
忍路の村は眠っている。その閑散とした家並みの、淡くうらぶれた色彩は質素なまま黒ずんでいた。小樽とは一切が対照的に見える忍路は何もかもが耐え忍ぶように雪に埋もれているようであった。それは現代から取り残された雪国の寒村を思わせる深い静まり持っていて私の胸を突いた。
あたかもそれは、この忍路だけが、時の流れから解放されているようでもあり、その独特の薄墨のような静寂を私は胸一杯に吸い込んだ。
ある家の玄関で一人の老婆が黙々と雪かきをしていた。忍路で遇ったはじめての人であったが、腰を曲げて雪をすくい取る作業を不自由そうに続けて私に気付きもしなかった。
私は老婆を驚かせないように、そっと通りすぎながらふと思った。
「濱風のなぜしこのような人」伊藤整がうたったその人はこの人かもしれない、と。
頬の淡い、まなざしの佳いその人の容貌はもうずいぶん年老いてしまっているに違いないけれど、もし今もこの忍路にいるとしたら、この老婆のようにひっそりと雪かきをしているに違いない。そして雪かきの手を止めた一瞬に、遠く青春の空気に触れてはなぜしこのように心を揺らせるのかもしれない。
私は老婆の方に向かって目礼をした。彼女はしかしそのことには気付きもせず、雪かきばかりに心を向けて働き続けていた。



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