(のしてんてん系宇宙 より スケールの軸の概念図)
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問う、いのちとは何か
動くということ
動くとはどういうことか
移動することだ。
移動するとはどういうことか
ここから別のところに動くということだ
ここから別のところに動くとはどういうことか
その間に空間があるということだ
空間がなければどうなるのか
動けない
ならば空間とは何か
いのちだ
いのちとは何か
空間だ
答が違うな、いのちとは動くことと言ったではないか
違わない
だが空間は動かないぞ・・・・
ものを動かすのだ
ではいのちはものではないのか
ものは動かない
だが、ものがなければ動きもない。空間だけで何が出来るのだ
ものをつくる
何、空間がものをつくるというのか
ものは空間のかたまりだ
空間のかたまりは空間ではないのか
そうだ
今空間がものをつくると言ったではないか
空間の力が固まってものになる
空間が固まるとはどういうことか
強いエネルギーで固まるということだ
ものには形があるが、空間にはなかろう
形は強い力と弱い力の境界線なのだ。それがものに見えるだけなのだ
形はまぼろしというのか
エネルギーの境界線だ。まぼろしではない
形あるものはすべて、境界線というのか
そうだ。
しかしその証拠はあるのか
ものには必ず内側と外側がある。それが証拠だ
確かに内側と外側のないものはない。しかしその意味するのは何か
内側の力は強く、外側は弱い。形はその境界線に出来る
強い力がものになり、弱い力が空間になるということか
その通りだ
ならば問う、空間とは何か
全てだ
それは孤独ということか
無だ
寂しくはないのか
無だ
だが寂しい。なぜ寂しいのか
いのちをものと思うからだ
空と思うことはできるのか
出来る
それなら方法があるはずだ
方法はない
方法がなければ探しようがない。絵に描いた餅ということか
探さなければいいのだ
もはや動きが取れぬ。質問が見当たらぬぞ
それが答えだ
質問がなくなった。それが答えというのか
そうだ
だが、なぜなのだ。その核心がわからぬ
質問は外に向かう。だが答えは内にしかない。分かるか
外に向かう意識が尽きたら、内に向うしかないということか
さすれば受け入れが始まる
この内側を無条件に受け入れよというのか
然り
内側には何があるのか
外側がある
その外側にも内側があるというのだな
それが無限に続くのだ
虫の声が聞こえてきた。
禅問答は果てしなく続く
質問の為の質問、答えの為の答えになってゆくような。
拈華微笑。究極はそれ。でもそこにたどり着くまでは言葉を使わなくてはならない。
ちょっと……ダルいですね~(笑)。
言葉で表現、を目指している者としては泣き言じみていますが、言葉の限界に絶句したくなることもあります。
頭ばかりが先に行き、心も体感もオイテキボリ……の罠にはまるような。
疲れているのでしょうか?
たった今気付きましたが、暗いッスね、コメント。失礼しました……(苦笑)。
恥ずかしながら知らない言葉で、ネットで調べました。便利です^ね^。^
心で以て心を伝える。
しかしそれでも、むっちゃん
ことばを愛しなくてはなりません。
人に対しても、自分に対しても。導くのは言葉なのですから、ことばを砥ぎましょう。
置いてけぼりのことばは自然に消えていきます。
いつまでも消えない、心を宿した言葉と巡り合うまで、あくなき前進です^よ^
肩の力を抜いて、出来れば湯船に身を沈めて、出会う言葉と共にあることが一番かもしれません^ね^
自問自答はむなしいと言えばむなしい。
しかし唯一の羅針盤ですから、手ばなすこともまたできないのです。
昔、とあるお話の世界観を組み立てている時にひねくった、私の哲学もどきです(笑)。
心を言葉で表現するのは、力を形にする事。あるいは力の持つ方向性から、形を見出だす事。
だけど、伸びゆく力を強引に形にすると、嘘になります。
ついつい、やりがちの愚です(苦笑)。
ありがとうございました。
果しなく
永遠に続きそうです^ね^
けれども、その永遠が
一瞬であるかのように
感じられるのは、何故でしょう
私なども、内なる声との禅問答もどきの問答を
時を忘れ夢中になって行っていることがあり、
部屋が真っ暗になってあっ!もう夜なんだって
我に返ることがありますが
まるで深遠(神縁)宇宙からの帰還のようで^す^;;
確かに、わたしたち人類にとりまして
禅問答とは、
三次元固定観念の打破!
三次元意識から
無限次元意識へと
意識の覚醒をうながし
無限次元超意識の
宇宙意識を開発する
訓練、三次元意識への刺激になるものと
私は認識しているのですが、
わたくしの忘我境禅問答も
一瞬無限大に続きそうですアンす^よ^
100人いれば100の中心があって、世界観を広げている。
だから私たちは常に、他を理解しようとするとき、他の世界観と己の世界観の差異をはかり、その差異のどこに真実があるかを見抜く力を付けなければなりません^ね^。
むっちゃんのコメントにその力を感じました。
伸び行く力はいわば吾が子。
吾が子には期待もかけたくなるし、要求も出したくなる。優しく見守ることは難しいのですね。
私の世界観から言えば、
その吾が子は、神の子、神様から授かった子。だから出来るだけありのままに育てたいという表現になるわけです。
おたがい己の世界観。大切にしましょ^う^
これ直訳すれば「死ね!」ですよ^ね^。
偶然か必然かわかりませんが、よくできた話しと思いませんか?
問答無用=死が論理的に成り立つわけです。
逆転させれば、生きるとは、問答有用となるわけで、我々、生きる限り問答を続けながら道を探っていくわけです^ね^。
忘我境禅問答。まかこ今日も荒野を行く。
です^ね^。。。
失礼いたしました。