なんだかつい数時間前に脈絡なくこの地の神社の白々しさについて考えていたことが嘘のようで、ここにでは心の居場所を与えてくれるむき出しの生活のようなものが伝わってきて、ふっと和むものがあった。
それはそばに里依子がいるという事と多分に関係があったけれども、しかし私は真っ先に、大阪ではこんな店は出来ませんよとその印象を伝えた。それは里依子に言ったのか自分に言ったのかはっきりしなかった。そう言えるほどこうした店を知っている訳ではなかったが、なぜかそう言い切るだけの自信があった。
カウンターの前にはいかにも無造作に、私には初めて見るような魚が幾種類も積み上げられたショーケースが置かれており、頭上には鮭の燻製が縄で吊り下げられて、半分ほどその尻尾から身がそぎ取られていた。
埃がたかっていても意に介さないような荒々しさが何の衒いもなくかもし出されているこの店が気に入った。そしてこの店によくやってくるという里依子の姿を想像し、あるは現実の里依子を横合いに眺めながら、その姿はあまりにも店と対照的ではあったが、にもかかわらずどこかふさわしいもののように思われて、こうして居酒屋に和む彼女を愛おしく思うのだった。
HPのしてんてん
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