人は固定観念の産物である
吾は空なりという真理はこの固定観念から解放されたところにある。
しかしまた
我々は固定観念なしに
自分たりえない。
考えてみたら分かることだが
私達が
自分だけで生き
自分だけで作りだしたものは何一つないのである
言葉は借り物だし
智識はさらに遠くからやってくる
言葉を失えば
自分の世界の90%は失われるだろう
残るのは
感覚の波の中にいて
その揺れの度に
感じの変化を味わうだけだ
つまり
人間とは言葉である
と言っても
たいして間違ってはいないだろう
そして
言葉は固定観念なのである。人間は固定観念の塊りなのだ。
誰もが知ってのとおり
真実はいつも言葉のその奥にあるのだ
つまり真実は固定できないということになる。
言葉と真実には
不確定性原理が働いている。
五次元もまた固定観念であることには変わらない。
しかし
五次元宇宙から見れば
今在る人間の固定観念の誤りが見えるのだ
つまり人間は
古い固定観念の誤りを知り
新たな次元に生き始める
それが五次元思考なのである。
誤った固定観念
例えば
①人は地球上に立っている。山に登る。地に落ちる。
とんでもない、実は宙に浮いていて地球に引き寄せられているだけなのだ。
②自分の大きさは決まっている
とんでもない。世界に大きさは存在しない。在るのは比べ観ることだけ。
③真空には何も存在しない
とんでもない、真空こそ万物のすべてを司る波動のかたまりである。
これらのことは科学的に知られたことだろうが
今だ常識となって、そこからの人生観が生まれていない
それは思考の方法が成長しないからである
時間の観念にしがみついているためでもある。
なぜなら時間を認識するためには、スケールを動かせないからだ。
有名なゼノンの逆説の示す通り、
時間とスケールを同時に見たら、不合理な世界しか見えないのである。
だからスケールは不動という
固定観念が生まれたのだ。
本当は時間とスケールを同時に見るのが誤りだったのだ。
時間を止めてスケールの世界を眺めてみるとよい。
この一瞬の中に極小から極大の世界があって、その中に真実のすべてが内在している
そこにあるのは唯一無二の空間と、スケールごとに姿を変える物質たちなのである。
自分のスケールを自由に変えて
世界を認識する能力は
ここから生まれるのだ。
(自分のスケールを自由に変える?そんな馬鹿な!という認識が、しがみついた四次元思考なのだ)
全てを理解する悟りの境地とまでは言わないが
五次元思考は
四次元思考の誤った固定観念に気付き
新たな人間の人生観を造り上げてくれるのだ。
私はこれを新人類と呼びたい。
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