
足元は黒々としたアスファルトだった。雪の上の一条の足跡は神社前でそのアスファルトの中に消えたのだ。雪解けの水がアスファルトの上を流れ細かな砂を運んでは、波紋の砂溜まりを幾重にも描いている。そしてそのまま緩やかに坂道を滑り降りているのだ。
私はサラサラと走る水と砂を踏みしめるように歩き、両手をポケットに入れたまま背を丸めて坂を下っていった。
下りきったところに鳥居がある。私はそれを見たとき、つい今しがた胸中に盛り上がった思いが180度転じて引き落とされるのを感じた。それはガクンという表現がふさわしいようなつんのめるばかりの不意打ちだった。
それは鉄パイプのようなもので作られているのだろう、円筒をずん切りにして組み合わせただけの粗雑なつくりで、無造作に立てられている。そして心の染み入る余地さえない程にてかてかと黒ペンキが塗られているのだ。
この鳥居の形式が、あるいはこの神社の作法にかなっているものだとしても、それがあまりにも無神経に思えて、私はそのとき、この北国の神社や仏閣は私の夢想するような、人々の心のかかわりとして育ってこなかったのかも知れないと思った。



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