2002年 ギャラリーリボン 新風景展より
今回はまず2002年から描き始めた、空気を描く作品からお付き合いください。
物質を描かない空間だけの絵は、大きさをもたないために、キャンバスを何枚もつなぎ合わせて増殖させることが出来る。そんな試みから、十数年前にHP上の体験コーナーを作りました。
これは下の増殖する絵画をクリックしていただくと体験画面に飛んでいくのですが、オレンジ画面の9×9マスの(正か逆)をクリックしていただくと、下のグリーンの画面の3×3升マスに画像の正逆が並んでいくように工夫したものです。作成時から経年して画像のあいだに隙間が出来てしまいますが、9枚の空間絵画を回転させたりして自由に組み合わせを楽しんでいただくもので、お時間がありましたら、遊んでみてください。
この増殖する絵画は、前回にも書きましたが、それ以上なかなか進展させることが出来ずに止まったままだったのです。
もちろん、出来る限りの試みをしました。
2003年ギャラリー由芽では、画廊の壁面を埋め尽くしたり。
組み合わせによって、さまざまな表情になる壁画として展示したり、
2009年の文字を取り入れた空間絵画などです。
2009年ギャラリーPaw
空気だけの空間に、丸と文字を配することで、物質ではないが物質に近い形態を画面に持ち込もうとしたのです。文字は創作文字で読めそうで読めない文字。それが一線を越えない工夫でした。
しかし結局空気を描くという納得が得られないままだったのです。
そもそも空気の絵画は、10年間お寺の境内で作品展示の修行をさせていただいた全興寺住職から与えられた課題でした。
私を野外展示の作品の前に呼んでこう言われたのです。
「空気を描きなさい」
物はいらない。空気だけかいてみろと真顔でした。
10年間の修行が終わる最後の個展2008年から10年を経ようとしている今、ようやくの思いで龍がその空気を呼び寄せてくれた気がしてなりません。
邂逅展開催まで、ぎりぎり間に合った気流を呼ぶ龍です。
龍の背景に、かつての空気を描こうとした描写を試みたのですが、龍の効果が思いのほかあって、今まで納得できなかった空気感が動き始めて気流が観えるようになった。見ていて自分がうれしくなるそんな絵になってくれたのです。
この絵と出遭って、私は初めて空気が描けたと思いました。
これなら和尚さんの前に作品を持って行ける。10年の修行からなお10年かかっためぐりあい。
龍に合掌したい気分です。
今日のブログを読ませていただき、ふと連想したことが。
我々演劇部員(ん十年のJKです)のバイブル的少女マンガ『ガラスの仮面』。
伝説的舞台『紅天女』を演じる為のメソッドとして、ヒロイン・マヤと彼女の永遠のライバル・亜弓が、『風』を演じることに。
二人はそれぞれのやり方でメソッドに取り組みます。
亜弓は『風を表現する』を突き詰め、観客に背を向けて立ち、かすかな肩の動きと客席へ振り向く身体の動きと視線の動きだけで、観客に『風』を感じさせる。
一方マヤは、自分が『風になる』をことを選び、風の一生をパントマイムで演じる。
二人を指導している月影先生は『表現し、伝える』を主に考えて演じた亜弓を褒めました。
マヤは素直に亜弓の凄さを認め、自分に足りない『表現』へ意識を向ける。
しかし亜弓は亜弓で「私は『風になろう』なんて思いもよらなかった」と、マヤの子供のように素直な感性におののく。
そんなエピソードでした。
マスターの龍は、亜弓の表現技術で描いたマヤの芝居、そんな感じがしました。
…空気が描く風景、「空気は見えませんが姿があればこうやって見える時がある。」…きっとのしてんてん絵画倉庫を作った職人さんもこうした竜が見えるのでは…と。
こうした答えを見て、ふと住職さんが「空気を描きなさい(×=空気だけを)」といったのが…”のしてんてん様のこの世に無いものに形を与える絵画”に顕現させてほしい…そんな願いでもあったのかと。妄想ですが。
…横道に逸れますと、前回の記事の絵画たちも”竜の要素がファンタジーな考えを可能にした。”…そう想いました。…現実では箱は動かない、うずまきの造形はそういったオブジェで…やはり現実であったら動かないもの…そういった概念が”一般的にファンタジーである竜”の要素によって
「ファンタジーなんだから箱が動こうが、うずまきが勝手に回ろうが…”有”。」私の勝手な妄想ですがそういった解釈の広がりを感じました。
まとめるともう一言です。…いい!!理由とかはわかりませんがとにかくチカラを感じました。(大画面では特に)。
いい絵画との出会いに…本当に感謝を!!
