のしてんてんハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

五次元という考え方について(認識論)6

2023-05-07 | 5次元宇宙に生きる(心)

のしてんてん「カップケーキが口の中」  キャンバスに鉛筆

 

 

人は自分という領域の中で一生を過ごしていきます

例えれば井の中の蛙ですね

自分を私と呼び、その私は身体と心の存在です。

世界から私自身のために分け与えられた領地、それが自分。

まるで井の中の蛙ですね。そんな私達は大海を知りません

けれども空の青さを知ると、ことわざにあります。

これが人間の認識をよく表しているのです

自分という井戸の中にあるのは、

身体と空体(空間のこと)。

身体は大海を知らないが

空の青を知るの

ですね

五次元(新たな認識能力について)

第六章 認識論としての身体空体

 

身体空体

皮膚と空間の接点、

そこから内側という領域が自分である。

その領域にあるものと言えば、素粒子と空間である。

 

認識論では「認識主体」は何かをまず明らかにすることから始まる。

平たく言えば、認識する主人公は誰なのかということである。

ついでに言えば、主体が認識する相手のことを客体。

誰が何を認識するのかということだ。

 

これまでの認識論で自分という主体は身体以外に考えられなかった。

しかし五次元思考では認識主体は空そのものであると考えられるのである。

再び五次元宇宙モデルを見てみると、

素粒子が空間に浮かんでいるのだが、どこまでが自分なのかと考えたとき、

物質と空間をひとくくりに考えるのは間違いだと気づいたのである。

素粒子は限りある集団であるが、空間の方は無限の広がりを持つ唯一無二の存在である。

その二つを一つにするのはどう考えても無理があるのだ。

そこで私は、空間の存在を空体と呼んで、身体と分けて考えることにしたのである。

そうすると認識主体は、認識論的に次のような関係になることが分かった。

 

①四次元(三次元+時間)では物質を時間の変化でとらえるのだから物質が認識主体でなければならない。つまり身体である。

②五次元(三次元+時間+スケール)では、物質はスケールの影響を受けて姿を変えるために、認識主体にはなり得ないのだ

そこでスケールの影響を受けても姿の変わらない、ただ一つの存在である空間を認識主体と考えたのである。

そしてこれを空体と呼ぶことにしたのだった。

 

まとめると、

四次元思考の認識主体は身体=物質

五次元思考の認識主体は空体=空間

ということになるのである。

 

空体と身体の関係を下図で見てみよう。

黒で描いた袋が人体だとすると、

袋の口までが私達の身体である。

身体は物質である肉体と、小さな空間で成り立っている。

小さな空間は身体の内側にあって、身体を支えている空間である。

つまり素粒子を浮かせ、人体の塊につなぎ止めて命を作り出している

それは同時に私達の内観や思考の働きを担っているエネルギーなのである。

 

しかし、身体の空間は外の空間に対して完全に閉じた存在ではない。

図を見るまでもなく、身体の外に開いた様々な部分から、大きな空間とつながっているのである。

呼吸や食、光や音、風や水などというように人体のあらゆる開口部から、

あるいは感覚器から相互に対流を繰り返しているのである。

体内宇宙と体外宇宙はこうしてつながっている。

 

(四次元思考による自分)

私達が常識的に思っている自分とは、

上図の身体(袋)のことを指しているのだ。

肉体と内に拡がる空間を一つの存在「私」としてとらえているのである。

これが(認識主体=身体)なのである。

 

(五次元思考による自分)

スケールの概念で世界を眺めたら、

自分の領域が広がるというのは何度も触れてきた。

空間には、体内の小さな空間も体外の大きな空間も、区切ることのできない

たった一つの存在という特性がある。

その空間に軸足を移したら、

そのとたんに自分という存在は身体を飛び出し宇宙そのものになる。

これが空体なのである。

空体とは、

図でいえば白い地のすべて(小さなスケールの空間と大きなスケールの空間)ということなのである。

 

(新しい世界認識)

常識を取り払って、ありのままの世界を観たら

私という認識主体は

身体から空体に切り替えて世界を認識できるのである。

 

しかしこれは単なる思いつきのお遊びなのではない

般若心経ではすでにその空観が語られている。

量子力学の世界では空間の解明が進んでいる。

そこで語られている真実を、自分とのかかわりの中でどのように世界を認識できるのかが私達の問題なのだ。

そしてそれが五次元思考というとらえ方で実現できるという訳なのである。

 

(空体から見た自分の姿)

身体から空体に意識を切り替えたら何がどう変わるのか

主なるものを列挙してみよう。

〇空体は自分のからだを客観的に眺めている

〇空体は自分の懐にからだを包み込んでいる

〇空体は他人を、同じように包み込んでいる

〇空体は無限の大きさで、銀河も抱えている

〇空体はどんな小さな世界にも存在している

等々

 

(意識を切り替える)

身体から空体に意識を切り替えるということは、

例えば呼吸に対する意識が逆転するということである。

呼吸に対する意識が変わると、突然世界観が逆転する。

 

空気を体内に取り込む行為を「吸う息」と呼ぶ。

身体が空体から空気を吸い込んでいるのである。

ところが、

この行為を「吐く息」だと意識を変えるだけで、

空体が身体に空気を吹き込んでいるということになるのだ。

同じように、

空気を体外に排出する行為を「吐く息」と呼ぶ。

この行為を「吸う息」だと意識を変えるだけで、

空体が、身体の命を害する空気を吸い取っているということになるだろう。

つまり呼吸の意味を逆転するだけで認識主体は身体から空に切り替わる。

意識を変えるスイッチがここにあったのである。

これを図で表すと、

身体と空体のつながりがよく見えてくる

 

(呼吸●空体と身体のつながり)

 

上の図の解説は次回に置くとして、

呼吸の空気の流れを見ていただきたい。

意識を変えるということはどういうことか、

まずはそれぞれ皆様の思いを重ねてみていただきたいのである。

 

私達は生きるために呼吸をしていると思っている。

しかし他方では

私を生かし、育てるために空気を送り込込み、吸い出している空体を考えることが出来るだろう。

呼吸は身体と空体の間でこのように対流して繰り返される。

それは地球と同じ円運動なのである。

しかも命の回転運動なのだ。

これは最も深いところにあるエネルギーの姿でもあるのである。

次回予告

(第七章 五次元と呼吸)

身体に意識を向けて世界を見るのが私達の文化だと言えます。

そんな中で気の存在は

様々な世界で、何らかの極意として語られてきました。

そして気は、様々な武術や芸術、医学などに取り上げられてきたのです。

そこに空の本質を観ようとした私達の歴史があるのかも知れません。

中でも呼吸は

命の本質である気の、赤裸々な姿なのです。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 五次元という考え方について... | トップ | 五次元という考え方について... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

5次元宇宙に生きる(心)」カテゴリの最新記事