから、その素粒子は、
我々人類の目には見えない
五次元空間に飛んで行ったため、
突然姿を消したのであるという
大胆な仮説を立てられました。

この仮説は、アインシュタインの一般相対性理論と
大きく矛盾することから、国際物理学会に
大きな波紋を投げかけているそうです。

タイム誌の報道によりますと、
宇宙に次元が隠れていると推測したのは、
ランドール博士が初めてではない。
しかし、空間の余剰次元は無限大であるという説は、
革新的なのだそうです。

博士は、
「5次元空間は、私たちから遠く離れているわけではなく、
すぐそばに存在するのかもしれない。ただ上手く隠されているので、
私たちの目には見えないだけだ」と
次元との関係を述べておられます。

著書も、
「ワープする宇宙ー5次元時空の謎を解く」、
「宇宙の扉をノックする」 
「宇宙が始まる前には何があったか」
などなど他にも出版されているよいですが、

のしてんてんさんもよろしければ
お読みくださいますよう
わたくしも少しずつでも 
拝読させていただきたいとおもっています。

わたくしは今日も
想像は創造と連動
想像出来ることは創造出来ること
善き想像(創造)が出来ますよう
極微力ながらも全身全霊がんばります!

のしてんてんさんもどうぞ、
善き日をお過ごしくださいませね☆

真鹿馬鹿は
死んでも治りそうにありません^ょ^;;

 
 
返信する
大いなる徒労 (のしてんてん)
2016-10-05 08:59:41
まかこさん、おはようございます。

私がこの徒労をはじめましたのは、苦悩からでした。

どうしたら苦悩から解放されるのか。

自分が信じられるあらゆる試みをして。

いつか、

幸運にも真実に至って、苦悩から解放されたとしたら、

その瞬間はどんなものだろうと想像します。


私の考えでは、その解脱が起こるときとは、

まさに、この努力が徒労だったと理解する瞬間ではないのかと。

大いなる徒労があって、真実に至るしかないのがもしれません^ね^。



リサ・ランドールの五次元はとても興味深いです。

興味があっても、頭の問題で、理解がついて行きませんので、自分のわかる言葉で考えをまとめるしか出来ないのが恥ずかしいのですが、

機会があったら読んでみたいと思います。

ランドール博士の宇宙論は、次元が平行に存在しているようなイメージで受け止めていました。

少しずつ世界が解き明かされて行くのはうれしいことです。

さらに興味深いのは、ナッシム・ハラメインという学者の新宇宙論です。

科学の目を、物から空間に向けようとする考えが感じられて、面白いです。




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