(のしてんてんとてんとうむし)
知識について考えるとき、「ことば」は避けて通ることはできません。
「ことば」は知識そのものと言っても過言ではないでしょう。
教えによって受け取る知識はすべて、ことばですし、自分の思いを告げるのもことばですね。
ことばが私たちとどのようなつながりを持っているのかを見るのは、案外面白いものです。
私たちの思考に光を与えてくれるのも、ことばだと思いますし、己を知るのも、ことばによってでしょう。
「ことば」と私たちは、いったいどのようなかかわりを持っているのでしょうか。このことばの世界を観察することで、心の旅はようやく終わりに近づきます。
さて、
ことばとは何か、そう真正面から問われると、なかなか簡単に答えることはできませんね。分かっていそうで、分からない複雑な関係を持っているのがことばなのです。
下の図は、何度も使っています、思考地図です。私たちの思考の全体を表した図です。
この図の中で、ことばがかかわっている思考はどの部分か、分かりますね。
いうまでもなく、思考の中核にある理念思考です。
思考の位置でいえば、私空間(自分の認識世界)に属し、なおかつ自覚された思考であり、虚構性の強い部分に位置します。
私の考えでは、もっとも人間らしい活動領域にある思考に、ことばは大きく関係しているのです。
なかでも、理念思考は、ことばによる思考といってもいいでしょう。
科学はここから生まれ、伝承されて、様々な文化を築いてきました。思考に光をあて、考えをまとめ上げ、伝承していくのは、ほぼことばの力だと考えていいと思います。
一方でことばは、国や地域によって違います。この事実は何を物語っているかといえば、ことばの虚構性です。
ことばは、真実を指し示す記号だということです。それゆえ、ことばは、国のような大きな生活圏の中ではそれぞれ独自の記号が定着して言語となるわけです。
ことばはつくられた、虚構のものであるからこそ、様々な言語がありうるのですね。
また一方で、人間の心は、自ら作った言葉に支配される傾向もあります。
ことばは私たちの心の中で、いったいどこまで根を張っているのでしょうか。
少しずつ、その世界を観ていくことにしましょう。
その先に、私たちの終着点があるのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます