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この苦悩から逃れ、真実に至ろうと絵を描き始めたのは、私にとって最大の失恋を味わった時だった。二十歳の空白を絵が埋めてくれた。絵に真実を求める性癖はそこから生まれた。そして今も変わらない。
真実に至る。そこには至福がある。そこに浄土があると思い込んで絵を描き続けてきた。
苦悩があり、喜びがあり、また苦悩が生まれる。真実に至ったと思ったその瞬間から苦悩が始まる。延々と繰り返されるそれは、まるで賽の河原のようだ。
上の図はそんな私の40年の迷いから生まれた。心の形を図に示したものだ。
「この図が今の私が理解する心の構図であり、これを具現するような「浄土」を描きたいのです。」図を広げながら、私は御住職に「浄土」への思いを語った。
「これは何ですかの」
「苦悩と迷いから救われていく心の地図です。悟りは偉いお坊さんにしか行けないところではないという道筋を示したかったのです。」
「行けますか」
「誰でも、身を呈して彼岸に飛び移らなくても、地続きで行けます。これが図に書いている(移行界)を通る道筋なのです。」
「行けますかの」
「今、このとき。の中に入っていけば、瞬間だけがあって良し悪しの判断は必要ありません。(このとき)を良しとすればいいのです」
その時確かに私は、熱をもって語った。今思えば自分に酔っていたということだろう。御住職はそのあと何も言わなかった。そして帰り際、タオルを一本渡してくれた。それだけだ。
その一本のタオルが私をひっくり返した。
賽の河原に積み上げた小石がまたもや崩れ落ちたのだ。
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