何人かで美術館に行くと、たいてい私は気に入った作品の前で動かなくなる。相手のことを忘れて絵に没頭してしまう悪い癖があった。気付くと私一人が取り残されていることが常だったのだが、この日も私は片岡球子の富士の前で自分を失っていたのだった。それがどれ程の時間だったのか分からなかったが、ふと我に帰ったとき、里依子は私の横に立って熱心に絵を眺めていたのだ。
それをどのように表現しても、その時の里依子の印象は語りつくせない。清楚で深く絵に通じる心を持っている人というその思いは、単に里依子の言葉からではなく、また彼女のしぐさだけからやってくるのでもない。
それは要するに片岡球子の絵と、その前で身を引き締めて見つめる里依子の姿のその双方のかかわりの中から感じた私の一瞬の印象だったのである。そしてその印象は私の心に焼き付いて生涯忘れ得ないのではないかと思われた。
こうして私たちは長い間片岡球子の前から離れなかった。疲れると長椅子に腰をおろして、心ゆくまで私たちはその幸せを楽しんだ。
それから私たちはゆっくりと会場を巡って行くのだった。
HPのしてんてん
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます