(今年も咲きました。近所の生垣ですが、毎年楽しみにしている蔓バラ。)
人間は思考する生き物ですね。しかしその思考をみつめていると、それはやって来ているのであって、けっして自分が意識して思考を始めるというのではないのがわかります。
私たちが自分の思考を操っているように見えるのは、やってくる思考を選別する意志が働いているからだと思えます。私たちは自分の都合のいい思考を選び取り、その思考に意識を向ける傾向があります。思考エネルギーは、意識を向けられた瞬間から自分のものとなり、そこから選別して初めて、自分の意志のもとに思考が進んでいくのです。
思考は、良いものも悪いものも、波のようにやってきます。その思考の波を、私たちは自分の良心で選別しているわけです。悪い思考には意識を遠ざけますね。すると自然にその思考は消えていきます。逆に良いと思われる思考にはそれを選び取って意識を注ぎます。そこに意志が生まれるわけですね。
どんな善人にも悪い思考はやってきます(たぶん)。善人と呼ばれるのは、やってくる悪い思考を選ばないで、常に良い思考に意識を注いでいるからではないでしょうか。
思考の波は、その人が選択して意識を向けると、当然強くなります。意識を向けた思考は自分の中で大きくなるばかりではなく、同じような思考が押し寄せるようになり、悪い思考は徐々に消えていくことになるでしょう。
それは逆もしかりで、悪いことを考えるひとには、悪い考えが次々と押し寄せてくるに違いありません。
このように、思考エネルギーは私たちが意識を向けることで、初めて自分の思考となって働き始める訳ですね。
面白い話があります。アルキメデスと風呂の話を知っていますか。
金の王冠を命じられた職人が、ごまかして銀を混ぜて作った王冠を王様に渡した。
アルキメデスは、王様にその虚実を明らかにせよと命じられて悩みます。どうしたらわかるのか、夜昼考え続けて、食事も喉を通らず、疲労こんぱです。
ある日精根尽き果てたアルキメデスが風呂に入ったのです。思考に思考を重ねるアルキメデスの頭脳から騒がしい思い込みが一瞬、緩んで消えた時、有名なアルキメデスの原理が思い浮かんだ。という話です。
このエピソードから学べることは二つあります。
ひとつは、同じことを強く考え続けていると、真実のほうからやってくるということ。 これと同じような話は、いくらでもあると思います。
そして二つ目に、思い込みの思考を消すと、真実が見えてくるということ。 くつろぎはは真実に一番近いのです。
冒頭の話とあわせて、この三つのキーポイントが私たちにある方法を教えてくれるのではないかと思えるのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます