
真っ白な雪の斜面にキラキラと建物は輝き渡り、その色は薄い緑であったり青であったり、あるいはピンクやクリーム色であったりして、それらが一斉に目に飛び込んで来る。私の眼はその鮮やかな光の量にしみて眩み、心に痛かった。
それは何よりこの美しさが、自然の中で生まれた無垢なるものの形ではなく、むしろその自然の中に生きる人の営みから生み出されたものだという思いからだった。
人の営みにはなぜか悲しみが付きまとう。
私の通奏低音と言ってもいい思いがやってくる。磨かれたリンゴよりも泥のついた大根により深い美を感じるように、私はいつも風景を見、人生を見てしまう。そしてそのわびしさから、次第に自分が子どもの目を失いつつあることを複雑な思いで感じるのだった。
そのように私の心が複雑に動いても相変わらず小樽の街は白い雪でまみれているのである。
凛として澄み切った空気と光が色彩となって人間の造形と調和する。それは逆に、人の営みはただそれだけで自然と調和していることを教えてくれているのかも知れない。
思考が巡り、やがて街は私を勇気付けてくれるようだった。さしあたって今夜の宿がなかったが、それさえなんとかなるだろうという気持ちになっていた。朝からの重い気分は小樽の雪と共に溶けはじめ、心が上昇する。いつしか、なんとかなるだろうという放埓感が心に満ちて、今日中に札幌まで帰らなければならないという思いだけが私の自由を制御する基準のように思われた。
小樽商科大学== 了 ==



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