小さな櫂の舟が浜辺の所々に引き揚げられた簡素な船着き場で、しばらくこのうっとりした湖のような港を眺めながら、私はこの忍路を最後にここを去らねばならないと考えていた。
しかしふとしたことから、私の思いは再び忍路に引き戻された。それはこの港の持っている不思議な感覚の中である一つの事実に気付いたからであった。
礒の香りがない。私がしきりに湖のようだと感じていたのは、ただ水面の穏やかさと入江の雰囲気からだと思っていたのだが、浜辺に作られた網の干し場を通った時にそのことに気付いたのだ。
どこにでもある港の、あの独特の礒の香りが漂ってこない。それは私の知覚より先に体が既にここを湖と理解していたのかも知れない。
おそらく夏の、漁の盛んな時期でであればそういう訳でもないのだろうが、3月のまだ雪の残る忍路の寂れた漁港からは、確かに礒の香りはなく、あたかも山深い盆地に広がって、澱みの果てに澄み切った湖の雰囲気を持っていたのだ。
そして不思議は、そんな体からの理解の上に成り立った漁船の姿や、網干の風景からやってきた。あるいは入江口に停泊した二艘の漁船と、そこから開ける日本海の見せる水平線であった。
HPのしてんてん
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます