自動筆記鉛筆絵画 空体の龍
前回記事の
要点を引き継いで、
空体+身体=私の
真実の姿をイメージしてみる。
このシリーズの
終着点である。
(0)
目覚めて眠るまで
私達は自分を意識して生きている。
その中心にある精神世界、
感覚と思考がある。
喜びも苦悩も、希望も絶望もそこにあって
命ある限り
それを体験し続けるのだ。
(1)
その個人的な体験は
明らかに
身体と空体の融合したものなのだ。
その事実を解き明かすものが
「気付き」なのである。
思考は
身体の感覚と頭脳の働きで生まれ、
空体のエネルギー作用である「気付き」によって
その存在を知るかたちで成り立っている。
身体は
ここに自分がいるという認識の母体だが、
この身体の存在と
そのことに気付いている事から
成り立っている。
(2)
要するに「気付き」とは
闇の中にある身体や感覚、思考を意識のもとに照らし出す、
闇に投じられた光なのである。
「気付き」がなかったら
私達は自分の感じや考えを知ることが出来ない。
それを裏側から見れば、
私達の認識にはすべて、「気付き」が癒着していると言えるのである。
(3)
私達は
この二つが
癒着しているという事実に気付かないで
一つの作用と考えてきた。
それが自分だと思い込んできたのだ。
それが人間の
迷いと苦悩の原因だったのだ。
(4)
普段忘れているが、
ふと自分が呼吸をしていることに気付くことがある。
その呼吸に意識を向け続けてみたらどうだろうか。
それでも、いつの間にか
その呼吸を忘れている自分がいる。
当たり前すぎて気付かない、それは癒着と言っていいのである。
人は自然にこの気付きを忘れてしまうということなのだ。
私達の生活はこうして
この気付き、すなわち空体を忘れて進んで行くのである。
(5)
苦悩もまた、
これと全く同じことが言えるのだ。
試しに苦悩が現われたら
呼吸を思い出して頂きたい。
すると呼吸に対する気付きが生まれ、
その体験が自分の苦悩するエネルギーを気付かせてくれる。
すると空体に行き当たる。
苦悩を眺めている空体を意識することが出来るのである。
思い出した空体は
呼吸のリズムに乗って
穏やかに宇宙の隅々まで拡がって行く。
驚くほど大きな宇宙
苦悩はそのエネルギーの流れに包まれて
静かに空体の中に消えて行くのである。
(6)
もしそんな体験が出来たら
空体に巡り合ったと
いうことなのだ。
(7)
誰しも自分を探求する。
しかしほとんどが
「気付き」に巡り合う前に
自分の嗜好や能力を知って探求をやめる。
それが大人になるということだ。
(8)
その先にある
身体と空体の和合癒着した姿を見るには
瞑想は有効だが
思考を納得させるには
さらに五次元がよき道標になるのである。
記事を書きながら己の空体を観ていたら、表題の絵から意識が変化してそれに従った自動筆記絵画
二匹目の龍がどこに行こうとしていたのか教えられた気がする。
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