先日の続きですが、
私の体験した幽体離脱の現象を、納得できたのはつい最近のことです。
この記事を書きながら、行き当たった答えを書いてみたいと思います。まさに私の一人旅通信であり、私の実在以外に何の根拠もありません。
そのことは先に申し上げておきます。
「吾は空なり」それは見る眼を物質から空間に向けることだと何度も書きました。
つまり、意識を空間に向けると、私たちの認識する風景は一変します。
私の本質はは素粒子の間にある空間だと思うと、私の身体は自分の肉体を突き抜けて、宇宙のかなたまで広がります。
この認識が幽体離脱体験とどうかかわるのか。
そのカギは、エネルギーです。
空間を見る眼は、自分をピンクの領域だと見ます。白い空間の中に存在する、強い空間のかたまりですね。
ピンクの空間を自己意識、白い空間を宇宙意識と呼びました。
ピンクの空間は、見上げる大宇宙に匹敵する素粒子集団を一つにつなぎ止める強い力を持っていて、そのおかげで宇宙意識の中で自己意識空間を保っていられる訳です。
これをエネルギー波で表現したら次の図になります。
五次元の概念で見ると宇宙は、極小宇宙と極大宇宙が同時に存在している。それは何度も繰り返して話していることですが、
その五次元宇宙を認識すると、ピンクの空間(自己意識)は私を創っている空間であり、白い空間は、神ひとを創っている空間でした。神ひとの身体は、私の身体の10の22自乗倍の大きさなのです。(この際細かなことはどうでもいいのですが、とにかく見ることのできない大きさです)
図の①は、その関係をイメージしかものです。
ピンクの空間のエネルギー波は、自己意識にある波形をしており、それを取り巻く白い空間は宇宙意識の巨大な波となるわけです。自己意識を、神ひとのレベルまで拡大した波が包んでいる訳ですね。
あるいは、認識不可能な長波空間に、ギュッと身を引き締めた短波空間が生まれていると言えますね。
図②は、宇宙意識のエネルギーを、自己意識の大きさ(私たちが認識できる大きさ)にした図です。
宇宙エネルギーを私たちのスケールで見ると、こんな見え方になるだろうと想像できる図です。
波は長い周期のまま、自己意識と同じ大きささ(波の高さ)で伝わります。その波はほとんど波の中心線にへばりつくような形になるはずですね。
さて、この波の中心線。
私はこれを意識の地平と呼びます。エネルギー的には0地点であり、そこから+-のふり幅で振動する波。
空間はこの波で満たされているのですね。
私たちは自己意識の支配を受けてこの身体に生まれ、そのいのちを頂いているのですが、逆から言うとそこから逃れられないわけですね。
私たちの棲む世界と宇宙意識の世界は、その境界線に極端なエネルギーの差異の壁によって区切られている訳です。
しかし波の図をよく見てください。
スケールの違いが、確かに差異を創り出していますが、変わらないものがあるのに気づきませんか?
そうです。意識の地平。エネルギーの0地点です。
意識の地平はどこまで行っても、たった一本の線でつながっています。
これこそが空間の心臓部なのです。
エネルギー波はスケールの影響を受けて。変化しますが、この地平は変わらないのです。
さあ、もうなにが言いたいのか分かりますね。
私の幽体離脱体験は、偶然私の意識が、ごまんとある欲、あるいは己に対する執着から離れて、エネルギーの0地点に入ったからだと思えるのです。
意識の地平に立つと、私たちはその瞬間、宇宙空間のど真ん中にいることになります。
私が自分の姿を上から眺めた意識は、おそらくその地点に立ってなお、いくらかの執着がうまい具合に残っていて、自分を客観視した体験だったのかもしれません。
あるいは、コップ「チーン」体験は、意識の地平で、描こうという意欲がコップという意識だけを残していた結果だと考えることも出来ます。
いかにしてこの意識の地平、エネルギーの0地点に気付くか
この辺りの話しは次回。
実は茶の間でおやつを食べながら出来るぐうたら瞑想法に巡り合ったのです。
誰にでも起こりうるけど、なかなか気付かない現象では……?という予想は、やや近い、カモ……とは思いました。
本日ラストの一文、とても気になります。
ぐうたら瞑想法?
そんなのがあるんですか?
次回、楽しみです☺。
ぐうたら瞑想法に興味ありますか?
一切の勉強不要
へんな宗教関係なし
お菓子さえあれば
予備知識一切不要
え?
気になる?
それなら、
ぼんちあげ1枚用意しといてね。