時間の概念と、スケールの概念は、数学で使う座標と同じような関係を持っている。
時間をX軸とすれば、スケールの概念はY軸に対応する。
すると原点0は今このときということになる。
心がX軸に沿って動けば時間が動きだし、Y軸に沿って動けば人は実在の中を旅することになる。
飛矢飛ばすという面白い話を学校で聞いたことがある。
的に向かって放った矢は決して的に届かないという話で、こんな内容だった。
矢と的の間には距離があって、距離があれば必ずその中心がある。
矢が的に当たるためには、その中心を通りぬけなければならない。
ところがその中心から的までは半分の距離があるため、矢はその中心を通り抜けなければならない。
同じことを延々と繰り返しても、その半分の地点が現れて矢は永遠に的に届かないという話だ。
この話で面白いのは、矢と的の距離が無限に分割されていきその果ては無限だということなのだが、スケールの概念はまさにこの事実を、時間と同じレベルで受け入れるためのものと言えるかもしれない。
なぜこんなパラドックスが生まれるのか。
それは時間の概念で真実を見ようとしたために起こると言っていいだろう。
真実を見るためには時間と垂直に交わるスケールの軸が必要だということなのだ。
矢が永遠に的に当たらないというのは、心が原点からY軸(スケール軸)に沿って動いているのだ。
真実は時間ではとらえることのできないものだとあらためて思う。
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