神とは何か。
ここでは神という言葉を多用するので、その意味を書いておきたい。
私のいう神とはもっとも自然な存在のことだ。
それゆえ決して、人の運命を変えたり決めたりするような存在ではない。
人を教え導き、救い罰する。そのような超人的な存在でもない。
恐れ、崇め、羊のように付き従うべき存在でもない。
このような存在は、人間が作り上げた偶像であり、もっとも不自然な幻想だ。
私のいう神とは正反対の、つくられた神の姿というしかない。
20年近く前に起きたオーム真理教の地下鉄サリン事件などは、つくられた神の偶像に踊らされた、盲信する者達が引き起こした悲惨な殺人事件だ。
神の名のもとに争い、殺し合う行為はすべてサリン事件と同罪というほかはない。
私のいう神は断じてそのようなものではない。
神は誰よりも自然な存在だ。
自然の中で生かし合う命そのもの、その命を優しく覆い包むもの、それが神というものだ。
それゆえ神は、私であり、あなたそのものなのだ。
あなたは神だ。生まれる前からあなたは神だった。
それが誕生の瞬間から、人間の皮をかぶって、あなたはちょっとだけそのことを忘れているに過ぎない。
そして死んだら、あなたは神に戻る。
私たちが考えなければならないことは、なぜ神は人間の皮を被らなければならないのかという事だろう。
そして私の答えはこうだ。
人間は、神が至福を感じ取るための感覚器ではないのかと。
無明の神が、人間という感覚器を通して自分を知り、世界の美しさを感じ、愛の喜びを得る。
人間とはそんな存在なのだ。
苦楽はその感覚器が成熟するために必要な体験学習のようなものだ。
深く苦悩を感じ取れる人は
それゆえ深い神の喜びを知る人と言えるのだ。
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