全興寺御住職の貴重なお言葉
有り難いですね☆♪
まるで「空気を描きなさい」のお言葉の言霊
言の葉波動が永きにわたり、
のしてんてん宇宙に渦巻き響き
その渦のうねりがいつしか極自然に龍と成り、
いろいろな試みとともに、すべてが今に集約、
☆気流を呼ぶ龍☆が顕現されましたこと、
感無量ですね!お喜び申し上げま^す^☆
また宇宙素粒子龍動エネルギーとも、
通じているようにも感じられまして、
感動です!これからも龍道展開(天開)
よろしくお願いいたします🐲☺️🎆
大阪・京都では開催されないのですか?
「気流を呼ぶ龍」に会いたいです!
「ガラスの仮面」はなじみがなかったものですから、検索してみたら、大変なベストセラー作品なのですね。
しかも1976年から始まって現在も連載が続いているとか。
演劇部員のバイブルだったとは知りませんでした。
画像がたくさん出るので、見ていると面白いことに気付きましたよ。
それぞれの登場人物が、自分の心の強い高まりを覚えるカットでは、ほぼ共通して目にまなこがないのですね。
私が通り抜けて来た白眼の龍とどこか共通するのではないかなあと思いながら、セリフのない絵だけの画面に見入っていました。
私の見る限り白眼のカットにはほとんど文字は書かれていない。たまに言葉の入っているカットを見ても、その言葉は頭に浮かんだままの姿、説明の言葉がないということは、何かを象徴しているように思えました。
眼差しを入れると、目が説明しはじめる。
すると、心に浮かんだ姿が説明によってぼやけたりして不純になる。
だから作者は、そんなカットに眼差しを入れられなかったし、読む側にとっても、その白眼のおかげで直に心がつながる気がする。
説明がいかに心を不純にするかが、この絵を見ても分かるような気がしました。
ところで、そんな漫画を取りあげていただいて今回の龍の感想、最上級の褒め言葉と受け取りました。
ありがとうございます。
けれども、会場設営やら、倉庫の整理やら、何かと手を取られて、二作目に手がけられないのが不安です。
せっかくつかんだ感じを、自分のものにしたいというちょっとした焦りかなぁ
ともあれ、
よきお正月をお迎えください。
今年一年、ありがとうございました。
折師さんのこのことばは、なぜか心に響きます。見えるときがあるのです^ね^
既成概念というものが、私たちに見えるものを見えなくしているということもあるのだと思っていますが、まさに空気などは、見えているそのことに気付かないでいるのかもしれません。
この絵がそんな心の部分に少しでも触れることが出来るきっかけとなればうれしいですね。
この龍が私の前に現れて作品の中に入れてやる作業に成功するとどんどん私の源流に向かってくる感じでした。
そして空気絵画に行き着いてくれた。
龍に助かられた
そんな思いでいっぱいです。
へび太もあわせ、よき新年となりますよう、お祈り申し上げます。
この一年をありがとうございました。
思考が逆転したというのでしょうか、説明できない、不思議な高揚感と言ったらいいのでしょうか・・・
感覚を具体的に書いてみますと、鉛筆の粗い線描に弱さしか感じられなかったのが、その粗さが空気の一粒。素粒子の点と思えるようになったということです。
気流は私の欠点の中にあったということなのかもしれませんね。
ピンチはチャンス
窮地は最高の贈り物
今年まかこさんから教わった心のフレーズ、大切にしたいと思います。
ありがとうございました。
よき新年をお迎えください^ね^
龍の絵は、出来立てのほやほやでして、「邂逅展」のために描いた作品です。
なので、今のところその先のことが分かりません。
また京阪で展示できる機会が頂けましたら、当ブログでもご案内いたしますのでよろしくお願いいたします。
年末、寒波が来ているようですが、ご自愛されてよき新年をお迎えください。