ぐうたら瞑想法 またの名を食禅
今回の旅で発見した、一番有益な体験ではないかと思います。
どうして発見したのかから話を始めますと、先日の↓この話しからなのです
「吾は空なり」という達観は、己の本質がエネルギーだということを納得させてくれました。そしてこのエネルギーは、意識の地平で一直線につながっていて、私たちは宇宙と一体だと。そう理解したのでした。
では、この意識の地平(エネルギーのゼロ地点)をどう認識するのか。
どうすれば意識の地平にであえるのか。
そう思った時、私は除夜の鐘を思い出したのです。それは自然にやってきました。
鐘の音に耳をかたむけ、その音の消え入る地点を探る。その消えた瞬間こそ意識の地平ではないのかと思い至ったわけです。おやつ(揚げせんべい)を食べながら。
まあ、ぐうたらしながら、考えていたわけですが、この時、口に中にも除夜の鐘があることに気付いたのです。私はそれを食禅と名付けました。
それを紹介しましょう(紹介するに足りる代物です)
用意するもの大きめの揚げせんべい1枚。
それを30分かけて食べる。それだけです。
寝転がっても、正座しても、ほおづえついても、かまいません。ぐうたら生活を楽しむ心があれば心構えも充分。
ただ一つだけ必要なものは、口の中で除夜の鐘をきくという強い意識です。
さっそく一口。
あっ、奥さん、奥さん、
いつものようにそんなに急いで食べたらいけません^よ^
ここが修行の勘所。
ひとかけらの揚げせんを、ゆっくりかんで、しっかり味わうのです。
舌の付け根あたりが一番深く味に反応して喜んでいる。その喜びは全身に広がりますね。私はその広がりゆくさまを波動と呼んでいるんです。味覚が体を喜びに変えるのです。この喜びも私には波動と思えます。
呑込まないで、自然に口の中から消えて無くなるまで、
味覚に意識を集中させます。
さあ、ここからが除夜の鐘です。
味覚が徐々に薄れていきます。その様子を眺めつづけるのです。
揚げせんのかすかな香り、
口の中にあるかすかな気配。
それをどこまで追っていけるのか。挑戦してみてください。
無と思えるところまで来てもあきらめずに、かすかな気配も見逃さない心意気で意識を集めてください。
さすがに、もう味はないと思ったら、
ゆっくり次の一かけを口に入れます。
すると、今まで感じたことのないような、揚げせんの味が、あたかも梵鐘を打ち鳴らした時のように口に広がります。
意識を集中すると、世界はまるで違ったように思えるものです。
揚げせん1枚を食べつくすまで、なんども口に中で味覚の変化を楽しみます。
慣れて来たら、味覚の消え入る瞬間からなお続いている感覚に気付くようになります。
その感覚に意識をむけたままにしておきますと、
次の一かけを口に入れることを忘れて、その味のない味覚を感じている自分に気付きます。
とてもいい感じで、味のない味覚を感じたら、その感覚を全身に広げていきます。体が喜んでいるときの波動を感じる事が出来るのではないでしょうか。
私たちは、このように味のない味覚を意識することが出来るのです。
そして気付いてほしいのは、
この味のない味覚こそ、感覚の地平だということを。
私たちのナチュラル姿がそこにあります。
一かけを口に入れた味わいが、少しづつ消えていき、
やがて味のない味覚にたどりつく。その変化をなんども何度もながめてください。
鐘が打たれて響くように
味覚は味わいによって響いている。その自分の姿を意識するのです。
私たちの五感はすべて、そのような装置なのです。
この食禅が
五感すべての、意識の地平を見るきっかけになるでしょう。
それは五感の中で、味覚が一番分かりやすいと思えるからです。
味覚は口という、身体の内部に起こる感覚ですから、体感により近いと言えるのかもしれません。
私の経験では、30分~50分で食べつくしました。
ちょうど昼休み
ぐうたら時間に食禅はいかがですか。
食前に食禅して食膳に座るか
食膳に座ってから食禅にするか
悩みは尽きませ^ん^
……なるほどォ。面白そうです。
おやつの時間にやってみようかな、と思える、その気安さもすごくいいですね❗
ただその、まだやってないから何とも言えないンですけど、寝ちゃいそうな気がしますけど大丈夫でしょうか?
味覚に集中してるから、寝ないのでしょうか?
これが座禅なら、後ろからぺちっと叩いて起こして下さる方がいらっしゃいますけど、ホントにタダのぐうたらになりそうなのが、やや、怖いです(笑)。
とにかく、やってみます。
大きめの揚げせんべいは見つからなかったので、コンビニでぼんち揚のミニサイズのパックを一袋買いました。
……結果。
煩悩が多すぎるのか、ぼんち揚系のアラレ類やスナック菓子がそもそも好き過ぎるのか(苦笑)、『無心で味わう』とはなかなか……。
私の場合ひょっとしたら、『好きだけど好き過ぎない』甘味を抑えたビターチョコレートを一かけづつ……という方が、食禅向きの食材かな?と思いました。
日を改めて、一度試してみようかな、と思いました。
お粗末な顛末、失礼しました。
問題です^な^ぁ・・・
もしかして、ミニサイズ一袋いっちゃいましたか。
まあ、量としてたいしたことありませんから、普通におやつなんですが、
余韻を楽しむ前に、立て続けに鐘を打った訳^で^す^ね^。
食禅に落とし穴・・・
しかし、まあ、試したばかりですから、いろいろやってみてもいいでしょう^ね^。
私もいろいろ試しましたが、口に中で余韻の残るお菓子は揚げせんでしたけどねぇ。
チョコは意外に余韻が残りません。
お菓子がだめなら、煮干しなど、誘惑されない食材もありますし、工夫してみてください。
くれぐれもお菓子、食べ過ぎないようにね。
せんべい口にくわえたままの寝姿を、誰かに見られることの無いよう、
心よりお祈り申し上げ^ま^す^
深刻になって、欲と戦わないこと。
もちろんその点は心配していませんが、念のため追伸しました。
食禅向きの食材探しのポイントは
味覚の余韻を楽しめるもの
そしてむっちゃんの言う好きすぎないもの
そんなものを探してみてください。
案外身近にたくさんあると思います^よ^
小説のネタ探しのつもりで、気楽に
お楽しみください。
>味覚に意識を集中させます。
ダメです
自分は 超早飯で ゆっくり噛んでいては味が分かりません
味は いつも 喉を通過する快感?で味わっています(^o^)
修行の前に 修行が必要の様です
これとてもよくわかる。
子供の頃曲りなりに学校給食があったのですが、なにかの都合で弁当の日があったのです。
その弁当の味が忘れられず、うまいとはこんなものだというイメージがいまだ残っています。
それが延さんの、その言葉。
弁当を食べる頃は冷たく冷えています。その冷ごはんのおいしかったことは言うまでもありませんが、その時の、のどごしが忘れられないのです。ぐっと、胸がつかえるような感じ。
まさに喉で味わう昼弁当。校舎を出て、積藁の上で味わうひと時。
あれを超える至福の食事にであった記憶がいまだありません。思い出してしまった古き良き記憶です。
延さんの修行は
山の空気でしょう^ね^
これからも、空気の味を発信し続けて下さいますよう期待いたします。
先日の霧もまた味わい深いものでした^ね^
む、む、難しいので・・・
吾は食うなり
してその心は?
吾は空(腹)だからに決まっておろうが!!