
忍路と書いてオショロと読みます。アイヌ語から来たのでしょうか、文字の印象と合わせて、とても心に沁みるように広がるのです。
そしてその浸透力が伊藤整の詩に増幅され、その果てに現実の場所に立った時、それまで意識の中で膨れ上がった忍路と現実が違和感なく結びつきました。
そんな経験はまれなことです。たいていは想像が上回り幻滅するか、想像を超える現実に圧倒されるということになるのですが、それだけに忍路は現実の中にある心の交差点ではなかったかと思われるのです。
さて、次回忍路(その7)は札幌での一夜を描きます。夜の北海道大学のキャンパス、何が起こりますかご期待ください。忍路は(その9)で完結です。



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